ジョトロンのブログ

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6_6)y-*~

久しぶりにブログ書きますが、政治とは全く関係ありません。

母方の祖父が9/9(月)に他界しました。
祖父は今年99歳(享年は数え年なので100歳)であり、
男性にしてはかなりの長寿だったこと、
亡くなる3日前まで病気らしい病気もなかったことから、
天寿を全うしたと言えると思います。
(最後の死因は老衰ではなかったのだけど)

3日前から腹痛を訴えるようになり、
その時の医者の診断では「異常なし」とのことでしたが、
結果的にそれが元で亡くなってしまったため、
冷静に考えると医療ミスではないかと思います。

ただ、おそらく若い人であれば大したことにはならなかったでしょう。
祖父はここ半年で急に食が細くなっていて、
周囲ももう長くないと分かっていたので、
遅かれ早かれちょっとしたことが原因で亡くなっていたでしょう。
そのため特にその診断ミス(かな?)を問題視する気はありません。

最期の月曜日は腸に穴が空いて脱水症状を起こしたとのことです。
(腹痛の原因はこれだった模様)
月曜の早朝、祖母の目の前で白目を向いて倒れた時、
祖母はもうダメだと確信したそうです。

「絶対に畳の上で死なせたい」と思ったらしく、
93歳の祖母が100歳の祖父を抱えて、
必死で畳の部屋まで移したそうです。

その後、医者と子供達(僕の母親とかその兄弟とか)を呼び寄せて、
自宅診療となりましたが、点滴を射って一時は回復したらしく、
その時点では祖父は周囲に「ありがとう、おかげで助かった」
と言っていたそうです。(亡くなる2時間前まで話ができた)

しかしその後、容態が落ち着き医者が帰った途端、
腹痛が再発し、一時はホッとした子供達もこの時点で悟ったそうです。

急いで医者を呼び戻して診断してもらった結果、
これはもう「持って数時間だろう」ということになり、
痛みを和らげるモルヒネを射つことになりました。
モルヒネを射つと感覚が麻痺して痛みが和らぐ代わりに、
意識が段々と朦朧としていくとのことでした。

ただでさえ虫の息の祖父がここで意識を失えば、
その後二度と戻らないことは想像できましたが、
絶命する数時間の間、苦痛を味わうよりも楽にしてやってはどうか?
という医者の進言を受け、覚悟してモルヒネを射つと、
次第に穏やかな表情になって眠りに落ち、
30分後に「ストン」と落ちたように息をしなくなったとのことです。

火曜日が友引だったため、
水曜日がお通夜、木曜日が告別式と初七日でした。
幸運にもウチの家系は長寿なようで、
これまで人の死に立ち会ったことがなかったため、
僕にとっては今回の葬儀が初めてでした。

葬儀会場で伯母さんに「死に顔を見てやってくれ」といわれた時は、
分かってはいたものの恐怖を抑えきれませんでした。
「死に顔」というのは要するに死んでいる人を見ること、
いくら相手が祖父とはいえ遺体を見るのは、それなりの覚悟が必要でした。

「ある程度の衝撃はやむを得ない」
「今から見るのは自分の祖父なんだ」と言い聞かせて、
深呼吸してから遺体を拝んでみると、
そこには1ヶ月前にみた生前の祖父よりも幾分痩せた、
そして白く化粧をされた穏やかな表情の人が眠っていました。

もっと衝撃的なものを予想していた自分の心は穏やかになりました。
正直なところ「人の死に顔はこんなにも美しいのか」という印象でしたが、
それは生前に自分を可愛がってくれた祖父であったからかもしれません。

お通夜と告別式を経て火葬場に送られるまで、
何度顔を見たかわかりません。
今生の別れだったためしっかりと記憶に焼き付けたかったのです。

お通夜・告別式を通して、礼儀作法を知らない自分が、
焼香の仕方など様々なことを知りましたが、
そういった礼儀作法については、正直なんの感慨も湧きませんでした。
ただルールがあってそれに従って行動すれば良い、
そんな感情しか湧いてきませんでした。

実は僕自身は以前、生命とは何だろう?
命はどこにあるのか?いやないのか?モノなのか?別の何かなのか?
などということを考えていたことがあって、
その時に自分自身で納得した結論は、
「生命活動とは現象なのだ」というものでした。

モノが燃えること(発火現象)とよく似ていて、
発火現象でいう「火」に該当するのが「命」に相当するという考えです。
もちろん火はモノではありません。

火は熱エネルギーの集中が具現化した「発光」現象です。
これとよく似て、命もエネルギーです。
生命エネルギーという名前のエネルギーは、
現時点では物理学的には規定されていませんが、
ある種のエネルギーなのでしょう。

火というエネルギー集合体が、
「モノを燃やす」という活動でしか認識されないように、
命というエネルギーも生命活動でしか認識されません。
つまり命というエネルギーそれ自体は決して見えませんが、
「人が動く」とか「考える」とかいう現象を通して、
人は「そこに命がある」と認識できるわけです。

火がモノを燃やし尽くして灰にすると、
それ以上燃え続けることができず消えてしまうのと同様に、
命も身体を「燃やし尽くし」ます。

生きている間、命は身体を消費し続けますが、細胞が限界に達すると、
それ以上生命活動を行うことができず燃え尽きてしまう、
それが即ち、死である。

そんなところでしょう。

また意識とは「状態」なのでしょう。
命の正体が火と同様にエネルギーであることは、
思考の初期段階で分かりましたが、問題は「意識」のほうです。

一見すると「命=意識」のように考えてしまうかもしれませんが、
命はあくまで生命活動を続けるためのエネルギーの集合体です。
一方、意識とはその生命活動の際に、
身体の特定の部分(つまり脳のこと)が自らのことを認識すること、
「あ、俺いまここに存在している」と思考することです。

これは脳が電気信号を処理している最中に起きる、
様々な「化学反応そのもの」が「意識」という状態である
としか思えません。

なぜ「化学反応が意識という状態なのか?」と言われてもわかりません。

物体と物体の間に万有引力があることは知られていますが、
「なんで?」と言われると「いやそういうものだから」としか答えられません。
それが宇宙の原理としか言えません。
「意識」と「脳内の化学反応」が等価であるというのも、
「そういうものだから」としか言えません。

ただ一つ「脳」というそれなりに複雑な媒体がなければ、
そういった複雑な化学反応は起こせない、
もしくは起こすのが難しいのでしょう。
何らかの条件が揃った時に、「脳を介さずに」
そういう複雑な化学反応が起こせるのであれば、
幽霊だとか残留思念とかも存在するのかもしれません。

命に関してそのような考察をしていた自分にとって、
冷静に考えれば祖父の遺体は、過去に祖父を形作っていた一部ですが、
その遺体はもはや生命活動を終えた、灰にすぎません。
(宗教的な死生観はまた別の話)

当然、生命活動をしていない以上、脳の化学反応は停止しています。
そこに意識もあるはずがなく、
生命活動をし終えたその遺体が蘇ることもない。
言ってみれば完全に単なるタンパク質の塊にすぎないのですが、
そのタンパク質を弔う姿を滑稽に感じることもありませんでした。

なぜなら死者を弔う行為は、
「死者のためではなく生きている者のため」だからです。

死者はもう「者」ではなく「物」です。
意識という化学反応をしていないため自己認識もありません。
しかし生きている者には意識があり、
自分達の感覚で遺体をみて、未だに「物」ではなく「者」だと思っています。

つまり死者との「踏ん切り」をつけ「者」を「物」と認識するための儀式が、
「生きている者のための」お別れの儀式が、葬儀なのです。
その意味で「死者との別れの瞬間」というのは、
「臨終間際」ではなく「柩が火葬場で燃やされる」時なのです。

死者にとっては臨終した瞬間に全てが終わりですが、
生きている者にとっては、遺体というのはまだ生前の面影を留めています。
その面影が位牌にならない限り、
死者のことを「物」だと思えないのです。

それをよく表していると思った出来事がありました。

正直なところ祖父の死は、祖母にとっても子供達にとっても、
「仕方がないよね」で片付けられる出来事でした。
生前の祖父に対して愛情を持っていなかったわけではなく、
享年100歳という高齢であったからです。

また祖父自身も1年ほど前から、
「ワシはもう十分生きたからいつ死んでも良い」と言っていました。
第一次世界大戦の直前に生まれ、激動の昭和を生き抜き、
平成の世を25年間も生きた祖父には、
5人の子供、11人の孫、(現時点で)7人のひ孫がいました。
たしかに役割は十分に果たしていたため、悔いがないのも頷けます。
そしてこれはいまだ健在である93歳の祖母も同じ気持ちでしょう。

祖父のそんな気持ちを分かっていた子供達(僕らの親世代)は、
特に悲しむ様子もなく、実に淡々と葬儀をこなしているようでした。

一日目のお通夜は実に淡々と済み、
子供達は二日目の告別式の段取りを考える余裕もありましたが、
二日目の告別式が済み、出棺前の最期の別れがやってきて、
花を柩の中にたむける段階になった時、
それまで悲しむ様子もなかった僕の母が、
生前の父親との思い出を思い出したのか、突然泣き出しました。

周囲をはばかることもなく、大勢の人の前で号泣する姿は衝撃でした。

僕自身、母親の涙を見たのはこれが初めてです。
どちらかというと常に笑っていた母だったので、
泣く姿は僕にとっても姉にとっても相当な驚きでした。

母が泣きながら花をたむける姿を見るのは辛いものでしたが、
同時に親子の愛を感じる感動的なシーンでもありました。
それが徐々に周囲に伝わり、気がつくと他の親族も泣いていました。

男であった僕は必死に涙をこらえましたが、
正直なところおさえきれませんでした。

祖父の穏やかさや神仏に対する敬虔さ、
子孫に対する思いやり、時代を生き抜いた知恵は、
尊敬するのに十分だったので、生前に何度も叱られたことも含めて、
全てが尊いものに感じられたのです。

花をたむける時間が尊く、柩を閉める瞬間を少しでも延ばしたい。

祖父はそこにはもういません。
物がそこに置かれているだけなのですが、
それでも形を留めている限りは、生きている人にとっては者なのだというのを、
自分の感覚を通して実感した瞬間でした。

この時、誰よりも悲しかったのは70年間連れ添った祖母のはずです。

子孫にとっては祖父は一緒に暮らしている人ではありません。
それぞれの家庭があり、それが生活のメインです。
せいぜいお盆と正月に合うだけの祖父の死は、
自分達の生活のメインにいる人の死ではありません。

しかし祖母にとっては祖父との暮らしがメインです。
祖父の死を「仕方ない」と割り切ってはいても、
心にポッカリ穴が空いた感覚だったはずです。

その祖母が、大勢の親族が泣く中で泣かなかったことは印象的でした。
女性の親族の中では唯一だったと思います。
母をはじめ大勢の人たちの涙は尊いものでしたが、
祖母の気丈な姿はそれ以上に尊かった。

その祖母が見せた行動、それは全員の手で柩を閉める直前に置きました。
それまで微動だにしなかった祖母が、
祖父の遺体の頬に手を当て、祖父の感覚を確認したのです。
右手で左頬に、左手で右頬に触れしばらくその状態で動きませんでした。
時間にすると1分間くらいそのままの状態だったと思います。

柩を閉める瞬間だったのですが、その行為を止める人は誰もいない、
それまで泣いていた母は冷静さを取り戻す、
誰ひとり音も立てない、ただひたすら祖母の行為を見守り続けました。

今生の別れの際に見せた祖母の行為が、
誰のどんな行為よりも貴重で、絆を感じた瞬間でした。

これが70年間連れ添った夫婦なんだ…と。

この夫婦の子孫で良かったと思いました。
ひょっとすると祖父と祖母は生前に、
「自分はもう逝くが、お前だってそう長くはない、あの世でもまた会おう」
などと言い交わしていたかもしれません。

