事故発生当時から、ずっと気になっている現場の作業員の方々の状況。
過酷な現場で、どのように作業をされているのか、テレビではあまり
扱われないが、新聞には詳しく書かれています。
毎日新聞 3月21日(月)13時42分配信
東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発では東電だけでなく
原子炉メーカーや下請け企業の作業員らも懸命に復旧作業を続けている。
水素爆発や構内火災で一時は約50人にまで減った作業員を、
一部の海外メディアには「フクシマ・フィフティーズ」と英雄視した報道も
あるが、実際は多くの作業員が交代で危機回避に取り組んでいる。
近く現場に入るという下請け会社の30代の男性社員が毎日新聞の
取材に応じ「不安はあるが、少しでも(事態の)沈静化に協力したい」と話した。
【袴田貴行、日下部聡】
東電によると、原子炉建屋内は20日午前も照明が消えたまま。
安全性を考慮して放水時は放水だけ、電気工事の際にはその作業だけを
行い、19日現在の従事者は約500人。一方、3号機周辺の放射線量は
19日午後2時の3443マイクロシーベルトが放水後の20日午前3時40分に
2758マイクロシーベルトに下がったものの依然高い。
20日午前5時現在、以前の制限値だった100ミリシーベルト以上の
放射線を受けた作業員は7人。このため東電は交代要員集めを進めている。
取材に応じた下請け会社の30代男性社員は「東電から元請けに話がきて
そこから1次、2次と下請けに要請があった。私も準備が整い次第向かう」
という。海外メディアなどの注目については「残っている人がずっと放射線を
浴びながら作業していると思われるかもしれないが、実際は法にのっとった
管理で人を入れ替えながら作業を進めているので、英雄でも何でもないと
思います」と冷静だ。
一方で「不安は当然ありますね。それだけ高い放射線の中でやっているし、
現場もどうなるか分からないですから。また爆発が起こるかもしれないし、
放射線量が上がるかもしれない。断る選択肢もありますよね。
家族からそういうこと言われますけど。すごく難しい判断で、
みんな考えていると思います」。
◇「今後も原発で働きたいから」
それでも現場行きを決めたのは「原発の仕事をしてきた職業人としての
プライドより、沈静化した後のこと」だという。「これからもこの仕事で
食べていきたいという気持ち。断ったら後々の立場が悪くなるというか。
今の会社で、またこういう仕事を続けていきたい気持ちなんで、
少しでも協力し、会社の指示にできることは従って(やっていきたい)」と
淡々と話した。
現在、現場で作業に携わっているのは東電と子会社の東電工業、
原子炉メーカーの東芝、日立のほか、鹿島、関電工やそれらの
関係会社など。電源復旧では送電で4社、変電で5社、配電で3社という。
地震発生直後に約800人いた作業員は15日の4号機の爆発による
退避で一時約50人まで減ったとされるが、それ以降は300~500人で
推移。18日に米軍に借りた高圧放水車で3号機に放水したのも、
東電工業の社員2人だった。
現在の急務は原子炉冷却に不可欠な電源の復旧作業だが、東電によると、
実際に作業できるのは技術を持つ70人程度。しかも高レベルの放射線を
長時間浴びるのを避けるため、20人くらいずつ順番に作業せざるを得ない。
「真っ暗な中、投光器や懐中電灯を使いながら、防護服と顔を全部覆う
マスク、ゴム手袋での作業になる。大変時間がかかり苦労している」
(東電の担当者)
作業員の「命綱」となっているのが、原発の敷地中央付近にある
免震重要棟だ。07年の中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務本館が
被災したことを教訓に昨年7月完成した。2階建てで延べ床面積約
3700平方メートル。震度7に耐えられる免震構造で、内部には
災害時のための「緊急時対策室」が設置されている。
1~4号機の中央制御室は放射線レベルが高すぎて誰もいない状態。
普段は緊急時対策室にいる作業員が、定期的に交代で制御室に行き、
監視や操作をしている。作業に出る時はやはり防護服を着て現場へ
向かい、作業を終えると免震重要棟に入る前に脱ぎ捨てる。
大量の防護服が必要とされている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
知らないことだらけでした。
中央制御室が放射線レベルが高すぎて無人だということ。
免震重要棟なる建物があって、そこから防護服を着て作業に行くこと。
電源の復旧作業を、実際に出来るのは70人程度だということ。
真っ暗な中、投光器や懐中電灯を使いながら、防護服と顔を
全部覆うマスク、ゴム手袋での作業になるということ。
そして、この困難な現場で働いているのは、下請けや
孫受けの社員であるということ。
知らなければいけないことだらけでした。