久しぶりにブログ書きますが、政治とは全く関係ありません。
母方の祖父が9/9(月)に他界しました。
祖父は今年99歳(享年は数え年なので100歳)であり、
男性にしてはかなりの長寿だったこと、
亡くなる3日前まで病気らしい病気もなかったことから、
天寿を全うしたと言えると思います。
(最後の死因は老衰ではなかったのだけど)
3日前から腹痛を訴えるようになり、
その時の医者の診断では「異常なし」とのことでしたが、
結果的にそれが元で亡くなってしまったため、
冷静に考えると医療ミスではないかと思います。
ただ、おそらく若い人であれば大したことにはならなかったでしょう。
祖父はここ半年で急に食が細くなっていて、
周囲ももう長くないと分かっていたので、
遅かれ早かれちょっとしたことが原因で亡くなっていたでしょう。
そのため特にその診断ミス(かな?)を問題視する気はありません。
最期の月曜日は腸に穴が空いて脱水症状を起こしたとのことです。
(腹痛の原因はこれだった模様)
月曜の早朝、祖母の目の前で白目を向いて倒れた時、
祖母はもうダメだと確信したそうです。
「絶対に畳の上で死なせたい」と思ったらしく、
93歳の祖母が100歳の祖父を抱えて、
必死で畳の部屋まで移したそうです。
その後、医者と子供達(僕の母親とかその兄弟とか)を呼び寄せて、
自宅診療となりましたが、点滴を射って一時は回復したらしく、
その時点では祖父は周囲に「ありがとう、おかげで助かった」
と言っていたそうです。(亡くなる2時間前まで話ができた)
しかしその後、容態が落ち着き医者が帰った途端、
腹痛が再発し、一時はホッとした子供達もこの時点で悟ったそうです。
急いで医者を呼び戻して診断してもらった結果、
これはもう「持って数時間だろう」ということになり、
痛みを和らげるモルヒネを射つことになりました。
モルヒネを射つと感覚が麻痺して痛みが和らぐ代わりに、
意識が段々と朦朧としていくとのことでした。
ただでさえ虫の息の祖父がここで意識を失えば、
その後二度と戻らないことは想像できましたが、
絶命する数時間の間、苦痛を味わうよりも楽にしてやってはどうか?
という医者の進言を受け、覚悟してモルヒネを射つと、
次第に穏やかな表情になって眠りに落ち、
30分後に「ストン」と落ちたように息をしなくなったとのことです。
火曜日が友引だったため、
水曜日がお通夜、木曜日が告別式と初七日でした。
幸運にもウチの家系は長寿なようで、
これまで人の死に立ち会ったことがなかったため、
僕にとっては今回の葬儀が初めてでした。
葬儀会場で伯母さんに「死に顔を見てやってくれ」といわれた時は、
分かってはいたものの恐怖を抑えきれませんでした。
「死に顔」というのは要するに死んでいる人を見ること、
いくら相手が祖父とはいえ遺体を見るのは、それなりの覚悟が必要でした。
「ある程度の衝撃はやむを得ない」
「今から見るのは自分の祖父なんだ」と言い聞かせて、
深呼吸してから遺体を拝んでみると、
そこには1ヶ月前にみた生前の祖父よりも幾分痩せた、
そして白く化粧をされた穏やかな表情の人が眠っていました。
もっと衝撃的なものを予想していた自分の心は穏やかになりました。
正直なところ「人の死に顔はこんなにも美しいのか」という印象でしたが、
それは生前に自分を可愛がってくれた祖父であったからかもしれません。
お通夜と告別式を経て火葬場に送られるまで、
何度顔を見たかわかりません。
今生の別れだったためしっかりと記憶に焼き付けたかったのです。
お通夜・告別式を通して、礼儀作法を知らない自分が、
焼香の仕方など様々なことを知りましたが、
そういった礼儀作法については、正直なんの感慨も湧きませんでした。
ただルールがあってそれに従って行動すれば良い、
そんな感情しか湧いてきませんでした。
実は僕自身は以前、生命とは何だろう?
命はどこにあるのか?いやないのか?モノなのか?別の何かなのか?
