真夏、8月2日に緊急入院した姉は8月11日に旅立ちました
暑い中、毎日様子を見に行っていましたが、入院初日は私を認識出来ていましたが、その後は話しかけても反応はほとんどなく食欲もまったく無い状況で、93歳と言う年齢を考えれば寿命だと判断し、点滴での水分補給も安らかに旅立つ障害になるとも聞いていたので翌日の面会時に医師に点滴を終えて欲しいと伝えるつもりでいましたが、翌日の8月11日の朝、病院から危篤の知らせが入り、急いで病院へ行きました
着いた時にはすでに息を引き取っていて、最後の瞬間には間に合いませんでした
姉は生涯家族を持たなかったので、火葬後は我が家に遺骨を安置していました
今日が49日ということで、昨日遠い霊園に片道3時間かけて、参加出来る親族と共に納骨と49日の法要を墓前にて済ませてきました
家族がいないので、妹の私が入所していた施設の身元引受人でありましたが、亡くなった後の役所関係のもろもろの手続きにも、まず私が妹であるということを証明してからでないと何も前に進まず、ウンザリでした😮💨
姉とは親子ほど歳が離れていて、彼女が娘時代にどのような生き方をしていたのかを私は知りません
若い頃、結核を患って手術を受け身体が弱い人というのが私の認識でした
会うと必ず「今日は調子が悪くて」という言葉が枕詞のようだったので気を使う姉でした
独身だったので母親が亡くなるまでずっと娘のままの状態で暮らしていましたが、母が亡くなった後は怪我(骨折)をすることが多く、救急車で同行したことが何度もありました(毎回深夜でした)
両足を骨折して車椅子が必須となり、とうとう一人では暮らせなくなりました
私自身も癌を患って手術後だったので姉の世話を出来なかった時期で、やむを得ず施設でのショートステイを渡り歩き、最終的には老人ホームに入所することになり、結局亡くなるまでの間7年間、本人がまったく望んでいなかった施設暮らしをすることになったんです
ただ、入所してからは毎年健康診断を受けていましたが、私のところに送られてくる検査結果はどこも問題はなく、むしろ私の方が不健康だったりして、あの身体が弱いというイメージは虚構だったと知ったわけです
今年の7月24日、施設に面会に行った時「ここから出ていきたい」と訴えていた姉、亡くなるまで18日ほどしか無かった状況での言葉、、、
自分で望んで入所した施設ではなかったけれど、個室の部屋の中には専用のトイレもあり部屋にはテレビもあって自由に過ごせる環境だったと思うけれど、最後まで自分の居場所ではないと思っていたんだなぁと、、、入所を決めたのは私なので心が痛いですが、他に方法が無かったしと自分を納得させてます
7年間の施設暮らしで、施設から送られてくるさまざまな書類の量は膨大で、今となってはその都度処分した方が良かったのにと思いますが、何しろ私自身が病弱なので、ひょっとしたら私が先に逝くとも思えて、書類を処分したら残された人が困るだろうと思って、全部残してあったんです
少しずつ処分しなきゃなりません、まだまだ終わらない後処理です
そんなこんなで8月は、本当ならジェオプさんの新大久保ライブ、もっと行きたかったのに行けませんでした
我儘放題でお嬢さんのまま旅立った姉、他の姉妹とも折り合いが悪く、施設に面会しに来た人は私以外いませんでしたが、最後まで私の邪魔してくれたねって言いたい気持ちもあるんです