または長寿家系らしく、
「死んだら、その後のお前の余生は自分のために使ってくれ」と
言い交わしたのかもしれません。

真相は本人のみぞ知る、というところでしょうが、
この時の祖母は、祖父の思い全てを知っているような雰囲気でした。
「夫婦とはこうありたい」を体現したような二人でした。

火葬場での出来事は初めて遺体を見た時よりもずっと衝撃的でした。

出棺後、火葬場まで付き添い火葬炉に柩を入れ、
火葬が終わるまでの90分間は、待合室でくつろげたため、
そこで母親に「お母さんが泣くとは思わなかった」と言いました。

すると返ってきた答えは、
「自分でも思わなかった、父さんの死は仕方ないことで、悲しくなかったから」
とのことでした。

「その気持ちはわかるけど、じゃあ何故?」と聞くと、
「よくわからないけど、自分の魂が泣いた」などと、
カッコつけたようなことを言われました。

ちなみにこの時ついでに、喪主であった伯父に死因を尋ねたのですが、
伯父は「医療ミスではないか?」という気持ちを、
多少持っているようでした。
「適切に診断していればもう少し生きられたのでは?」
というものでした。

僕はそれを聞き、
「確かにそうかもしれない、本当に多少ではあるけど」
と返しました。

一方で、母親に聞いてみると、
「死因は医療ミスじゃない、父の体はもう限界で、どのみち持たなかった」
というものでした。僕は「うん、そうだね」と返しました。

伯父と母への反応の仕方に違いがあるのは、
僕に死因をことさら追求する気がなかったからです。
ただ単に葬儀で疲れている「子供達」の話を聞いて、
ストレス解消になればそれで良かったのです。

そうこうしているうちに火葬が終わり、
遺骨を収める段階になって、初めて遺灰というものを目にしました。
驚いたのはこの瞬間です。

僕はてっきり火葬が終わった後は、火葬場のスタッフが遺骨を瓶に入れてくれて、
その瓶を手渡されるものだと思っていたのですが、
それは勘違いで「焼きたての骨」がそのまま火葬炉から出てきました。
「そのままの姿勢で」です。

これには背筋が凍りつきました。
そのままの姿勢といっても、火葬炉はかなりの高温のようで、
ガイコツのように骨盤がハッキリ残っているわけではありません。
しかし素人目にみても、
「この部分は手でこの部分は足だ」くらいは分かりました。

死んだとはいえ思い出に刻まれている祖父が焼き尽くされた姿をみると、
嫌がおうにも「これは物だ」と思うしかありませんでした。
あの場面でまだ「者」だと認識することは、
精神的に耐えられなかったのです。

孫の世代で火葬場まで付き添ったのは4人でしたが、
4人とも初めての経験にショックを隠せませんでした。
「いつかは誰もがこうなる」というのを知ると、
人々が神仏にすがる気持ちが理解できました。

瓶に遺骨を収める行為もまた衝撃でした。

二人ひと組で箸で遺骨を掴んで瓶に収めるのですが、
火葬場のスタッフが逐一、
「ここは手首です、ここは肋骨です、顎の骨です、親指です」などと、
説明してくるのです。
可能な限り想像したくない、物だと思いたいのに…

それを聞きながら、尊厳を持って収めるのがしきたりなのでしょうが、
心の底から「黙れ!」と叫びたい気持ちでした。

後で両親にその時の心境を吐露しましたが、
両親は至って平気だったそうです。
理由はこれまでに何度か立ち会ったことがあるからでした。
孫世代と違って、子世代は経験が豊富だったため、
心の準備や持ち方が違い、十分に対応可能だったのです。

これも経験か…とますます自分の人生の薄さを感じました。

その後はあまり覚えていません。
最近の葬儀は初七日を同時に行なってしまうらしく、
葬儀場に戻った後で初七日を執り行った後で、
食事をして解散となりました。

思ったのは、「こんな時くらい精進料理にしろ!」でした。

もう一つ、さっきまで祖父の写真が飾られていた葬儀会場には、
早速別の人の写真が飾られていました。
手馴れたものというかなんというか、葬儀場の人にとっては、
一つの案件にすぎないのだと実感させられました。

次の人の写真をぱっとみた印象ですが、随分若い人のようでした。
「この人の葬儀は僕らほど冷静にはできないだろうな」と思いました。
死者が生前に遺した悔いは、弔う側にとっても悔いなのです。


終わってみて思ったこと。
今回の葬儀、それは「思ったより悲しくないが思ったより悲しい」という、
二つの相反する思いが交差するものでした。

妙に神妙な感覚が続いていましたが、全体を通してみると、
初体験による衝撃を除けば穏やかな気持ちで、
祖父との別れができたと思います。

それこそが祖父が子孫に残した偉大な功績だったと思います。

この功績を残せる人はそう多くはありませんが、
しかし少なくとも残せるように努力しなければなりません。
それはつまり「悔いを残さないようによく生きること」
「本人が納得して死ぬこと」「決して親より早く死なないこと」
それに尽きると思います。
6_6)y-*~

いやなんか時間が空いてしまってすいません。
今回からいよいよGDPの測定方法を考えてみます。

まずこれまでの経緯をまとめると、
GDPには量と質があり現行の制度のように、
GDPの額面(つまり量)だけを見ても、
豊かさや国力を測れないということでした。

GDPの量とはGDPの額面そのものであり、これは理解しやすいけれど、
重要なのはそのGDPが計上された時に、
どのような付加価値が生み出されたのか?ということであって、
これをGDPの質と呼ぶことにしたわけです。

たとえば1億円かけて川に橋を架けるのと、
1億円かけて人民(中国を意識しています)を弾圧するのでは、
生み出された「付加価値の質」が全く違います。

また一見同じような付加価値でも、
1億円で橋を一本しかかけられない業者と、二本かけられる業者では、
やっぱり付加価値の質は異なると言えるでしょう。
(密度が違うといえば良いと思います。)

このことから付加価値というのは以下のようなものだということが分かります。
・付加価値には大きさがある(量)
・付加価値には向きがある(質)
・付加価値には密度がある(質)

つまり付加価値というのは「ベクトル」なわけです。
以後はこれを「付加価値ベクトル」と呼ぶことにします。

本来のベクトルは「長さ」と「向き」しかありませんが、
付加価値ベクトルの「大きさ」「向き」「密度」は、
一般的なベクトルでいえば何に対応するのでしょうか?

おそらくこうなることでしょう。

1. 付加価値ベクトルの「大きさ」→ベクトルの「長さ」
2. 付加価値ベクトルの「向き」→ベクトルの「向き」
3. 付加価値ベクトルの「密度」→ベクトルには対応するものがない

3の密度は本来ベクトルには存在しない概念ですので、
通常のベクトルでは、これに該当する要素はありません。
しかしそれでは議論にならないので、
ここで新しくベクトルに「太さ」を持たせることにします。
(ベクトルの矢印にも「太い矢印」と「細い矢印」があるという意味です。)

そして付加価値ベクトルの「密度」を、ベクトルの「太さ」に対応させましょう。
(3. 付加価値ベクトルの「密度」→ベクトルの「太さ」)

ベクトルに太さを持たせたからには、
そのベクトルは「長さ」と「太さ」を持っているため、
必然的に「面積」が存在することになります。
となると細くて長いベクトルと、太くて短いベクトルの面積が、
一致することもあるでしょう。

これを現実社会で例えると、
「1億円で一本の橋しかかけられない業者が、2億円で二本かけた」のが細くて長いベクトルで、
「1億円で二本の橋をかけられる業者が、1億円で二本かけた」のが太くて短いベクトルなわけです。

どちらも橋をかけるという行為なので、付加価値ベクトルの「向き」は同じです。

前者は後者よりも効率が悪いのですが、
それを2億円という額面の大きさ、つまり付加価値ベクトルの長さで補って、
「橋二本」という付加価値を生み出したわけです。

一方後者は額面は1億円なので、付加価値ベクトルの長さは短いのですが、
効率が良いため「太さ」は二倍となります。
その太さで補って「橋二本」という付加価値を生み出したわけです。

となると付加価値ベクトルの「面積」は何を表しているのでしょうか?
考えてみれば分かると思いますが、
生み出された付加価値そのもの、ということになります。
つまり「橋二本」という成果物なわけです。

4. 付加価値ベクトルの「面積」が等しいなら、生み出された成果物も等しい。

これが重要だと思うのです。
現行のGDPの考え方では付加価値の「向き」と「太さ」は無視され、
付加価値の「長さ」だけをひたすら足しまくって、
「はいこれがGDP(付加価値の総和)ね!」と表現していたため、
いったいどれほどの成果物ができたのか、
さっぱりわかりませんでした。

しかし「向き」「太さ」を考慮することで、
成果物がどれほどのモノなのか?が分かるようになるわけです。

----- まとめ -----
・付加価値は「長さ」「太さ」「向き」を持ったベクトル(=付加価値ベクトル)である
・付加価値ベクトルの面積が成果物を表す
・付加価値ベクトルの「向き」と「面積」が等しいなら同じ成果物とみなせる
--------------------

次回からは付加価値ベクトルを実際に描写してみて、
理解を深めていきたいと思います。
6_6)y-*~

どうもどうも、昨日は途中で力尽きてしまいました。
途中から再開します。

2.指導者と民衆の格差が拡大するとGDPの効率が下がる(の続き)

指導者と民衆の向いている方向が違うとGDPの質が下がる理由は、
「民衆を押さえつけるためにGDPを使う」
「GDPを上げることで納得させようとする」ということで、
質を顧みないからでした。(というのが前回の話)

このことから明らかになってくるのは、
「GDPの質というのは大きさと向きを持っている」ということです。
これに対してGDPの量というのは、
要するに今までのGDPと同じことなのでただの数字です。
(だからこそどういう使い方をしようが加算される)

つまり数学的なことをいえば、
・GDPの量→スカラー
・GDPの質→ベクトル
ということになります。なので最終的なGDPの質量もベクトルです。

GDP質量(ベクトル) = GDP量(スカラー)×GDP質(ベクトル)

この式の中でGDP量というのは、既に計算の仕方が分かっていますが、
GDP質は明確な計算式がわかりません。
(というより決めていません)

「GDPの質について②」のコメント欄で、
きたセンセと色々と話してたのはこの部分です。
イメージ的には[cosθ]というのは非常に的を射ていると思ますが、
これだけだと「向き」しか定義されないので、
大きさの部分も考慮する必要があると思います。
ここはまた後で書きます。

さて、この「2」の問題は思いっきり根が深いというか、
もう一つ問題があります。
「指導者と民衆の格差が拡がる」というのは、
GDPの質だけではなく、GDPの量(つまり既存のGDP)にも影響を与えます。

たとえば10億円のお金と100人の人がいた場合、
均等に配分すれば、一人につき1000万円貰えることになります。
これを「一年間で全部使いきれるか?」と言われれば、
まぁ使い切れるでしょう。

しかしこれを均等ではなく思いっきり差をつけて配分したらどうでしょう?
「99人で1億円を分けて、残り1人が9億円もらう」
なんていう配分の仕方をすれば、
99人は一年間を100万円ちょっとで過ごさなければなりません。
結構節約しなければキツイですよね?