などということを考えていたことがあって、
その時に自分自身で納得した結論は、
「生命活動とは現象なのだ」というものでした。
モノが燃えること(発火現象)とよく似ていて、
発火現象でいう「火」に該当するのが「命」に相当するという考えです。
もちろん火はモノではありません。
火は熱エネルギーの集中が具現化した「発光」現象です。
これとよく似て、命もエネルギーです。
生命エネルギーという名前のエネルギーは、
現時点では物理学的には規定されていませんが、
ある種のエネルギーなのでしょう。
火というエネルギー集合体が、
「モノを燃やす」という活動でしか認識されないように、
命というエネルギーも生命活動でしか認識されません。
つまり命というエネルギーそれ自体は決して見えませんが、
「人が動く」とか「考える」とかいう現象を通して、
人は「そこに命がある」と認識できるわけです。
火がモノを燃やし尽くして灰にすると、
それ以上燃え続けることができず消えてしまうのと同様に、
命も身体を「燃やし尽くし」ます。
生きている間、命は身体を消費し続けますが、細胞が限界に達すると、
それ以上生命活動を行うことができず燃え尽きてしまう、
それが即ち、死である。
そんなところでしょう。
また意識とは「状態」なのでしょう。
命の正体が火と同様にエネルギーであることは、
思考の初期段階で分かりましたが、問題は「意識」のほうです。
一見すると「命=意識」のように考えてしまうかもしれませんが、
命はあくまで生命活動を続けるためのエネルギーの集合体です。
一方、意識とはその生命活動の際に、
身体の特定の部分(つまり脳のこと)が自らのことを認識すること、
「あ、俺いまここに存在している」と思考することです。
これは脳が電気信号を処理している最中に起きる、
様々な「化学反応そのもの」が「意識」という状態である
としか思えません。
なぜ「化学反応が意識という状態なのか?」と言われてもわかりません。
物体と物体の間に万有引力があることは知られていますが、
「なんで?」と言われると「いやそういうものだから」としか答えられません。
それが宇宙の原理としか言えません。
「意識」と「脳内の化学反応」が等価であるというのも、
「そういうものだから」としか言えません。
ただ一つ「脳」というそれなりに複雑な媒体がなければ、
そういった複雑な化学反応は起こせない、
もしくは起こすのが難しいのでしょう。
何らかの条件が揃った時に、「脳を介さずに」
そういう複雑な化学反応が起こせるのであれば、
幽霊だとか残留思念とかも存在するのかもしれません。
命に関してそのような考察をしていた自分にとって、
冷静に考えれば祖父の遺体は、過去に祖父を形作っていた一部ですが、
その遺体はもはや生命活動を終えた、灰にすぎません。
(宗教的な死生観はまた別の話)
当然、生命活動をしていない以上、脳の化学反応は停止しています。
そこに意識もあるはずがなく、
生命活動をし終えたその遺体が蘇ることもない。
言ってみれば完全に単なるタンパク質の塊にすぎないのですが、
そのタンパク質を弔う姿を滑稽に感じることもありませんでした。
なぜなら死者を弔う行為は、
「死者のためではなく生きている者のため」だからです。
死者はもう「者」ではなく「物」です。
意識という化学反応をしていないため自己認識もありません。
しかし生きている者には意識があり、
自分達の感覚で遺体をみて、未だに「物」ではなく「者」だと思っています。
つまり死者との「踏ん切り」をつけ「者」を「物」と認識するための儀式が、
「生きている者のための」お別れの儀式が、葬儀なのです。
その意味で「死者との別れの瞬間」というのは、
「臨終間際」ではなく「柩が火葬場で燃やされる」時なのです。
死者にとっては臨終した瞬間に全てが終わりですが、
生きている者にとっては、遺体というのはまだ生前の面影を留めています。
その面影が位牌にならない限り、
死者のことを「物」だと思えないのです。
それをよく表していると思った出来事がありました。
正直なところ祖父の死は、祖母にとっても子供達にとっても、
「仕方がないよね」で片付けられる出来事でした。
生前の祖父に対して愛情を持っていなかったわけではなく、
享年100歳という高齢であったからです。
