「6.54 私の諸命題は解明を行うものであり、そのさい私を理解する人は私の命題を通り抜け--その上に立ち--それを乗り越え、そして結局それが無意味であることに気付くのである。(いわば、はしごを登り切った後は、はしごを投げ捨てなければならない)」
これは、オーストリアの哲学者、L.ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の最後の一節にある言葉です。
僕は、この言葉を見て、今、二つのことを思っています。
1.後から、無意味だったなと思うことでも、その当時はとても大切で必要だったことがあります。
その"無意味な"はしごがあったからこそ、僕はここまでこれました。
そして、
2.登り切ったはしごは、手放さなければならないこと。
いつまでも過去にしばられるのではなく、『今、ここ』から出発すること。
次のステージに、どんなことがまっているのか、
とても楽しみです。
これは、オーストリアの哲学者、L.ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の最後の一節にある言葉です。
僕は、この言葉を見て、今、二つのことを思っています。
1.後から、無意味だったなと思うことでも、その当時はとても大切で必要だったことがあります。
その"無意味な"はしごがあったからこそ、僕はここまでこれました。
そして、
2.登り切ったはしごは、手放さなければならないこと。
いつまでも過去にしばられるのではなく、『今、ここ』から出発すること。
次のステージに、どんなことがまっているのか、
とても楽しみです。