こんにちは。直江じょうすけです。

 

昔から漠然と理想の社会を作りたいとずっと思っていた。それがどういう形なのかはともかくとして。

だからそのためには政治家にならなけれいけないとずっと思っていた。

 

だがそうなるとハードルは俄然高くなる。

票集め、仲間集め、資金集めと膨大な時間とエネルギーが必要になる。おそらく世襲でもなければ一生かかって地方議員になるのがやっとだろう。

 

ただ今まで波動の共振を知らなかった、だからそのやり方しかないと思ってしまっていた。

 

しかし実は理想世界を作ることは簡単で、この社会つまらん気に入らん!と思ったら

いち拔ーけた!

と言ってやめればいい。

 

そして〇〇ちゃんの作った遊びつまんないから自分で新しい遊び作るね!

と宣言すれば思考の波がエネルギーとして伝播して同じ仲間が集まってくる。

 

だから改革にはデモだとかは必要なくコノユビトーマレでいい。

 

テストも税もない社会を作るから参加したい人、この指とーまれ !

と自分で思った時始めればそれでいいんだと思った。

 

私たちは生まれた時からなぜか〇〇ちゃんの遊びに強制的に付き合わされているが実はいつでもやめていい。

やめると逃げだの何だのきっと罵詈雑言を浴びせてくるだろうが、それはいなくなると向こうが困るからである。面白くないと思えばもう遊びに付き合う必要はない。自分で新しいルールを作って楽しく遊べばいい。

 

社会を変えようと思って選挙に行ったりデモをするのは逆効果だ。

選挙に行きましょうはあちら側の思う壺で大事なのは徹底無視である。

肯定であれ否定であれ今の社会のルールに沿って変えようとすることは、結局その社会にエネルギーを与えて強くしてしまうだけなのである。

そしていい加減教科書やメディアは投票率の低さ🟰政治に関心がない・・・という誤魔化しをやめるべき。

これは現日本政府と社会そのものを支持しないという声なき声、サイレントヴォイスであって重大な意思表示である。

 

そういうわけで教育も同様で今までは学校というか文科省相手に相撲をとっていた。

そこで個人がいくら頑張ったところで所詮アリと像なのでとんでもない時間がかかってしまった。

 

しかし実は相手にしなければいいだけだと気づいた。 

 

以前はなるべく低価格で勉強ができるようにしてあげることが優しさであり教育者の努めだと思っていた。

でもこれだと結局今の教育のルールに沿ってしまっている。

結果的に学歴社会の片棒を担いでいるというジレンマがあった。

だからもう勉強の定義からして根本的に学校とは違うルールを作ることにした。

それが本の学校フリースクールである。

 

イチ抜けすること。

この指止まれ宣言すると波動の共振を起こしてそれが一人二人と広がっていく。気づいたらこの世界は変わっているだろう。

 

ちなみにピラミッド社会と逆の社会とは嘘建前がなく本音で話せる社会だと思っている。

都会のようにそもそも関わりがない社会とは当然違うが、かといって今の田舎とも違う。

 

田舎というのはとにかく体裁を気にするので苦しい時助けてほしいと言えない。家族に何か問題が起きればまず隠そうとしてしまう。

非常に息苦しいのが今の地方の現実である。

 

しかし新生村社会では自治会だの消防団だの表面的なつまらない付き合いは一切ない。

いい意味で自分中心、普段は人に干渉せず必要な時だけ助け合う、というふうになる。