ではその代わりに「残った一人が9億円を一年間で使いきれるか」というと、
1年間で9億使い切れるようなスゴいヤツはそうそういません。
つまり100人分の消費を一人で肩代わりできないのです。

その意味でも格差が拡がると、GDPの量までも下げることになります。

3. 外国との付き合いが悪くなるとGDPの質は下がる
ハッキリいって自国内でなんでもかんでも作れる国はそうそうありません。
今の世界を見渡した時、それに一番近いのは日本だと思っています。
日本は資源はありませんが、それ以外のありとあらゆる物を生産しています。
産業が非常に多岐に渡っており、このサプライチェーンの複雑さが、
日本の大きな強みになっています。

ま、それはいいとして完全な社会主義の国は、
通常、五カ年計画とかで決めた物しか作りませんので、
それだけでは国内で必要な物資を満たせず、
ない物はどうしても海外から輸入する必要があります。
しかし外国と付き合い過ぎると、せっかく自国で作った生産物が、
コスト競争力で負けてしまいます。

だから思いっきり関税をかけて保護貿易化することになりますが、
そうなるとやはり物資の価格がどうしても高くなりがちです。
これはGDPの質を考えた時、決定的にマズい。
材料費が高ければ、最終的な値段も高くなります。
となるとGDPの質は低くなってしまいます。

4. GDPを操作可能になるとGDPの質は下がる
これはもう明らかですよね。
計画経済において発注者が自由に額を決めれるのなら、
「高い値段で事業を発注して目標GDPを達成したと言い張る」に決まっています。
しかもマージンが賄賂として返ってくるんだから、
やらないわけがありません。

5. 腐敗が進んで権力闘争が激しくなるとGDPの質が下がる
腐敗が進むと、「本来のGDPに貢献する使い方とは別のところでお金が動く」ため、
GDPの質が下がるのは資本主義と同様です。

そして権力闘争でもGDPの質は下がるでしょう。
基本的に争いごとにお金を使うのは、
お互いの生命及び財産を相殺しあう行為ですので下がるはずです。

6. 急激なインフレに陥りやすい
これとGDPの質の関係は、
「GDPの質が下がるとインフレになり、インフレになるとGDPの質が下がる」という、
スパイラルの関係になっているのだと思います。
GDPの量だけ増えたけど(たくさんお金を使ったけど)、
でも実際の生産物はたったこれだけでした、、となると、
インフレはドンドン進みます。

そしてインフレが進めば進むほどモノの値段が上がる、
つまり生産材料の価格が上がるため、
ますます生産したものの単価は高くなる、つまりGDPの質が下がっていくでしょう。

ちなみにインフレが進む場合、
通常ならドルベースで換算した場合のGDPは「ガクーン」と減るはずです。
しかし基軸通貨に対して「固定相場制」になっている国は、
国内でインフレが進んで通貨の価値が減ろうが、
ドル換算値は「1ドルいくら」というのを維持したままなので減りません。
(ある意味反則技といえる)

普通は規模の小さな発展途上国が、ある程度の経済成長を遂げるまで、
輸出競争力を維持するための「ハンデ」として、
固定相場制は認められるものですが、
中には世界第二位のGDPを達成しながらも、
ドルを自国通貨で売り買いして意図的に固定している国もあります。
どこの国のことかは…まぁ分かりますよね。

あの国の通貨は2008年くらいまでは、
「輸出競争力を維持するためにドルに対して固定」していたと思います。
つまりあくまで自国通貨「安」にしていたのです。

しかしその後のムチャクチャな乱脈投資によって、
今では「自国通貨が紙屑にならないようにドルに対して固定」
しているのだと思います。
つまり自国通貨「高」を維持しているのでしょう。

つまり中国の発表している「日本を超えたぞ~!」
と自慢しているGDPは、インフレのおかげで達成されたようなものです。
その分、GDPの質が下がっているのは明白です。

片や変動相場制の日本、片や(実質的に)固定相場制、
あるいは非常にゆっくりとしか変動しないように為替操作している中国、
この二つのGDPをそのまま比較しているわけです。

この意味でもGDPを量で比較することの無意味さが分かるでしょう。
これに対してGDP質量ならインフレも考慮できます。

7. 社会的な動乱が頻発するとGDPの質が下がる
これはもう分かると思うので、割愛します。

8. 指導者に主権があると民衆にとってのGDPの質が下がる
どの国にも政治腐敗は付き物とはいえ、民主主義の国ならば、
「国が目指す将来」は、「国民の望む将来」と大きくずれることはありません。

しかし指導者に主権がる場合、
たとえば中国のように共産党に主権がある場合、
「国が目指す将来」と「国民の望む将来」が、結構ずれます。
このズレ角を「θ」と言っていたわけです。

先ほども言ったとおり、「GDPの質」には向きがありますので、
このずれ角(θ)が開けば開くほど、
国民からみてGDPの質は下がってしまいます。
もしズレ角「θ」が180°だったとすると、
それは「弾圧する側とされる側」の関係なのでしょう。

ちなみに中国の場合、共産党員は中国人全体の8%程度です。
思いっきり末端の党員も含めてこの程度で、
実際に政治的影響力を持っているのは、
さらにその1割と言われているため、
要は「全体の1%未満の人間のための方向か…」ということになります。

9. 人治国家だとGDPの質が下がる
これは要するに法整備が行き届いていない、
あるいは建前上、法律があったとしても指導者の一言で、
どうとでも変更させられるということです。

まず最もこういう国を嫌うのは、外国から進出してくる企業です。
何を基準にして動けば良いのか分からないので、
自分達の財産がある日突然差し押されられても、文句いえません。

というか完全な社会主義国家なら、
外国企業の入り込む余地がないので、それはそれで良いのですが、
「社会主義と資本主義が中途半端に混在している国」だと、
こういうことが起きます。

ちなみにこういうことは資本主義の国であっても、
特定のイデオロギーが法律を凌駕している国でも起きえます。
そんなような国が日本の近くにありましたね。
「法律で決まってる?知るかとにかく反日だ!」みたいに、
法律より反日を優先させられると、日本企業は進出できません。

こういう場合、それでも進出したい外国企業は、
リスクを覚悟で進出しますが、そこで権利が保障されるように、
指導者に「袖の下」を渡す必要があります。
(指導者が法律の決定を覆せるんだから)

となるとせっかくのお金がフルで生産に回せず、
かなりの額が賄賂に消えてしまうため、やはりGDPの質は低下します。

それとこの状況は何も外国企業に限った話ではなく、
国内の企業だって賄賂を渡さなければ、
有利な処置を出してもらえませんので、やっぱり賄賂渡すことになります。

ぶっちゃけ賄賂が「悪いこと」という意識じゃなくて、
「諸経費」の一種と化しているのかもしれません。

----------------
とりあえず思いつくのはこんなところでしょうか。
次はいろんな事例を集めて式を考えてみようと思います。
6_6)y-*~

いや~、なかなか一から考えるのは難しいっすね。
「GDPの質について」シリーズパート4です。

社会主義ってのはツッコミどころが多すぎて、
経済以前に政治について考えなくてはならないのです。
さて、社会主義が本質的に内包しているもので、
なんとか分かったのは以下の9個でした。

1. 生産効率が悪い
2. 指導者とその他の民衆の格差が拡がる
3. 外国との付き合いが薄くなる
4. GDPをいくらでも操作可能
5. 腐敗が進んで権力闘争が激しくなる
6. 急激なインフレに陥りやすい
7. 社会的な動乱が頻発する
8. 指導者に主権がある
9. 人治国家になる

これがGDPの質にどう影響するのかを考えてみます。

1. 生産効率が悪いとGDPの質が下がる

これはもう当たり前ですね。
というより「生産効率が悪い」を言い換えたのが「GDPの質が悪い」ですから。
差をつけすぎるのは決して良くないけど、
さすがに頑張った人と頑張らなかった人の評価が同じじゃ、
やる気が起きるわけがないし、
自然淘汰されない仕組みじゃ生産性のないゾンビ産業を残すことになります。
(ゾンビ産業とは国そのもの)

2.指導者と民衆の格差が拡大するとGDPの効率が下がる

これにはいくつかの理由がありますが、
まず頑張っても豊かになるのは指導者のみという構図では、
民衆が働かないということ。
これは1と同じく「やる気」の問題です。

そしてもう一つはかなり重要なことだけど、
「何のための生産活動をしているのか?」ということです。
指導者はもちろん国家の進むべき方向を考えて、
生産計画を立てるけど(計画経済)、
その「国家の進むべき方向」を決めるのも指導者なので、
必然的に「体制維持」の要素が含まれます。

たしかに「体制維持」のための進むべき道を、
「民主化」だと考える指導者もいるかもしれません。
民主化して暮らしやすい国にすれば、
国民はその国を守ろうとしますので。

しかし民主化すると今度は民衆から国民になった人々が、
豊かになる権利を主張しはじめて、
指導者と国民の間の格差を否定しはじめます。
ゆくゆくは体制崩壊に繋がるでしょう。

となると結局指導者のとる道は以下の2つです。
・民衆を弾圧するためにお金を使う。
・とにかく民衆を納得させるためにGDP(GDP量)を増やす。

民衆を弾圧するための武装警察にお金を使っているとしたら、
それはGDPの質が高いと言えるのでしょうか?

こういった使い方を「質が高い」と思えるのは、
あくまで「体制側の人間」からみた場合であって、
「反体制側」からみれば「質が低い」を通り越して、
「質がマイナス」となってしまいます。
これはGDPが上がったことで、豊かになるどころか、
かえって自分達の生命と財産が脅かされるということを意味します。

また民衆の不満を抑えるために、
とにかくなんでもかんでもGDPを上げようとすると、
GDP10%などと大きすぎる目標を立てることになり、
それをもとにして動くと、

・わざとお金を多く使う
・意味のないモノを作る

ということが当然のように頻発します。
通常のGDPの考え方だと、これらは全てプラスされてしまいますが、
これでは「豊かさ」あるいは「国力」を表す指標にはなりません。

弾圧された民衆の財産はどんどん減りますがGDPは増えます。

砂漠の真ん中に不動産立てても誰も住むわけがなく、
社会資本として役にたちませんがGDPは増えます。
これを僕はお金を使って意味のないことをしたという意味で、
「穴掘り埋め立て事業」(穴を掘ってまた埋める)と呼んでいます。

他にも貨物輸送量を上げるために、
「同じ貨物を出発地点から目的地まで2往復させる」とかも、
穴掘り埋め立て事業の一種です。

こういったのGDPの考え方の欠陥をついたのが中国です。
これまでのGDP上位の先進国は、
皆すべからく資本主義の国だったので、
GDPという指標が問題になることはありませんでしたが、
社会主義の名残を強く残す中国の台頭によって、
段々と齟齬が生じるようになってきました。

これを解決しようという試みから「GDPの質」の議論が始まったわけです。

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すいません、今日は眠くて仕方ないっす。
続きはまた今度!
6_6)y-*~

前回までのあらすじ

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・GDPは質と量の両方で見る必要がある
・GDPの質はその国の経済の形態によって異なる
・一般的には資本主義の方が社会主義よりも質が高い
・市場原理と競争原理が成り立つ場合質が高くなりやすい

「資本主義について」
・競合他社がいない寡占・独占状態では質が下がり安い
・過保護な産業は質が下がり安い
・公共事業は一般的に質が低い
・政府は質の低い公共事業でも必要ならばやる必要がある
・腐敗はGDPの質を下げる、生産とは別のところにお金が配分されるため
・適正インフレ下で景気循環を繰り返している時は質・量ともに上昇する
・過度な景気過熱はGDPの質を下げる
・不況時はGDPの質が上がることもあるが国民性による
・「勤勉さ」「国家全体の家族意識」がGDPの質に貢献
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今回は社会主義の場合を考えてみます。

ここでちょっと断っておきたいのですが、
前回は資本主義の場合について考えたからといって、
必ずしも資本主義の国でしか成立しないというわけではありません。
同じような状況にあれば主義に関わらず起きるはずですし、
逆に今回の社会主義で列挙したことが、
資本主義で起きる可能性もあります。

さて社会主義の特徴といえば、

・民間企業がない
・国の指導者の下で他の全員が平等に賃金をもらう
・国が生産するものとその量を決める
・国が価格を決める
・国が「生産する・しない」を決めるので自然淘汰が起きない
・国民に選択の余地はない
・平等とは機会平等ではなく結果平等

こんなところでしょうか。
経済感覚を持った人ならこの列挙を見ただけで、
「うわ!効率悪そう」と思うことでしょう。(実際悪い)

GDPの質を考えるために、
まずは「放っておくとどうなるのか?」ということを考えましょう。
社会主義を人の欲望のままに任せておくと、どんな結果になるでしょうか?

