いきなりオペ室の分娩台に

 

 自宅で陣痛のような痛みを感じてから約1時間後、私は病院の夜間入り口に到着。スタッフの方に事情を話すと車いすを持ってきてくれ、ヨロヨロとそれに乗って院内へ運ばれて行きました。

 

 どこに連れて行かれるんだろうと思いながら、着いたのはなんとオペ室!数人の看護師さんによって車いすから分娩台に引っ張り上げられ、あれよあれよという間にエコーの診察が始まりました。

 仰向けの状態のまま「まさかこのまま産むのか……!?」と思っていると、当直医が口早にいろんな話をし始めました。診察結果はやはり子宮頚管が相当短くなっていて、それを食い止めるために筋肉弛緩剤の点滴を打つこと。症状が進行した場合にはどんな処置をするとか、その結果こういう事態が想定されるとか、帝王切開の可能性もあるとか、早産で生まれた赤ちゃんの死亡リスクや発達障害のリスクまで説明を受けました。

 一気にたくさんの情報を話されて理解が追い付いているのかいないのかわからないまま(しかもまだ子宮口は痛い…)、「薬は効いてきましたか?」「もう少し強めましょう」「入院で必要なものなどはここに書いてあります」などとさらに畳みかけられ、体感的には一瞬のうちに出産の話が進みました。(実際には病院到着後2時間ほど経っていました)

 

MFICUでの生活。地獄の「マグセント」

 

 こうしてMFICU(Maternal Fetal Intensive Care Unit=母体胎児集中治療室)での生活が始まったのでした。腕には点滴が繋がれたまま、ベッドの上で動けずただただ横になっている日々。。夫が部屋に入ってくることはもちろん、院内の自販機すら行くことが許されず、部屋の中での移動もトイレとシャワーのみでした。

 

 そして慣れなかったのは点滴を繋いでいる機械の音(ずっと鳴り続けているし、点滴がなくなるとピーピー言う…看護師さんを呼ばねばならない)と、夜でも消えない機械の緑色の光。。。日中もベッドでごろごろしているせいか、夜もまともに眠れませんでした。

 

 子宮口が開くのを防ぐために点滴の量もどんどん上がり、4日ほど経った時、点滴の種類を変えることに。それが「マグセント」という子宮収縮抑制剤でした。これが本当につらかった……。点滴を刺している腕の血管でさえ痛く、さらに動悸息切れだるさ熱っぽさふらつき等、とにかく苦しいんです。ずっと心臓がドキドキバクバクしていて、息を大きく吸って吐いても動悸は収まらず、呼吸は浅いまま。。あまりの息苦しさに、夜中看護師さんに来てもらい、ベッドに腰かけて背中をさすってもらいました。

 

 長男(当時3歳)と会えない日々もつらいものがありました。LINEのビデオ通話で「何して遊んでるの?」「きょうの夜ご飯は何食べたの?」などと話すだけ。たまにパパの腕にしがみついてヤダヤダとごねている動画なんかも送られてきて、「早くおうちに帰りたい」「家族と離れ離れのままクリスマスやお正月を過ごすのかな」と思うと涙がこぼれてきました。

 

産まれてしまう

 

 このとき、まだ30週。生産期まで2か月近くもあります。産んでしまえば自分の身体は楽になるけれど、一番大事なのは少しでもおなかの中で赤ちゃんを大きく育て、産まれた後に障害や発達の遅れが出ないようにすること。だから「まだ産まれてこないで!!!少しでも長くママのおなかの中にいるんだよ!!ママも点滴がんばるからね!!」と毎日おなかに話しかけ、半分自分を鼓舞していました。

 

 しかし、定期的に訪れる陣痛のような痛み。そのたびに看護師さんをナースコールで呼んではおなかに機械を当てて診てもらったり、車いすで診察室へ運ばれてドクターに子宮頚管の長さを診てもらったりしていました。

 

 ろくに眠れないまま明け方になり、ドクターに言われたのは「子宮頚管がかなり短くなっている。子宮口も開いてきちゃってるよ」とポツリ。「あー結構重症なんだな。きょう産まれてしまうかもな」と直感的に思いました。なんとなく、夫に連絡しておいたほうが良さそうと思い、「きょう産まれそう」と送ったのでした。その後も昼過ぎまで、陣痛は間隔を狭めながら定期的に訪れるのでした。

 

 そしてこの日の夕方。ベッド脇の簡易トイレで見たものは薄ピンク色のおりもの。今までドロッとした出血だったのに、明らかに様子がおかしい。。。すぐに看護師さんに報告すると、なにやらあわただしい様子でベテランっぽい助産師さんが駆け付け、「おしるしが出てますからね、このまま産みましょう」と私が横になっているベッドを運び始めました。

 

いざ、出産

 

 あれよあれよと分娩台に移されると点滴を止められ、すぐに陣痛が。このまま産まれそうだと聞きつけた先生方がずらりと勢ぞろいし(隣接する小児医療センターの先生を含む)、その数なんと10人ほど!こんなに大人に囲まれて出産するのは初めてでした。

 

 しかし、そんなにすぐには産まれないもの。10分ほど経って諦めたのか、先生方はいったん解散。助産師さんと二人きりになりました。ふぅ、少し落ち着いた。その間に夫に連絡を。そうこうしていると、太ももが生暖かいもので一気に包まれました。破水です。助産師さんに伝えると慌てた様子でナースコールを連打し、「破水しました!すぐに来てください」と先生方を招集。また10人ほどの先生方に囲まれ、「いきんでー」「そうそう上手」などと言われながら、あっという間に次男は産まれました。か細い、まるで子犬か子猫のような鳴き声でした。

 

 次男はすぐに診察台に移されて心臓の状態などを確認され、台に乗せられたまま私の近くにやってきました。そっと頭に触れると「かわいい」「頑張ったね」という感情と共に「こんなに小さく産んでしまってごめんね」という気持ちが込み上げてきて、複雑な心境だったのを覚えています。その後私たちはすぐに引き離され、次男は隣接する小児医療センターのNICUに運ばれて行きました。

 

 私はというと、30週での出産だったので胎盤がなかなか剥がれず、医師(しかも研修医っぽい若い女性医師で、後ろに指導者っぽい男性医師が立って指示している)に指を突っ込まれ、胎盤を引っ張り出されようとしていました。それがまた激痛で、陣痛より痛い!!!

 

 10分、また10分経っても剥がれず、痛くて悶絶している私を見かねた男性医師が「薬を投与しましょうか。あまりにも痛いなら麻酔をして手術っていう方法もあるけど、そこまでじゃないよね?」と提案。私は意識が朦朧としている中で「はい」というのが精一杯で、そのまま点滴を入れて痛みを和らげてもらい、なんとか胎盤を排出。ぐったりでした。