子供の屋外活動を制限する放射線量について、

小佐古敏荘(こさことしそう)・東京大教授(放射線安全学)が

政府の示した「年間20ミリシーベルト」が(緩すぎて)受け入れがたいと

内閣官房参与を辞任されましたね。 涙の会見を見ました。





確かに、体の大きな大人と、まだ成長盛りの小さな子供の

数字が同じというのは、素人が考えてもはてなマークはてなマークはてなマークですね。






数日前に、こんな記事もありました。



リクのひとりごと

東京電力福島第1原発の事故で現在、東京の地表から検出される

放射性物質(放射能)の量は事故前の数万倍に上る。


しかし1960年代初頭にも、海外の核実験の影響で、日本でも

同レベルの放射性物質が検出されていた。

それでも健康被害が生じたことを示すデータはなく、

専門家は「過度な心配は不要だ」との見方を示している。(小野田雄一)


研究機関「気象研究所」(茨城県つくば市)によると、これまで

放射性物質が国内の地表から最も多く検出されたのは

1963年(昭和38年)6月。東京で放射性セシウム137が、

1カ月間で1平方メートル当たり550ベクレル検出された。


米国や旧ソ連が繰り返した大気圏内での核実験で拡散した

放射性物質の影響によるものだ。以降、数年間、1カ月に

1平方メートル当たり数十~数百ベクレルを観測した。


その後、1960~70年代の中国などによる核実験や

チェルノブイリ原発事故(86年)で放射性物質の降下量が

一時的に増えたものの、90年代以降、1カ月の地表への

降下量はピーク時の1万分の1以下となる0・01ベクレル程度に

落ち着いていた。


「雨が降ると、親や先生から『放射能が含まれているので

ぬれないように』と注意された」。都内に住む男性(61)は

小学生当時をそう振り返る。ただ、社会がパニックになった

記憶はないという。


1962(昭和37)年度の厚生白書などによると、相次ぐ核実験を受け、

国は61年、「放射能対策本部」を設置。

同本部は「汚染はあるものの人体に影響はない」と判断していた。

このため、水や食品の摂取制限などは行わなかった。


mns 産経ニュースの記事より


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


この記事読んで、思い出しました。

私も小学生の頃、親や先生から「雨に濡れないように」と

何度も繰り返し言われたことを。


放射能が降ってくるからということを、当時も聞いていましたが

今のように情報が飛び交ってませんでしたから、半信半疑でしたね。


1960年代、まだ子供だった私も、こんなに放射能をあびて

生活していたんですね。 それにしても、ずいぶん荒っぽい

政府の判断だったんですね。

「汚染はあるものの人体に影響はない」

と判断していた。

このため、水や食品の摂取制限などは

行わなかった。



確かに、今私は普通に生きていますが、だからと言って

やはり、避けられるものは避けないといけませんよね。


世界で唯一の被爆国である日本は、広島や長崎に投下された

原子爆弾の悲惨さを、身に染みて知っているはずです。


被爆と被曝の違い、被爆は原子爆弾によるもの、今のような

原発事故等によるヒバクは被曝と書くのだそうです。

でも、いくら漢字を使い分けたって、放射能の被害という意味では

同じように思うのです。




原子力委員会の専門委員である青山繁晴氏が第一原発内の

撮影をおこなって、その映像がテレビのニュースで流れましたが

海側から見た現場は、すさまじく破壊されてました。




ただ、そんな中、敷地内の桜の木々が、見事に咲いていて、

植物の生命力ってすごいなぁと、つくづく思いました。




考えてみたら、植物は、私達動物のように、他の生命体を

食べることで生命を維持しているわけじゃなく、自分が置かれた

場所で、地中からなんとか栄養を取って、痩せた土地ならば

必死に根を伸ばして、栄養分を探し生き続けているわけで、

えらいなぁと感心してしまいます。





今、我が家の庭には、あまり花がないのですが、

やっとクレマチスが咲き始めました。 



リクのひとりごと-2011050109350000.jpg リクのひとりごと-2011050109310000.jpg

リクのひとりごと-2011050109340000.jpg リクのひとりごと-2011050109320001.jpg