1. 生産効率が悪い
誰もが真っ先に思いつくはずです。
一生懸命働こうが働くまいが給料同じなら、絶対にサボります。

しかも一握りの指導者からみれば、残りはただの人足ですので、
能力のある人間も上に登ることは困難です。
なぜなら能力に応じて出世していくことは、
資本主義の自由競争そのものであって、
階級を否定する社会主義とは相容れない。

有能な人間が出世できないのであれば、効率の上がりようがありません。

2. 指導者とその他の民衆の格差が拡がる
これも言われれば分かると思います。
社会主義はそもそも全員が国に雇われているようなものですが、
「雇う側」がいないことにははじまりません。

生産計画を立てるのも、給料の配分を決めるのも、
この「雇う側」つまり指導者ですので、究極のワンマン社長になります。
まるでロシアのロマノフ王朝、中国の歴代王朝のような体制、
つまり皇帝とその他の農奴に等しい民衆、
という構図になりそうです。(実際そうなった)

そう考えるとソ連や中国が「なぜ社会主義になったのか?」
という理由が分かる気がします。
要するに王朝国家ゆえに貧富の差が広がりすぎて、
耐え切れなくなって革命を起こしたのでしょう。

そんな状況なら「全員平等の社会主義」は、
いかにも耳障りがよく民衆の熱烈な支持を集めるには、
これ以上ないスローガンだったことでしょう。

しかし革命起こしたは良いけど、その後の社会主義体制が、
王朝と本質的に全く変わらないものだったのは、
なんという皮肉だろう…と思いますね。
というよりレーニンや毛沢東にしてみれば、
始めから分かっててあえて農民を味方につけるために、
「平等」の皮を被ったとも言えます。

レーニンなんかは後のスターリン以上に政敵を粛清していますし、
毛沢東に至ってはプロパガンダ作りの天才です。
プロパガンダだけで数千万人の「自国民」を殺戮していますから。
はじめから支配するために猫かぶってた可能性があります。

なお、これを書いてて思い出しましたが、
資本主義でも行き過ぎると貧富の差が拡がります。

自由競争は初めのうち機会平等が与えられますが、
いったん差がつくと、国が「再分配」を行わない限り、
豊かになった人間がその資金力で、
自国の政治・経済に影響力を及ぼし始めます。

そうやってさらに自分に有利な法律や体制を作らせることで、
ますます競争に有利になっていきます。
となると社会主義と資本主義の行き着く先は、
右回りか左回りかの違いだけで、
結局は同じところに到達すると言えそうです。

アメリカと中国のどちらもが貧富の格差が激しく拡がっているのは、
このあたりが理由なのでしょう。
日本でも徐々に格差は拡がっていますが、
もともとの国民性のおかげなのか、まだマシな状況にあります。

3. 外国との付き合いが薄くなる
これはちょっとわかりにくいかもしれませんが、
よく考えてみると見えてきます。
社会主義では生産効率が非常に悪い、ここまでは良いですよね?

となると資本主義国家の生産力や製品の質には、
到底太刀打ちできませんので、貿易したら絶対に負けます。
せっかく作った物を国民に売ろうとしても、
同じ物でより品質の高い物が外国から入ってきたら、
国は物を売れなくなります。

となると資本主義の国から、あまり多くの物が入ってきてほしくない。
そのため貿易に強力な保護をかけるでしょう。
また一方の資本主義国家は、
社会主義国家の作った劣悪な製品など必要ありませんので、
輸入も輸出も滞ってしまいます。

つまり社会主義だと「孤独な国家」になり安いと言えそうです。
あえていえば中国とソ連のように、
社会主義国家同士なら「品質はお互い様」なので、
付き合いが出てくるかもしれません。

4. GDPをいくらでも操作可能

この事実はかなり重要です。
国(の一握りの指導者)が生産するものやその量、値段を決めるということは、
何にいくらかけても良いので、GDPを2倍にしたいと思えば、
「今年は去年の2倍のコストをかけて作れ」とか命令すれば、
それでGDP2倍を達成できてしまいます。

もちろん同じ生産量で2倍のコストをかけたら、
「生産効率が悪くなる」わけで、急激なインフレを招きますが、
額面上(名目GDP)は2倍になります。

先に言っておくと中国のGDPの急激な増加はまさにこれです。
日本を超えたと言っているのは、この意味のない数字なのです。

自分達で「GDPを10%成長させる」とか先に決めてから、
その後でそうなるように発注額を決めているので、
達成できて当たり前です。
しかし生産性は逆に低下します。

僕が「GDPは質と量の両方を見る必要がある」といっているのはそのためです。
最終的には「GDP量×GDP質(=GDP質量)」が、
その国の国力を表すことになります。

5. 腐敗が進んで権力闘争が激しくなる

GDP量を伸ばそうとすれば「2倍のコストをかければ良い」と言いましたが、
仮に本来100億もあれば十分な事業を、
200億で発注したとすればどうなるでしょう?

まず受注された側、つまり旧ソ連ならコルホーズやソフホーズ、
改革開放前の中国なら人民公社、今の中国なら国営企業が、
生産内容よりも極端に多くのお金をもらったことになります。

ぶっちゃけ大儲けです。
となると当然、発注した側にもなんらかの見返りがあって当然です。

要するに悪代官(共産党)と越後屋(国営企業)の関係で、
越後屋が儲けた分、悪代官に分け前を払うわけです。
いってみれば単なる賄賂なので、本来GDP量に反映するべきではないけど、
それでも帳簿上は「交際費」などとしてしまえば、
GDP量になります。

こんな美味しい手口を使わないてはありませんので、
権力あるところに必ず腐敗は進みます。
また、そんな美味しい立場なら誰の目からみても魅力的なので、
権力闘争は資本主義のそれに比べて、極端に激しくなります。

6. 急激なインフレに陥りやすい
生産制が低いのに、「権力者の袖の下」を伸ばすために、
大量のお金を発行しまくってジャブジャブ供給したら、
当たり前ですが急激なインフレが起きます。
それによってますます一般の民衆の生活は苦しくなります。

7. 社会的な動乱が頻発する
民衆にしてみれば自分達が貧乏なままなのに、
インフレだけが進んだらますます生活が苦しくなります。
しかもそれが悪代官と越後屋の私腹を肥やすためとなると、
怒りが湧いてきて当然です。

しかも激しい権力闘争をしている指導者達は、
とにかく民衆を扇動して、相手を倒そうとします。
そうなるとお墨付きを与えられた民衆は動乱を頻発させます。

8. 指導者に主権がある
この体制を維持するためには、民衆に主権を与えるなどもってのほかです。
与えたら間違いなく選挙で落とされるからです。
維持するには主権を自分達に集めておくしかありません。

9. 人治国家になる
法律を制定すると時として指導者自身がそれに制限されます。
それが法治国家の常識ですが、指導者に主権があって、
指導者の好き勝手にできる国であれば、
法律などあっても意味がありません。

法律というのはあくまで民衆を押さえつけるためであって、
指導者の一声は法律を凌駕するでしょう。

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さすがに長いので、社会主義は次回に続きます。


6_6)y-*~


前回のあらすじ:

・GDPについて考える時は量と質の両方が大切である。
・GDPの質はその国の経済の形態によって違う。
・資本主義の方が社会主義よりもGDPの質が高くなりやすい。

前回に引き続きGDPの質についての話です。

実はこの話はまだあまり考えている人がいないので、
それだけに強い思い入れがあります。


「量」に主眼をおいた普通の経済論は調査・研究が進んでいて、
その真偽はともかく情報としては溢れかえっているけど、
「質」に主眼をおいた話はそうでもない。

てことはこれについて理論体系を組み上げていけば、
結構画期的な発見になるんじゃないかと思うのです(笑)


え!?ひょっとして出版社に持っていったら本になったりする?


というわけでやる気満々なのです。


前回は「資本主義と社会主義のどちらがGDPの質が高いか?」
ということで、経済システムを考える限り、
市場原理を内包している資本主義の方が、
社会主義に比べてGDPの質を高めやすいだろう、ということでした。


今回はそこからもう少し掘り下げてみようと思います。


資本主義ならそれだけで良いのか?
社会主義ならそれだけで悪いのか?

ということに注目しましょう。


---------------

まずは資本主義から。


市場原理についてその特徴を簡単にいえば、
以下の3つに集約されると思います。


・生産者に競合他社というライバルがいる
・消費者はたくさんの製品の中から自由に選択することができる
・選択されたなかった製品は淘汰されていく


この3つの特徴を持っているからこそ、
生産者はできるだけ良いものを安く提供する必要もあります。
こういった企業努力と消費者の商品を見る目こそが、
GDPの質を高めるのにプラスに作用しているのでしょう。


となると裏を返せば、3つの特徴のうちどれかが欠けた状態なら、
それがGDPの質を低下させる要因になるのでは?
と思えてきます。


ということでとりあえず全部ひっくり返してみます。


(1) 生産者に競合他社がいない
(2) 消費者選択の自由がない
(3) 選択されなくても生産者は自然淘汰されない

まるで社会主義の特徴のようにも見えますが、
現実には資本主義の国でもこういうことは起こります。



(1) 生産者に競合他社がいない について
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こういった状態として真っ先に思いつくのは、
ある分野において「独占・寡占」が起きている場合でしょう。


この場合いくら高い値段で売っても、
消費者は必要ならばその製品を購入するしかありません。
つまり(2)の状態にも陥ることになり、
二重の意味でGDPの質が下がってしまいます。


たとえば家庭用ゲーム機の分野で任天堂だけが生き残ったとして、
昨日まで15000円だったゲーム機本体を、
今日から20000円に値上げしたとします。
(本当の任天堂はこんな酷い会社じゃありません…多分)


そうなるとゲーム機を購入する際に発生するGDPは、
現行の経済学の定義からすれば、昨日までより5000円も大きくなり、
一応経済成長したとみなされますが、
それで国が豊かになったといえるのか?と問われると、
誰もが違和感を抱くはずです。


生み出された付加価値を製品自体に着目してみると、
昨日と今日ではまったく変わらないのに、
それと交換される「お金」に着目すると、付加価値が大きくなったようにみえます。


それを解決するのがGDPの質という概念なわけです。
(あくまで自分で勝手に作った概念ですので)


同じ製品が15000円から20000円に、つまり4/3倍に値上がりしたとすれば、
GDPの質としては逆にそれまでの3/4に下がってしまったとみなすわけです。


------------------
昨日まで:
GDP質量 = GDP量(15000円)×GDP質(1)


今日から:
GDP質量 = GDP量(20000円)×GDP質(3/4)
------------------


現行の経済学でGDPと呼んでいるものは、
上の式では「GDP量」に該当します。
そして実際に生成された付加価値の大きさは「GDP質量」です。


そして「GDP量」に今回注目している「GDP質」をかければ、
「GDP質量」は昨日と今日で一定に保たれています。


もし任天堂が得よりも徳を重視する善良な会社で、
競合他社を駆逐したからといって、値上げをしなかった場合や、
逆に気分を良くして「日頃のご愛顧に感謝して」値下げをした場合は、
逆にGDP量が下がって、GDP質が上がることになります。


そのため個々の事例がどうなるかは定まっていないものの、
企業の目的が利益を上げることである以上、
全体的には値上げをする可能性の方が高いと思います。


また直接的に現行製品を値上げしなくても、
新しく開発される製品などは、値段設定を自由にできるため、
やはり競合他社はいた方が良さそうです。



結論①:競合他社がいないとGDPの質が下がりやすい
(あくまで可能性)



