こんにちは、直江じょうすけです。

 

教育関係の仕事をしていると毎年いろいろな生徒に接する。当方の塾では信頼関係を築くため苗字呼びはせず、まず名前を覚えることから始める。

しかし今は確認しないと読めないことが多いので間違えないように注意が必要である。

通常ない読み方の漢字だったり、日常で使わない字だったりとかの組み合わせがとても多いので初見ではだいたい読めないことが多い。

 

一昔騒がれた光宙(ピカチュウ)のようなアニメキャラを無理やり漢字にしたような名前と言うわけではないので、キラキラネームには該当しないと思うのだがやはりぱっと読めない名前というのはある種の懸念を感じるのである。

 

お父さんお母さんもおそらく一生懸命考えられた上で名前をつけたと思うのだが、実は命名においてあまり凝りすぎるというのは良くない。

漢字の意味ばかり重視して強い願いを込めすぎるのは逆効果なのである。

 

名付けにおいて大事なのは意味ではなく実は音の方である。

苗字と組み合わせた時の全体的な響き、呼びやすさ。

これは人名だけに限らず元号などでもそうなのだが、今回は主題から逸れるのでそれはまた別の機会で述べてみたい。

 

ではなぜ文字の意味にこだわることは良くないのか?

 

例えば太陽のように明るい子供になってほしいと願って太陽と名付けるとする。

太陽さんが読んでいたら引き合いに出して申し訳ないのだが。。

そうすると名付けられた子供は深層心理ではお前は明るくない人間なんだから太陽のように明るくならないといけない、と刷り込まれてしまう。

つまり無意識のうちに自分は明るくない子供なんだと思い込む。

そうすると義務感のようなものが生じて無理に明るい子供を演じようとすることになる。

 

また龍のようになって欲しいと願って龍〇〇と名付けたとする。

そうするとお前は龍のようにはなれないから龍という字を入れたんだよ、というメッセージを潜在意識に刻み込んでしまうことになるのである。

 

おわかりいただけただろうか。

 

必ずしも全員そうなるというわけではないが、強すぎる願いの裏には親のコンプレックスなどが投影されていることもあるため、これから子供が生まれるという人は今一度名付けの前に振り返ってみていただきたい。

 

昔のように辰年に生まれたから龍之介とか、家にきれいな桜があるから桜子とか程度にとどめてあまり深く意味を込めない方がいいのだ。

 

もう一つキラキラネームがなくなっていくと思う理由は今や誰もがハンドルネームを持つ時代になった。

子供が成長してブログやユーチューブ、SNSを始めるようになると通り名なり皆好きな名前を名乗るようになる。

そうなると結局本名を使わなくなってしまうので、やはり凝ったところであまり意味を持たないだろう。。

 

元服のようなもので、大人になった証として親からもらった子供用の名前を捨てて自分で名前をつけるようになる。

SNS時代とはすなわち国民総サムライ時代に突入してしまったことを意味する。

 

それもいずれ公的に認められる日が来るかもしれない。