また祖父自身も1年ほど前から、
「ワシはもう十分生きたからいつ死んでも良い」と言っていました。
第一次世界大戦の直前に生まれ、激動の昭和を生き抜き、
平成の世を25年間も生きた祖父には、
5人の子供、11人の孫、(現時点で)7人のひ孫がいました。
たしかに役割は十分に果たしていたため、悔いがないのも頷けます。
そしてこれはいまだ健在である93歳の祖母も同じ気持ちでしょう。
祖父のそんな気持ちを分かっていた子供達(僕らの親世代)は、
特に悲しむ様子もなく、実に淡々と葬儀をこなしているようでした。
一日目のお通夜は実に淡々と済み、
子供達は二日目の告別式の段取りを考える余裕もありましたが、
二日目の告別式が済み、出棺前の最期の別れがやってきて、
花を柩の中にたむける段階になった時、
それまで悲しむ様子もなかった僕の母が、
生前の父親との思い出を思い出したのか、突然泣き出しました。
周囲をはばかることもなく、大勢の人の前で号泣する姿は衝撃でした。
僕自身、母親の涙を見たのはこれが初めてです。
どちらかというと常に笑っていた母だったので、
泣く姿は僕にとっても姉にとっても相当な驚きでした。
母が泣きながら花をたむける姿を見るのは辛いものでしたが、
同時に親子の愛を感じる感動的なシーンでもありました。
それが徐々に周囲に伝わり、気がつくと他の親族も泣いていました。
男であった僕は必死に涙をこらえましたが、
正直なところおさえきれませんでした。
祖父の穏やかさや神仏に対する敬虔さ、
子孫に対する思いやり、時代を生き抜いた知恵は、
尊敬するのに十分だったので、生前に何度も叱られたことも含めて、
全てが尊いものに感じられたのです。
花をたむける時間が尊く、柩を閉める瞬間を少しでも延ばしたい。
祖父はそこにはもういません。
物がそこに置かれているだけなのですが、
それでも形を留めている限りは、生きている人にとっては者なのだというのを、
自分の感覚を通して実感した瞬間でした。
この時、誰よりも悲しかったのは70年間連れ添った祖母のはずです。
子孫にとっては祖父は一緒に暮らしている人ではありません。
それぞれの家庭があり、それが生活のメインです。
せいぜいお盆と正月に合うだけの祖父の死は、
自分達の生活のメインにいる人の死ではありません。
しかし祖母にとっては祖父との暮らしがメインです。
祖父の死を「仕方ない」と割り切ってはいても、
心にポッカリ穴が空いた感覚だったはずです。
その祖母が、大勢の親族が泣く中で泣かなかったことは印象的でした。
女性の親族の中では唯一だったと思います。
母をはじめ大勢の人たちの涙は尊いものでしたが、
祖母の気丈な姿はそれ以上に尊かった。
その祖母が見せた行動、それは全員の手で柩を閉める直前に置きました。
それまで微動だにしなかった祖母が、
祖父の遺体の頬に手を当て、祖父の感覚を確認したのです。
右手で左頬に、左手で右頬に触れしばらくその状態で動きませんでした。
時間にすると1分間くらいそのままの状態だったと思います。
柩を閉める瞬間だったのですが、その行為を止める人は誰もいない、
それまで泣いていた母は冷静さを取り戻す、
誰ひとり音も立てない、ただひたすら祖母の行為を見守り続けました。
今生の別れの際に見せた祖母の行為が、
誰のどんな行為よりも貴重で、絆を感じた瞬間でした。
これが70年間連れ添った夫婦なんだ…と。
この夫婦の子孫で良かったと思いました。
ひょっとすると祖父と祖母は生前に、
「自分はもう逝くが、お前だってそう長くはない、あの世でもまた会おう」
などと言い交わしていたかもしれません。
または長寿家系らしく、
「死んだら、その後のお前の余生は自分のために使ってくれ」と
言い交わしたのかもしれません。
真相は本人のみぞ知る、というところでしょうが、
この時の祖母は、祖父の思い全てを知っているような雰囲気でした。
「夫婦とはこうありたい」を体現したような二人でした。
火葬場での出来事は初めて遺体を見た時よりもずっと衝撃的でした。
出棺後、火葬場まで付き添い火葬炉に柩を入れ、
火葬が終わるまでの90分間は、待合室でくつろげたため、
そこで母親に「お母さんが泣くとは思わなかった」と言いました。
すると返ってきた答えは、