ちなみに競合他社がいない場合というのは、
法律でその分野が過剰に保護されている場合にも当てはまります。


国として「力を入れたい・育成したい産業」は、
保護されていることが多いのですが、
こうなると「競争しなくても生きていける」という状態になり、
やがて(3)でいうように自然淘汰されなくなり、
やはり真剣に製品の質を上げようとしなくなります。


ただ一つ断っておきますが、
国が産業を育てるために特定分野を保護することそれ自体は、
「必要なこと」だと思っています。


分野によっては新規参入するにはコストがかかりすぎるが、
いったん軌道に乗れば国家のキラーコンテンツになるものもあります。
そういうものを育てるにはむしろ積極的に保護して、
新規参入を促すべきです。


ただし「いつまでもそのまま」というわけにはいかないと思うわけです。


そこは時と場合によって違いますが、
新規参入は支援するが、軌道に乗ったら保護を全て解除する、とか、
保護は続けるがエコポイントのように、条件付き保護に切り替える、とか、
その時々に応じて手段を変えていくべきです。
とにかく単に保護し続けると、いずれは質が下がっていくでしょう。



結論②:過保護な産業分野はGDPの質が下がりやすい



さらにもう一つ、社会主義の例をみればわかりますが、
親方日の丸の公共事業も、GDPの質は下がり安いでしょう。


なにしろ政府の公共事業は、利益を出す必要がありません。
というかむしろ利益が出るような事業は、
民間企業に任せて好き勝手に開発させるべきです。


公共事業として行うべきことは、
・橋や道路、学校のように公共性の高いもの
・軍事や社会保障のように国の根幹に関わるもの
・利益が出ずに参入できない(が必要な)もの


です。
要は、民間にやられたら逆に他の人が迷惑かかるものとか、
民間にやられたら国のあり方を勝手に変えられてしまうものとか、
そもそも必要だけど民間が参入しなさそうなものです。


資本主義ではあくまで民間企業が主役であって、
政府はその経済活動を阻害しないように、
サポート役になるべきですので、こういう汚れ役をやることは、
少しも不思議じゃない、というかむしろあるべき姿なのです。


つまりもともと公共事業は利益の出る・出ないで、
行うものではなく、必要だからやるのです。


そしてそれを担保するために徴税権だとか通貨発行権だとか、
普通に考えたら反則技としか思えない権利が、
国には認められているわけです。


むしろ利益が出る段階になったら、
「新規参入の難しさゆえに」国が公共事業としてやっていたものは、
民間に払い下げていった方が良いでしょう。


なにしろ民間企業は利益を出すことが目的なので、
真剣に質を上げる手段を考えてくれるでしょう。
ただしその場合でも寡占・独占状態は気をつけるべきです。
(公共性の高いもの、国のあり方を変えるものは払い下げてはダメ)


そういった意味で旧国鉄を何社かに分割して払い下げたのは、
全体的にみると正解だったと思います。
いくつかの弊害はあるのかもしれませんが、
旧国鉄は大赤字だったから払い下げたという論調は、
いまいち納得できません。


正確には作ってから数年間は利益が回収できず大赤字だったが、
運用やメンテナンスが軌道に乗ってきて、
利益を出せる段階になって何社かに分割して払い下げた、
というのが正解でしょう。


ちなみに「穴を掘ってまた埋める」みたいな意味のない公共事業や、
子供手当てのように所得移転をするだけで、
それだけでは付加価値を生み出さないものは、
やはりGDPの質を落とすでしょう。


生活保護などのように、付加価値を生み出さないと分かっていても、
国民の生命及び財産を守るためにどうしても必要なものならともかく、
意味の無いバラマキはするべきではありません。


なおそもそも違法ではあるものの、
賄賂などもGDPの質を下げるでしょう。
もっというと政治腐敗が、GDPの質を下げるといっても良いでしょう。


たとえば国が道路公団に道路工事を発注する場合に、
本当なら100億で済むような工事を、便宜上200億で発注しておいて、
不当に道路公団を儲けさせたとします。


その後で受注した道路公団から役人が交際費などの名義で、
いくらかマージンをもらった場合、
GDPの量は確かに帳簿上は増えるものの、
できた道路は、200億かけてこれだけ?となるでしょう。



結論③:公共事業はGDPの質を下げる
結論④:GDPの質を下げるといっても必要なことはするべき
結論⑤:腐敗はGDPの質を下げる、本来の生産とは別のところでお金が行き交うから



(2) 消費者選択の自由がない について
----------------------------


これはもう(1)と表裏一体なので、出尽くしてしまった感があります。
また後で思いついたら追加しますがとりあえず割愛します。

 


(3) 選択されなくても生産者は自然淘汰されない について
----------------------------


この例で分かりやすいのは、(1)でも出たように国の保護を受けている場合です。
ですがもう出たので割愛します。


他には意外と気づかないかもしれませんが、
景気が過熱している時がこれに該当することになりそうです。


経済のもっとも自然な状態は、景気循環を繰り返し、
「緩やかな適正インフレの状態で少しずつ拡大していく」という状態です。
(GDP量の成長率ゼロ%は自然状態ではなく停滞)


この状態では通常の業務に邁進して、
生産力や製品の質の向上に注力しているため、
GDPの質としても量としても少しずつ向上しているでしょう。



結論⑥:通常状態では質も量もともに少しずつ上がっていく



では景気が過熱している場合は?といわれると、
インフレがドンドン進むような状態では、
何もせずにほっとくと実質的に資産価値が下がり、
「損」をしてしまうことになります。


この場合、資産価値を上げるために、
本来の業務から程遠い不動産や絵画など、
平常時なら興味のないものに投機をするようになります。
要はバブルです。


・資産を増やした企業は本来業務の設備投資を拡大する
・給料が増えた家庭は消費能力を上げる


など、それなりに実体経済は成長しますが、
GDP量の増え方の傾斜に比べると、
どうしても緩やかになります。


そのため「GDP質量=GDP量×GDP質」という式を考えると、
GDP量はバブルによって激増しますが、
GDP質量としてはそれほど増えません。


仮にGDP量が2倍になって、
GDP質量がそれほどではない1.2倍くらいになったとすると、
GDP質は0.6となり、むしろ下がっていることになります。


ちなみにバブルが実体経済に全く影響を与えないのであれば、
GDP質量は変わらないので、
GDP質は0.5になってしまいます。
現実にはバブルは実体経済に影響を与えるので、
質の下がり方はそこまで急激ではないのでしょう。


まとめると現行の概念でいうGDP(=GDP量)は成長しているが、
GDP質量としてはそこまで拡大していない。
そしてGDP質としてはむしろ下がっていくということになります。



結論⑦:急激な成長はむしろGDPの質を下げる



ちなみに景気が過熱するとGDPの質が下がるということは、
景気が落ち込むと(要はデフレ)どうなるのでしょう?


「まさか逆に上がる?」と考えるかもしれません。
個人的には自分もそう考えています。
というより正確には、
「国民性によっては上がるかもしれない」と思います。


日本のような国ではそれは成り立つでしょう。


・勤勉な国民性
・国家全体が緩やかな家族意識を持っている


この二つを有している場合、景気が落ち込んだ時まず最初は、
「商品力を強化して売れる商品を作る」
「リストラせずにコストパフォーマンスを上げる」


などの方向に考えが及ぶでしょう。
要はまず最初に企業努力でなんとかしようと思うわけです。
これは大きいでしょう。


GDP量が減る代わりに、GDP質を上げることで、
GDP質量を一定に保とうとするわけです。


日本が失われた20年を経験しても、
未だに失業率が低かったり、寿命が世界一だったり、
世界中のありとあらゆるハイテク技術を詰め込んだ製品で、
日本製の部品が使われていたり、
クールジャパンなどと言われるほど、
文化的発信力はむしろ高まったりしているのはなぜだ?


などと世界では再評価の兆しがありますが、
これはそういう真面目で安定を望む国民性ゆえでしょう。


GDP量が停滞していて終わった国などと言われていましたが、
その裏でGDP質を向上させることで、
GDP質量を向上させていたのでしょう。


しかし普通の国ではそうはいきません。


勤勉な国民性でもなく、家族意識もない国では、
景気が落ち込むとアッサリと人員削減します。
そして需要が減った分だけ生産量を調整する(=減らす)ことで、
デフレを克服しようとしますが、
それをやると今度はリストラされたり、
あるいは給料を減らされた人達の需要そのものがなくなってしまうため、
ますます深みにハマっていきます。


この場合だとGDP質は向上せず、
GDP量だけがどんどん減っていきGDP質量も減っていく。
行き着くところは衰退なわけです。


日本といえどあまりにも不景気が長引くと、
いずれ限界を迎えてこちらの国の仲間入りをするでしょう。


他にも不景気に税収が減ったからといって、
「消費税を上げる」などということをすれば、
所得が減ったのと同じことになり、やはりこちらの国になるでしょう。



結論⑧:不景気の時はGDPの質を向上させる可能性もあるが国民性による


------------------

あ~長かった。
でもこれで全てだとは思っていません。
しかしとりあえず次は社会主義の場合を考えます。


結論①:競合他社がいないとGDPの質が下がりやすい
結論②:過保護な産業分野はGDPの質が下がりやすい
結論③:公共事業はGDPの質を下げる
結論④:GDPの質を下げるといっても必要なことはするべき
結論⑤:腐敗はGDPの質を下げる、本来の生産とは別のところでお金が行き交うから
結論⑥:通常状態では質も量もともに少しずつ上がっていく
結論⑦:急激な成長はむしろGDPの質を下げる
結論⑧:不景気の時はGDPの質を向上させる可能性もあるが国民性による

6_6)y-*~



先日「中国のGDP」について考えていたら、
いろんな考えが整理できてきて、
「GDPとはそもそもなんだろう?」と思いはじめてきました。


そこで一週間ほど家に閉じこもって、
片手に鉛筆、片手にノートで考えてみました。
(受験生みたいに缶詰になったわけじゃないけど)
で、整理してみた結果、以下のことが分かりました。


・GDPは「量」だけではなく「質」も考慮する必要がある


GDPの「量」の方は直感的に分かりやすいと思いますが、
「質」の方はパッと分からないかもしれません。
そこで今回から「GDPの質」についてシリーズ化してみようと思います。


まずはちょっとおさらい。


GDPとはもちろん国内総生産のこと、
特定の期間、例えば一年間にその国の中で、
経済活動を通じて生み出された付加価値の総和です。


これが大きければ大きいほど、
その国の経済活動が盛んであることは言うまでもありません。
橋を架ける、テレビを作る、病院にかかる、食事する、
生産者として経済活動に関わることもあれば、
消費者として関わることもあります。


人間はそうやっていろんな面で経済を「引っ掻き回す」けど、
そういうものは一つ一つの内容が全然違うので、
自分のした行為がどの程度のことなのか、
それを金額に直してみないことにはわかりません。


そこで登場するのがGDPなわけです。


「テレビ一台買うのとラーメン一杯食うのではどちらが重要か?」
なんて言われても比較しようがないけど、
それをGDPに治すと「20万円と800円」に換算されて、
「ああ経済的にはテレビ買う方が貢献度が大きいんだな」と分かります。


さて、これまでは以下のような常識が広く認知されていました。


・GDPの大きい国ほど豊かだ
・GDPの大きい国ほど国力が大きい
・一人あたりのGDPが大きい国ほど生活水準が高い


聞けばみんな納得するでしょうし、実際日本ではそれは成り立ちます。
「は?日本では?じゃあ他の国では成り立たないの?」
と思った人もいることでしょう。

そうなんです成り立たない国もあるんです。


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1. 経済形態によるGDPの質について


GDPの質を考える上でとても重要なことは、
その国が資本主義なのか社会主義なのか?ということです。


資本主義とは?(アメリカ、日本など多数)


