皆さん、うちのブログを閲覧してつかぁさいまして、ありがとの!
今回は、2023/02/26(日)に開催されました「文学フリマ広島」のついでに参りました「鉄道探訪」記事をお届けします!
来訪日はイベントの開催された翌日の2026/02/27(月)。
「遠征」は2023/02/25(土)~2023/02/28(火)でしたので、旅行後半戦ですね。
今回試乗した路線は、広島県福山市神辺~岡山県倉敷市総社を結ぶ「井原鉄道」という路線です。
Wikipedia先生をカンニングしましたところ、井原鉄道は大変新しい路線で、1999年に開業となったそうです。
前身は国鉄井原線で、1966年に工事が着工したものの、その後の国鉄の赤字化・度重なる労働争議、鉄道そのものの利用者の減少等が重なり、1980年に線路の敷設工事が中止となり、線路はそのまま草木に埋もれてしまいました。
しかしその後、沿線自治体を主な出資者として1986年に第三セクター「井原鉄道」が設立され、工事が再開。
そして1999/01/11の、11:11:11に出発式が行われました。
因みに1999年は和暦に換算すると「平成11年」となり、つまりは「1」が揃った日時に国鉄井原線は「井原鉄道」として生まれ変わったことになるのですね。
それでは、今回の鉄道探訪の写真を振り返ってみましょう↓!
スタート地点の神辺駅。
小ぢんまりとした無人駅です。
如何にも「田舎のローカル線」という感ですね。
ホームからは、廃業したと思しきショッピングモールが。
何だか地方都市の少子高齢化を象徴しているようで、私も眺めていて哀しくなってきました。
(´;ω;`)ウゥゥ
駅名表示板。
今回、早朝にJR山陽本線広島駅~福山駅を経て、福塩線神辺駅まで足を運んだのですが、到着は確か09:00代でした。
私が乗車したのは11:00代の気動車で、ボディを観察するとステンレス製?の、昔懐かしのタイプの様子です。
自分も鉄道が好きな割には、車両にはあまり関心がないものでして...。
(;^_^A
とりあえず、車両に乗り込んで写真を撮影。
これまた「ローカル線」の旅情を感じさせる車内です。
出発!
田舎の大型スーパー。
こちらは何処かの学校の近辺...らしい。
巨大な物流倉庫。
どうやら、田畑を所有されていた農家の当主が亡くなり、土地の相続人の方も都市生活が板についてしまって「今さら農業を行うノウハウもない...」と思われたらしく、こうして福山通運という会社に土地を売却→物流センターに転用された模様。
小学校。
写真右下に低学年児童のための遊具(ブランコ)が映っていますので、この学校が中学高校ではないことが判ります。
田舎のショッピングセンター...だろうか?
建物自体が背中を向けているので、よく分からない。
これは!?
どうやら、昭和初期あたりの築の銀行建築らしい。
よくぞ遺されたものです。
いずえ駅。
車窓越しに、長閑な光景が窺えますね。
さらに気動車は走行します。
北条早雲生誕の地・荏原(えばら)駅。
歴史上の人物ゆかりの地であれば、観光客のみならず学術関係者の来訪も期待できます。
小田駅。
吉備真備駅。
地名ではなく、土地にゆかりの人物の名をつけるというのも、駅誘致や駅名表示をめぐる住民同士の紛糾を防ぐ効果があるでしょう。
今回、車窓を眺めていて気になる建物を発見しましたが、写真に撮り損ねました。
川辺宿駅。
高梁川という河川の畔ですが、どうやら渡し舟がこの場所から出入りしていたらしい。
そして江戸時代は、その渡船を利用する大名や一般の旅人ための、宿場町として繁栄したと思われます。
...というわけで、鉄橋を渡ります。
こうして観ますと、高梁川が相当に広大な河川と判りますね。
ラスト。
総社駅。
ここからJRに乗り換えて、倉敷駅まで足を運びました。
今回、井原鉄道を乗り潰して車窓風景を眺めて判明したことは、沿線の農村地帯がほぼ「散村」の様相を呈していたことです。
つまり、広大な田畑の中に、1軒ずつ家が建っている。
井原鉄道は山地の中の平野に線路が敷かれていますが、その沿線の農村は「集落」として固まらずに家屋を離して建てられているのです。
おそらくは、何処かの家から出火しても、火災が拡がらずに村が全滅することのないようにした工夫なのでしょう。
これは、広大な平野の利用・並びに「村=共同体」の維持のために日本の農民がどんな知恵を出していたのか?を如実に伺える興味深い事例です。
民俗学徒の端くれの自分としても、今回の鉄道探訪は実に興を唆られましたね。
次回のブログ更新は、この日の午後に倉敷市の「水島臨海鉄道」という路線を試乗した記事をお届けする予定です。
皆さん、楽しみに待ってつかぁさい!
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