「自分でも思わなかった、父さんの死は仕方ないことで、悲しくなかったから」
とのことでした。
「その気持ちはわかるけど、じゃあ何故?」と聞くと、
「よくわからないけど、自分の魂が泣いた」などと、
カッコつけたようなことを言われました。
ちなみにこの時ついでに、喪主であった伯父に死因を尋ねたのですが、
伯父は「医療ミスではないか?」という気持ちを、
多少持っているようでした。
「適切に診断していればもう少し生きられたのでは?」
というものでした。
僕はそれを聞き、
「確かにそうかもしれない、本当に多少ではあるけど」
と返しました。
一方で、母親に聞いてみると、
「死因は医療ミスじゃない、父の体はもう限界で、どのみち持たなかった」
というものでした。僕は「うん、そうだね」と返しました。
伯父と母への反応の仕方に違いがあるのは、
僕に死因をことさら追求する気がなかったからです。
ただ単に葬儀で疲れている「子供達」の話を聞いて、
ストレス解消になればそれで良かったのです。
そうこうしているうちに火葬が終わり、
遺骨を収める段階になって、初めて遺灰というものを目にしました。
驚いたのはこの瞬間です。
僕はてっきり火葬が終わった後は、火葬場のスタッフが遺骨を瓶に入れてくれて、
その瓶を手渡されるものだと思っていたのですが、
それは勘違いで「焼きたての骨」がそのまま火葬炉から出てきました。
「そのままの姿勢で」です。
これには背筋が凍りつきました。
そのままの姿勢といっても、火葬炉はかなりの高温のようで、
ガイコツのように骨盤がハッキリ残っているわけではありません。
しかし素人目にみても、
「この部分は手でこの部分は足だ」くらいは分かりました。
死んだとはいえ思い出に刻まれている祖父が焼き尽くされた姿をみると、
嫌がおうにも「これは物だ」と思うしかありませんでした。
あの場面でまだ「者」だと認識することは、
精神的に耐えられなかったのです。
孫の世代で火葬場まで付き添ったのは4人でしたが、
4人とも初めての経験にショックを隠せませんでした。
「いつかは誰もがこうなる」というのを知ると、
人々が神仏にすがる気持ちが理解できました。
瓶に遺骨を収める行為もまた衝撃でした。
二人ひと組で箸で遺骨を掴んで瓶に収めるのですが、
火葬場のスタッフが逐一、
「ここは手首です、ここは肋骨です、顎の骨です、親指です」などと、
説明してくるのです。
可能な限り想像したくない、物だと思いたいのに…
それを聞きながら、尊厳を持って収めるのがしきたりなのでしょうが、
心の底から「黙れ!」と叫びたい気持ちでした。
後で両親にその時の心境を吐露しましたが、
両親は至って平気だったそうです。
理由はこれまでに何度か立ち会ったことがあるからでした。
孫世代と違って、子世代は経験が豊富だったため、
心の準備や持ち方が違い、十分に対応可能だったのです。
これも経験か…とますます自分の人生の薄さを感じました。
その後はあまり覚えていません。
最近の葬儀は初七日を同時に行なってしまうらしく、
葬儀場に戻った後で初七日を執り行った後で、
食事をして解散となりました。
思ったのは、「こんな時くらい精進料理にしろ!」でした。
もう一つ、さっきまで祖父の写真が飾られていた葬儀会場には、
早速別の人の写真が飾られていました。
手馴れたものというかなんというか、葬儀場の人にとっては、
一つの案件にすぎないのだと実感させられました。
次の人の写真をぱっとみた印象ですが、随分若い人のようでした。
「この人の葬儀は僕らほど冷静にはできないだろうな」と思いました。
死者が生前に遺した悔いは、弔う側にとっても悔いなのです。
終わってみて思ったこと。
今回の葬儀、それは「思ったより悲しくないが思ったより悲しい」という、
二つの相反する思いが交差するものでした。
妙に神妙な感覚が続いていましたが、全体を通してみると、
初体験による衝撃を除けば穏やかな気持ちで、
祖父との別れができたと思います。
それこそが祖父が子孫に残した偉大な功績だったと思います。
この功績を残せる人はそう多くはありませんが、
しかし少なくとも残せるように努力しなければなりません。
それはつまり「悔いを残さないようによく生きること」
「本人が納得して死ぬこと」「決して親より早く死なないこと」
それに尽きると思います。