「政府」と「民間企業(以下、企業)」と「一般家庭(以下、家庭)」という、
3つの経済主体が存在し、主役は「企業」と「家庭」である。
「政府」は単体では最も大きな経済主体であるが、
あくまで「企業」と「家庭」が自由な経済活動するためのサポート役である。


ある程度の幅はあるものの、生産活動と消費活動は基本的に
「市場原理」に基づいて決定される「市場経済」である。


つまり企業は市場が求めているものを生産し、
その価格も市場原理に基づいて決められる。
そして家庭は市場に流通しているモノ・サービスの中から、
許容できる価格だと判断したものを「選択」できる。


この選択過程において、市場の要求を満たせない企業は、

自然淘汰されていくため生産活動の新陳代謝が激しい。


社会主義とは?(パリコミューン、旧ソ連、かつての中国など)


「国」と「国民」という2つの経済主体から構成されていて、
その主役は「国」である。そして資本主義のような「企業」はない。
モノを生産するのは「国」であって、
全ての国民がその「国」の下で働く公務員のようなもの。


生産活動はたとえば「今後5年で鉄鋼生産○万トン」など、
国が決めた「計画(五カ年計画など)」に沿って行われる「計画経済」である。


生産物の価格を決定するのも国であり、給料は制度上は全員平等に支払われる。
価格決定も国が行うため市場原理は働かない。
そのため「家庭」の選択が反映されて価格が変動することもない。

生産者は国そのものなので自然淘汰されることはないが、
そのため生産活動の新陳代謝が非常に遅い。



社会主義が始めて政権を獲得したのは、普仏戦争後のパリコミューンですが、
あれは数ヶ月で鎮圧されてしまったため、
一般的にはソビエト連邦が最初だと考えて差し支えありません。


後世では社会主義が経済に適していないことはハッキリとしました。
「働いても・働かなくても給料は同じ」なので競争原理が働かず、
「じゃあサボろう」となってしまうわけです。

「全員が平等に貧しくなる」とか言われるのはこのためです。


またいくら全員平等とはいえ計画を立てる指導者は絶対に必要です。


給料を全員に配分するのも指導者ですので、
必然的にその指導者だけは権力が集中することになり、
「一部の指導者だけが裕福になりあとは全員貧しくなる」と言われるわけです。

これを踏まえてGDPの質について考えましょう。


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ここでちょっとクイズです。


例えば500万円かけて以下の2つのものを生産したとすれば、
どちらが効率が良いでしょうか?
(最終的な買値がどちらも500万円という意味)


A. セダン
B. 自転車


これは考えるまでもなく「A」でしょう。
(個人的にどちらが欲しいかは人それぞれだけど)
同じ値段で買えるものがまったく違います。


500万円のセダンも500万円の自転車も、
誰かが買ったとすれば「500万円のモノが売れた」という状態であり、
GDPは500万円が計上されますが、モノとしては歴然とした差があります。

つまり500万円かけて自転車を作るよりはセダンを作った方が、
「GDPの質」が高いということになりそうです。

(生産したモノがどれだけ世の中の役に立つか?と考えれば良い。)


では次に、このセダンと自転車のうち、どちらかが資本主義の国で、
どちらかが社会主義の国で生産されたとすれば、
どちらが何を生産したと考えるべきでしょうか?


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ちょっと迷うかもしれませんが、シックリくるとすれば、
「セダンが資本主義」「自転車が社会主義」と考えれば良いと思います。

なぜでしょうか?


資本主義の国で500万円のセダンを売ったらまぁ売れるでしょう。
機能と価格の釣り合いがまぁまぁ取れているからです。
逆に500万円の自転車を売ったとすればどうでしょう?
誰も買ってくれずその企業は自然淘汰されて終わりです。


ということで資本主義の国で「500万円の自転車」なんてのは、
ありえないと思った方が良さそうです。
(将来的にインフレが進んだ場合は別の話)


これに対して社会主義の国ではどうでしょう?

500万円のセダンを売ったらまぁやっぱり売れるとは思いますが、
そもそも社会主義の国は生産効率が悪いため、
セダンを500万円で作れるかどうか非常に怪しい。
指導者はコストに基づいて価格を決定するわけなので、
1000万とかついてもおかしくなさそうです。


一方、生産効率が悪いとはいえ自転車なら500万円かければ作れそうです。


そして価格決定権を持っているのは、あくまで国(の指導者)ですので、
自由裁量で500万円と決めてしまっても、問題ありません。
そうしたとしても自然淘汰される心配はありませんので。

こうして見たとき、市場経済か計画経済かで大きな差があることが分かります。


・市場経済はGDPの質が高い、、なぜなら
→価格を決めるのは市場で、競争力のない商品は市場原理で淘汰されるから

・計画経済はGDPの質が低い、、なぜなら
→生産する物もその価格も国が決め、それを淘汰する市場原理が働かないから


ちなみに社会主義の国で国民の要らないモノを生産して、
それが国民に買われなかったとしたらどうでしょう?
国が折れて安くするんでしょうか?

仮にそうなれば一応、市場原理はわずかでも働くといえそうです。

しかしおそらくそうはならないでしょう。
国には通貨発行権もあるため、売れ残って元がとれなくても、
お金を刷ればオシマイです。(利益を出すという概念がない)
ひょっとしたら売れ残ったモノを次の年の給料がわりに現物支給するかもしれません。


ちなみにこの話は、日本と中国のGDP、そして本来の国力をどうやって測るべきなのか?
ということを考えていて、それが発端となっていますので、
日本と中国の例え話がたくさん出てくるかもしれません。


中国の経済システムは今、「資本主義と社会主義の中間」とか、
「社会主義市場経済」とか言われていますが、(ハッキリ言って矛盾している言葉)
より正確には「資本主義の皮を被った社会主義」でしょう。


このあたりのことはまた話すとして、
次回は「資本主義の中でもGDPの質を下げる要因がある」ということと、

「社会主義の中でよりGDPの質を下げる要因がある」

ということを考えてみたいと思います。

6_6)y-*~



このタイトルみて、

「なんだかよくわからないけど○○解消っていうと美容関係の話?」

とか思った人はもうブログ見なくて良いです。


もちろん選挙の話です。


ついに長かったねじれが解消されて、

安倍政権が本格的に国民に信任されましたね。

ブログを読み続けてくれた人なら察しはついていると思うけど、

僕は安倍政権を支持しています。


自分の持っている経済観念と100%一致するわけではないけど、

それでも他の政党の一致率ゼロ%とか、

マイナス100%とかに比べたら、

アベノミクスは80%くらいは、まず一致するということ。


そして何より安倍さんの持っている国家観が、

幼い頃から歴史に慣れ親しんできた自分にとって納得のいくものであって、

日本を愛していることが伝わってくるというのが支持する理由です。


国にはそれぞれそカラーがあります。


ある国が開放的で移民を受け入れるオープン性を持っている一方で、

ある国は閉鎖的で単一民族国家であることを望む。

ある国は外敵に侵略されやすく懐疑的にならざるを得ない一方で、

ある国は海に囲まれていて侵略されにくい。


そういう環境からくる違いは国民性になって現れます。

ダーウィンの進化論ではないけど、

国だって環境に適応して変化しているのです。


ならばその国を将来どういう方向にするかも国によって千差万別、

そしてそれを決めるのはその国の国民です。

世界中で統一ルールを儲けるのは、そもそも無理な話です。


ペンギンは鳥類であっても空を飛べません。


ですがそれは環境に適応していった結果であって、

ペンギンにしてみればそんなことは大きなお世話、

「俺たちは俺たちの環境で上手くやってるから絶滅してないんだよ!」

というところでしょう。


環境に適応できず絶滅してしまった種がたくさんあるように、

国だって方向性を間違えたら、滅亡することもあります。


「この国はこれからこういう路線で行くんだ」と決める時に、

支持率稼ぎの「思いつき」だったり、個人の「固定観念」で決めてしまっては、

その可能性はぐんと高くなります。


そうならないためにもその国の特性を考慮して、

無理のないものにするべきです。


それにはまず国民性を正しく理解すること、

言い換えればどのように適応してきたのかを振り返ること、

もっと言い換えれば深い歴史観をもって、

「過去から未来への無理のない継続性」を考えるべきだと思うわけです。


安倍さんはそういう面で確かな歴史力を持っていると思います。


社会科のテストで年号を問われたら、

ひょっとすると大化の改新や鎌倉幕府すら答えられないかもしれません。

しかし大化の改新や鎌倉幕府の「意義」を問われたら、

何時間でも語り続けられる人だと確信しています。


一歩間違えれば「極右」などと評される安倍さんですが、

安倍さんの考えていることは、日本人としては全く違和感がない。

単に日本を守る!日本人なら日本に愛国心を持て!

といっているだけであって戦争したいなどとは全く思っていません。


むしろ「戦争しない」ために隙を見せるな!

毅然とした態度で望め!といっているだけであって、

それができないうちから戦争を避けようとすれば、

それこそ搾取され続けるだけです(と個人的には思います)。


何より極右だと批判する人の意見を聞いていると、

まるで「右の頬を叩かれたら左の頬を出せ」とでも言っているようです。


日本の周りの国がそれを理解してくれるのか?

それともますます搾取しようと思うのか?

戦後70年を振り返れば、少なくとも○○主義だとか○○思想だとか、

特定の信仰に凝り固まっていない人なら、

誰でも判断がつくはずです。


そういう国に囲まれている以上、それなりの対処の仕方がある。


日本人は律令制度の頃から、法に対する遵守意識が高い反面、

法が時代に合わなくなってきても無理合わせようとする、

融通の効かない面を持っています。


しかし制度疲労が許容範囲を超えると、

それまでの忍耐が嘘のように、一気にガラッと変えます。

ローマ帝国を起源に持つ欧米が、法やルールを自分達のニーズに合わせて、

常に少しずつメンテナンスし続けるのとは対称的です。


ましてや易姓革命の思想を原点とし、

法よりも個人の意志が優越する人治主義の思想とは対極です。

(個人の意志といっても君主の意志のみ)


そんな歴史の繰り返しを見ていると、

そろそろ制度疲労も限界に達している頃だろ思うのです。

現代は幕末に似ていると言われており、

それは一理も二理もあります。


ただし幕末から維新までの時代と決定的に違うのは、

日本はまだ世界でも様々な面でNo1、

総合的にみてもNo2の実力・国力を備えた国だということです。

中国についてはいずれ書きますが、

依然としてNo2の実力をまったく身に付けていません。


正直なところNo1だとかNo2だとか、

国力を数値化して順位を競うことに意味があるとは思いませんが、

少なくともこちらから攻撃的にならなければ、

国が滅びる運命だった維新の頃とは、その点において決定的に違います。


今ならまだ、毅然とした態度とそれを裏付ける法整備、

そして日本人であるにもかかわらず、

「日本は戦争をおこした悪い国だ」などという、

いわゆる自虐史観から抜け出せば十分対処可能です。


そういう意味でも改憲したからといって、

日本が戦争への道へ進む必要性は全くありませんし、

中国にしても面子にこだわっていますが、

未だ米国はおろか日本一国にも対抗する総合的な国力はありません。

そしてこの差は中国が共産党支配を変えない限り、

埋まることはないでしょう。


GDP世界第二位という額面にこだわってはいけません。


仮に軍事的にピンポイントで日本に優っていても、

(個人的には核以外はそれすら疑問)

いざ開戦すれば尖閣諸島での局地戦を展開しただけでも、

軍事的な成果よりも失うものの方がはるかに大きい。


今の状態では尖閣を日本から奪取したと思ったら、

国が滅びていたということになりかねません。


正直これまでの日本の態度は、

そういう歴史問題で争っている周辺の国にとって、

非常に都合が良いものだったのでしょうが、

日本の態度がますます歴史問題を助長していたという面もあります。


それを繰り返さないためにも、

ようやく強い意志ではねのけることのできるリーダーが出現したのなら、

その人を支持し続けるべきだと思います。


日本の将来に自信を持ちましょう。

6_6)y-*~



昨日の勢いで今日もちょっと中国のGDPについて考えてみます。


実際どれくらいなんでしょうね?

