雨の中、少しだけ歩いてきた
ここのおうちには、以前柴犬がいてブブと一緒に通りすぎると必ず吠えられたなぁ、こっちには足の悪いポメラニアンがいて、ゆっくり一緒に歩いたなぁと、想い出にひたりながら。
今日は8月15日、旅立った仲間たちを思い出しつつ自分が子供の頃のことを振り返った
かろうじて戦争を知らない世代です。それでも子供の頃、自宅の庭に残っていた防空壕は覚えています
実家のとなりは歌舞伎役者の子供たちがよく通う学校でした
実家とその学校は少しだけ高低差があり、防空壕はその学校の地下にあたる場所に掘られてました
大きな扉があって入ってみたかったけれど禁止されてたので中を見たことはありませんでした
東京のど真ん中だったにもかかわらず疎開をしなかった姉や兄たち、空襲警報がなる度にみんなで火消しをしたと聞いてます
親族で戦死した人はいませんが、父の妹の息子、つまり私の従兄にあたる人(私よりもかなり年上)は特攻隊員でした
彼は2回も出陣していました
ところが2回とも飛行機の不具合で戻ることになったそうです
当時、覚悟を決めて出陣して2回も戻ることになった従兄の心中は想像することも出ません
生きて戻った従兄ですが、すぐに結核に感染し長患いの後亡くなりました、せっかく生きて戻れたのに
子供の頃は近所にあった靖国神社の意味も知らず、御霊祭りの時期になると、怪我をして手足が不自由になった傷痍軍人と思われる人が神社の境内にいるのが怖かった
今も地球の何処かで起きている戦争、何故人は戦うのだろう
ベトナム戦争真っ只中の頃、戦争反対と書いたバッジを胸につけ続けて父にやめろと叱られたこともありました
二度と戦争を起こしてはならないと思いつつ、もしもその時代に自分が生きていたならば「君死にまふうことなかれ」と胸を張って言う勇気を持てただろうか、、、