中国のGDPって。


あの政治体制からいってまず間違いなく

最初に共産党がGDPターゲットを決めてから、

その目標を達成するべく都合よく価格を決めるのだと思うけど、

それを世界標準の適正価格に換算しなおすと、

どの程度になるのかなぁ?って。


そこでちょっと大雑把に計算してみようと思います。


まず中国の改革開放は30年前に始まりました。

それ以来中国は目覚しい発展を遂げてきたと言われており、

なんと平均で年率10%の高度成長を続けていると言われています。


30年間ずっと10%の成長??


はい、まず絶対にウソですね。

こんなの正常な資本主義の国だって無理です。

そんな高度成長を遂げた国はこれまでどこにもありません。


仮に橋をかけるだとか道路を作るだとかして、

社会インフラが整備されることで、経済活動がやりやすくなったとして、

奇跡的にその年は10%の成長を達成できたとしましょう。


じゃあその次はどうなの?というと、

今度は奇跡の成長を遂げた「前年度を基準」にして、

さらにそれに対して10%の成長を達成しなきゃいけないわけで、

そんな「ねずみ講」みたいな効率の良さは聞いたことがない。


それを30年ってアホも休み休み言えと言いたい。


そもそも専制国家というのは、

一部の既得権益者と大多数の貧しい人々という構図なわけで、

既得権益組はいつの時代だろうと、その権益を手放そうとはしません。


あらゆる人々が自由に経済活動を行えるような仕組みは、

絶対に作ろうとはしないでしょう。

それはイコール自分達の権益の崩壊に繋がるので。


となるといくら公共投資をしようが、マンションを建てようが、

それは社会インフラを整備して国全体を発展させるためではなく、

自分達の財産を増やすためでしょう。


経済活動を一部の人間の特権にしておく以上は、

「民主主義&資本主義」の国より効率の良い経済発展など、

できるはずもないと思います。


一方が「一部の人間に経済活動を制限し、しかも投資効率を考えない」のに対し、

もう一方は「広く一般に経済活動を開放し、しかも投資効率を考える」からです。


後者のような国でさえ「10%を30年間」などというのは夢物語です。


「話半分」という言葉もあることだし、

「年率10%を30年間」ではなく、その半分くらいの「年率5%を30年間」だとしましょう。

30年間ずっと5%ずつというのも相当急速だと思うけど、

データもないことだしとりあえず「話半分」と仮定しましょう。


30年前のGDPを「GDP_past30」として、

現在公式に発表されているGDPを「GDP_now」とすると、


式1:

GDP_now = GDP_past30 x (1.1)^30


ということになる。

で実際の成長率が「年率5%を30年間」だと仮定すると、

現在の本当のGDP「GDP_true」は、


式2:

GDP_true = GDP_past30 x (1.05)^30


ってことになる。

そうなると、この2つの式から「GDP_past30」を消すと、

近似的に「GDP_true ≒ GDP_now/4」くらいになりそうです。


つまり現在公式発表されている12年度のGDPが、

日本円に換算すると650兆くらいだったから、

実際のGDPは「162兆(円)」くらいになりそうだ。


となるとイタリアやロシアと同規模ということになって、

実際は世界で8~10番目くらいの規模なんでしょうね。

これでも「年率5%を30年」ですからね。


市場原理を無視しているので、ホントはもっと悪いんじゃないかと思うけど、

まぁ「162兆あれば良いとこ」というくらいに思っておけば、

中国の脅威も弱冠薄れるな。


不思議なもので「GDPが日本を超えた!」なんて言われると、

中国の昨今の態度は物凄く怖いのだけど、

まだまだ日本のGDPの1/3程度なんだろうな…と思っておけば、

最近の態度をみてもあまり怖くないのが不思議だ。


てことはやっぱり印象操作の一貫なんだろうなぁと思えてきます。


習近平の時代になって「GDPの水増しを止めろ!」とか、

地方政府に厳命しているようだけど、

結局は無理な話なんでしょうね。


だって地方政府はGDP達成のノルマを中央政府から課せられているわけで、

それが出世に響くとなれば、統計方法がいい加減な社会では、

水増しするに決まってます。


それに今さら正確なデータがやってきても、

今度は中央政府が捏造するしかない。

ある年になって突然「今までのはウソです、本当は1/4でした」とか、

正確な発表したら世界中がパニックになる。


当然中国から投資が一気に引き上げるだろうし、

ペナルティも課されるでしょう。

反日煽って逆ギレしても誰も味方してくれません。


何より国内で内乱が起きます。

なので今後の対処方法としては、5ヵ年計画などで、

「経済の質を向上させる」とかそれらしい抽象的なことを掲げて、

「量より質だからね」という理由で年率5%,3%というように徐々に落としていく。


その間にガス抜きで反日を煽ったり、たまに融和姿勢みせたり、

党内で権力争いに敗れた勢力を摘発して財産没収したり、

「時間稼ぎ」をしながら、その間にGDPを上げていくしかないんだろうと思います。


ただそれまで中国の体制が持つかと言われると、

かなり怪しいと思っています。


中国の長い歴史からいって、

王朝の栄枯盛衰はいつも同じパターンで崩壊しているので。


1. 周辺の諸勢力を圧倒

2. 王朝の成立

3. 発展期を経て全盛期

4. 既得権益集団による政治腐敗

5. カルト教団が出現して反乱

6. 民衆が加わって反乱

7. 軍隊が中央政府の命令を聞かなくなって軍閥化する

8. 王朝を滅ぼす(1へループする)


中国ってこればっか繰り返しています。

たまに3と4の間に外圧が入ることもあるけど。


今の共産党だって支配者が党だという点以外は、

これまでの王朝と支配体制としては全く変わりません。

要するに中国だけまだ王朝国家を続けているわけです。


日本のように気に入らないヤツは選挙で落とすなんていう、

ある意味「無血革命」を合法的に起こせる仕組みがないので、

最後は必ず力づくです。


中国は易姓革命の国なので、

それが根本思想だと言えばそれまでだけど、

そんなことばっかりやってるからバラバラなんだろうなぁと思います。

しかしああいう覇権的な大陸国家の場合、

地政学の観点から無理もないかもしれません。


ちなみに今は4,5の段階が過ぎて6と7の間の段階です。


歴史が繰り返すとすれば、

もうすぐ黄色か赤のタスキ・ハチマキみたいなものを目印にした、

農民集団が西方あたりから出現してくる頃です。


今回は米国あたりがこっそりそういう勢力に、

武器支援をするかもしれないな。

6_6)y-*~



ちょっと今日はシリーズものの日記は一回休みにして、

別のこと書きたいと思います。


内容はずばり!

「中国のGDPについて」です。


知ってると思いますが、中国は2010年に日本のGDPを上回り、

世界第二位の経済大国になったと言われています。

その成長率はここ数年で徐々に低下してきているとはいえ、

発表によると依然として7~8%の高水準にあります。


「今後10年もすればアメリカを追い越し世界一になる」などといわれ、

それが尖閣諸島で対立している日本にとっても、

非常に脅威に感じられるわけです。


中国自身もGDPの順位を非常に気にしており、

日本を追い越した段階から外交姿勢にも変化がみられるようになり、

日に日に抑圧的になっています。


以前は米国に対しては「虎の尾を踏まないように」下手に出ていましたが、

今では明確に挑戦的な姿勢を打ち出しています。

(逆効果だと思うけど)


しかし本当のところはどうでしょう?

中国のGDPって捏造だと言われていますよね?


首相の李克強自身がウィキリークスに暴露していたこと、

また中国のデータ開示度や統計の精度がアテにならないこともあり、

いったい本当のGDPがどれほどのものなのか?

とかみんな気にしています。


ということで今回はこれについて順を追って考えてみようと思います。


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1. GDPは本当にその国の豊かさを表しているのか?


改めていう必要もないと思いますが、GDPとは国内総生産のこと、

つまり日本なら日本国内、中国なら中国国内で、

特定の期間(通常は一年間)に創造された付加価値の総和のことです。


そしてその付加価値が生み出されたと見なされるのは、

「生み出された付加価値に対してお金を介する売買」が成立した時です。


たとえばリンゴを例にとってみましょう。


まず「リンゴの木にリンゴが勝手に実った」とします。

実際にはリンゴ農園でコストをかけて栽培されるわけだけど、

今回の場合は説明のためにそういう設定にします。


さあこの時にGDPはいくら発生したのでしょうか?


答えは「ゼロ」です。


リンゴは確かに実りました。

もともと何もなかった所にリンゴが発生したので、

価値が生み出されたような気がしますが、

自然発生したのであればお金のやり取りがありません。


まさかリンゴ農家の人がリンゴを収穫する際に、

リンゴの木に「ありがとね」とかいってお金をあげるわけもありません。

となるとこの時点ではまだGDPは1円も生まれていないのです。


では今度はそれを卸売業者に10円で売ったとします。

(りんごの卸売相場をよく知らないのですいません)

そうするとここで始めて金銭を介する売買が成立したので、

GDPは10円生み出されたことになります。


次にその卸売業者がスーパーマーケットに卸したとします。

そうですね、卸売業者の利益を考えて20円で卸したとします。


そうすると今度はリンゴ自体の10円に加えて、

「りんごの卸売りというサービス」が生み出されたことになります。

そのサービスの付加価値は20-10=10円ということになります。


間違えないで欲しいのは、最初のりんごそのものの付加価値は10円で、

それに卸売業者が「10円の卸売りというサービスを付加した」ため、

10+10=20円となったわけという点です。


注目するべきなのは、

・リンゴ農家と卸売業者との取引で10円

・卸売業者とスーパーマーケットとの取引で20円


のお金のやり取りが行われたのですが、

付加価値の総和は10+20=30円ではないという点です。

(この間違った計算方法だとリンゴの値段が2回加算されてしまう)


考えてみれば世の中に生み出された付加価値は、

「リンゴ1個とサービス1回分」なので、

リンゴを2回計算する方法が間違いだというのはまあ納得できると思います。


さて、スーパーマーケットの人が手に入れた20円のりんごは、

見た目上は「ただのリンゴ」にしか見えなくても、

経済学上は「リンゴの実物+卸売業者のサービスの結晶」なわけです。

そうじゃないと「スーパーにリンゴがある」という状態が作り出せませんから。


そして最後にその「リンゴ+卸売りサービスの結晶」を、

スーパーの人が更に10円の利益をつけて、

30円で最終的な消費者に販売したとすれば、

そこでまた再び「30-20=10円」の付加価値が生まれます。


「リンゴ実物+卸売りサービス+店頭販売サービス」=10+10+10=30円

というわけで最終的な消費者が購入した30円というのが、

付加価値の総和としてGDPに計上されるわけです。


つまりGDPとはお金のやり取り全部を足したものではなく、

最終消費者、つまりこの場合は実際にリンゴを消費する人(=食べる人)が、

お店に支払った金額そのものなわけです。


「生産者1+生産者2+生産者3=消費者の購入金額」ということで、

左辺を「生産面のGDP」といい、

右辺を「消費面のGDP」といいます。


直感的には消費者のお金だと思えば良いです。


こういうモノやサービスの総和が大きければ大きいほど、

一般的にその国は豊かであるとみなされているのが、

現在の世界の常識なわけです。

(そうでないという意見もある)


まあこれは分からなくもありません。


GDPの総和が大きければ大きいほど、

その国で最終消費者がたくさんモノを手に入れたということになるので、

それが国の豊かさなんだと言われれば、

その通りだと思わず納得してしまうことでしょう。


実際、GDPの上位にランクインしているアメリカや日本は、

世界的にみたら豊かな国の方になると思います。

一人あたりのGDPの方もかなり重要ですが、

総量としては確かに豊かな国なのでしょう。


ただ中国の場合は…どうなんだろう?

というのが今の世界の大きなテーマなわけです。


2. 中国のGDPの実体は?


中国政府の公式発表では、確かに世界第二位なんだけど、

「捏造じゃないか?」というのが雑誌やテレビでよく言われていますが、

僕が思うにこの考え方も問題の本質ではないと思っています。


どういうことかというと、真の問題点は捏造云々ではなく、

「共産党の命令一つでGDP自体がどうとでも操作可能」

という点なのです。(だと思うのです、個人的には)


中国が日本や米国と大きく異なる点はその政治システムです。


あそこは共産党独裁国家なので、

公共事業(というほど公共性もないが)をどれだけやろうが、

その入札価格をいくらにしようが、

または市場原理を顧みずにいくら紙幣を発行しようが、

究極的には自由だという点です。


考えて見て下さい。


たとえば川に橋を架ける公共事業をしようと政府が決定して、

それを業者に発注するとします。


日本の場合まず業者が「ウチがやる!いやウチがやる!」と手を挙げて、

そこで入札競争が始まり、その入札競争に勝った業者が、

(つまり提示した価格が安く品質の高い業者が)

公共事業を政府から委託されることになります。


業者Aが「10億でやります」

業者Bが「5億でやります」といえば業者Bが入札競争に勝つでしょう。


つまり入札の仕方が一般競争入札であるため、

その価格はあくまで「市場原理」に基づいているわけです。


先に言っとくとこの完全な「一般競争入札」が常に正しいとは思いません。

産業によっては専門性の高いものもあり、

質の高い公共事業を維持していくためには、

ある程度の「指名競争入札」も必要でしょうし、

場合によっては「ここと専属契約結びます」というモノもありだと思います。


言いたいのは単に、

「GDPの計算をする上では、完全な市場原理に任せないと真のGDPとは言えない」

ということです。


そういう意味では日本でもアメリカでも、

多かれ少なかれGDPは多少の曖昧さがあるわけですが、

中国の場合はそもそも共産党独裁国家であるため、

その程度がハンパない「はず」なのです。


例えば極端なことをいえば、

「橋一本架けるのに1兆で発注する」と決めてしまえば、

それが入札価格になってしまいます。


もちろんそんな高額で依頼するからには、

受注する業者から高額の賄賂をとっているか、

下手したら共産党員の親族が経営しているのでしょう。


または五カ年計画で「今後の5年間でGDPを倍にする」という目標を、

共産党が掲げてしまえば、その目標を達成するべく、

わざと高額の入札を行う場合もあるでしょう。


つまり普通の国が程度の差こそあれ、

市場原理に則って経済が周り、GDPが決定されるのに対し、

中国のGDPは「共産党が決めてからそれを達成するべく市場が動く」ものなのです。

市場が動くというより、市場を共産党が操作するというべきでしょう。


つまり同じ「橋を一本架ける」事業でも、

日本では10億だったものが、中国では1兆でしたみたいなことが起きます。

(さすがにそこまで極端なことはしないだろうけど説明のためにわざと差をつけてます)


となるとそれはもはや国民の豊かさを表す指標にも、

経済成長を表す指標にもなりません。

なにしろ世界一になりたきゃ、1000兆の橋を2本架ければ、

来年にでも米国を抜いて世界一になれてしまいます。


で、それが何なの?

と言われると豊かになったわけでも、国力が増強したわけでもありません。

国の豊かさで言えばあくまで「橋2本分」にすぎません。


だから「中国のGDPは参考に過ぎない」などと李克強が言っていますが、

正確には「指標ですらない」と言った方が正しいでしょう。

市場原理から遠ざかれば遠ざかるほど、

GDPの意味は薄れていくわけです。


3. どこかで副作用はないのか?


当然そんな無茶なことをしていれば、インフレが盛大に進むでしょう。

たかが橋一本架けても、国家の生産力がどれほど伸びるか分かりませんが、

お金の動きは1000兆でしたとなればそれこそハイパーインフレでしょう。

(くどいようですが極端な例です)


実際に中国ではインフレが進んでおり、

むしろ共産党とは関係のない一般の大多数の人の生活は、

どんどん苦しくなっていますが、あくまで共産党独裁国家、

そこは力で押さえつけることができます。


GDPが伸びれば伸びるほど、

共産党関係者とそうでない人の間の貧富の差が拡大しているのが、

現在の中国の状況です。


GDPが伸びれば伸びるほど、身内だけが豊かになり、

その他の大多数の人が疲弊するのであれば、

「豊かさを表す指標」どころか「貧しさを表す指標」とも言えます。


で、そうなると当然、社会は騒々しくなります。

暴動件数は年々増え続け、年で20万件に達する勢いだとのことですが、

それを鎮圧するための特別警察に使うお金もまた、

GDPに換算されます。


これはすごく不可解なことだと思うのです。


日本でも警察官に対して給料が支払われ、

それがGDPに寄与しますが、あくまでそれは社会の安定、

イコール「国民の暮らしの安定」のためのはずです。


しかし同じ「社会の安定」のためでも、

中国の場合「共産党支配の安定」であって、

「国民の暮らしを押さえつける方向に支出しているのであれば、

それが「豊かさを表す指標」と言えるのか?

という疑問が湧いてきます。


しかもそれが益々不満を助長する結果となり、

ますます暴動が頻繁に発生するようになる、

そうすればますます特別警察へ支払われる費用が増加し、GDPは増えます。


4. 何のための投資か?


公共事業や企業の開発投資が何の役に立っているのか?

という疑問もあります。


一番良い例はオルドス市の不動産開発でしょう。


バブル熱に浮かれて砂漠のど真ん中のオルドス市に、

不動産を立てまくって、その開発費用が膨大だったため、

建設中はGDPがどんどん伸びましたが、

できた不動産には誰も人が入っていません。


付加価値を生み出すまでは良いと思います。

それで仕事が生まれて雇用が生まれて給料が支払われます。

しかし、それを消費する人間がいないというのは、

家電メーカーでいえばテレビ作ったけど全く売れず、

在庫が積み上がっている状態です。


利用価値のない場所にビルを建てても、

使われずに劣化していくだけでは、それが新たな資本にはなりません。


また中国政府は国家プロジェクトとして、

全土に新幹線(もどき)を張り巡らしました。

それだけ聞くと確かに国の豊かさに繋がるようにも見えますが、

安全基準が適当だったため事故を起こしたのは、記憶に新しいと思います。

その後、棺桶が走っているといわれ採算が全くとれていません。


作っている時は良いが、作り終わったら、

それにかけた費用が回収できず、

不良債権が積み上がるというパターンが非常に多い。


それでも良いんです。


中国の場合、公共事業というのは、

縁者に共産党員が権力を使って利益を横流しするのが目的だったりするので、

発注することそのものが目的なわけです。


それで国力が伸びず税収が増えなくても、

お金を刷るのも共産党ですから、輪転機まわせば無尽蔵にお金は出てきます。

インフレは進みますが知ったことではないでしょう。


5. 他国とGDPを比較する場合ドル換算ではないのか?


それだけ無茶なことをすると当然インフレがどんどん進むため、

外貨と比較すると中国の人民元は紙くずだと思われるでしょう。

となるとGDPを基軸通貨のドルと換算した場合、

「ドーンと低くなるのでは?」と思えてきます。


しかしここでも中国は市場原理を守るつもりはありません。


人民元が安くなりそうなら、ひたすら外貨準備高を切り崩してドルを売りまくる。

高くなりそうなら輪転機を回して人民元を発行して、

その「弾」でドルを買いまくる。

そうやってドルに対して人民元の為替を事実上固定しているため、

GDPの換算値が低くなることはありません。


それでも低くなりそうなら捏造してしまえば良いんです。


先述のように中国のGDPはそもそも「共産党が決めたもの」であって、

入札額も決められるため捏造してもしなくても同じなのです。


先に使う額を決めるか、後で変更するかだけの違いで、

市場原理が働いていないことに変わりはありませんので、

「意味のなさ」という点では変わりがありません。


6. 中国のGDPは2週間で統計が出てくる


日本では一年が終わると、企業の収支が確定申告され速報値が出されますが、

正確なGDPが正式発表されるのは、4ヶ月後くらいです。


アメリカもそのようなものですが中国の場合、

一年が終わってなんと2週間後にGDPが発表されます。

人口13億人の国が2週間で、国内のGDPの統計を集計できるのか?

というと普通は無理でしょう。


ただし中国の場合、ちょっと勝手が違います。

何度も言いますが「共産党が決める」ものなので、

地方政府が持っている帳簿も、政府側が決めたもので、

それに従って地方政府が動いているだけ、

つまり帳簿の中身は「最初からほぼ決まっている」わけです。


はじめから決まっている地方政府の帳簿を、

中央政府が集めてあとは足すだけなので、2週間もあれば十分なのです。


ところで地方政府の提出したGDPの合計と、

共産党中央の発表したGDPの数値が全然違うというのは、

世界では有名な話です。

(本当に正確なら一致するはず)


おそらく集めた数値を足してみて、

「いやこれはちょっと多過ぎるだろ、政治的にマズイ」とか考えて、

「よし!一割減らそう」とか決定しているだけなのです。

(これはかなり確信がある)

2週間で発表できるのはそういうカラクリでしょう。


7. そもそも本当に成長してるのか?


まあ成長している時期もあれば、逆に減っている時期もあるでしょうが、

中国の場合、政治体制そのものがGDPの意味をなくす体制なので、

いつどんな時も「成長した」と言っているだけです。


おそらく本当の意味で国の豊かさを表す指標があるとすると、

日本を超えたというのは全くウソでしょう。

しかしそれを知ることは不可能です。


完全に市場原理に従ったと仮定した場合に、

「中国の豊かさがGDPでいえばどれくらにになるのか?」なんて、

中国政府自身が把握できてませんし、

会計監査チームが他国からやってきて正確に評価しようとしても、

あの広さじゃ測定不能でしょう。


8. じゃあ中国のGDPは何の意味があるのか?


中国というか、市場原理を守ろうとしない国のGDPって何の意味があるのか?

と言われると「政治的な意味」しかありません。

世界第二位になったと言い続ければ、測定不能なら信じるしかありません。

(といっても誰も信じてないけど)


そうすれば大国であると世界にアピールできるし、

外交的にもハッタリが聞きます。

世界第二位のGDPだからこそ、それが誇張だと分かっていても、

日本だけでなくアメリカさえも中国を脅威に思っています。

しかし本当が10位くらいだったらどうだろう?ということです。

それに海外の投資を呼び込むことも可能でしょう。


また国内でも「成長している」と思わせることができれば、

「今は貧しくてもいずれ自分達も豊かになる」と思わせることができて、

反乱を防ぐ役目も果たしているでしょう。


つまりGDPの使い方が全く違うのでしょう。



とまぁ、散々に言いましたが、これら全てが中国の真実ではないでしょう。

なにせ中国自身がデータを公表しないので、

分析しようがないのです。


ただ他国に比べてこういった傾向が強いのは確かです。


中国人のこういうメンタリティーは大躍進政策の頃から変わっていません。

大躍進政策を主導した毛沢東は部下から、

「農業生産料も鉄鋼生産料も、年率30%ずつ伸びています」

とか報告されて有頂天になっていましたが、

蓋をあけてみれば数千万の餓死者を出していたというのは、

有名な事実です。


その程度の意味しかない(ぶっちゃけ全くない?)のが、

中国のGDPなわけです。