昨日・・・・
本当に「死ぬ・・・」と思った。
詳しくは昨日の出来事(顛末)を動画にまとめようと思いますが、たぶん「非公開」になるので一部の人しか見れないものになるでしょう。
若いころにも「死ぬ」と思った瞬間はあった。
探偵であった頃の話であるが。
だがそれとも違う感覚・・・・
そういえば0歳の時、3歳の時、「死にかける」出来事に遭遇していたが、それでもまだ生きている。
昨日からやたらと救急車が走り回っている。
たぶん大きな「手放し」と、大きな「変革」が様々なところで否応なしに起きているのだろう。
少し前から「道の切り替わり」の予兆があり、そして「切り替わり」に向けて方向転換をしていた。
だが、まだ「手放せていない」ものがあった・・・ということだろう。
【死】を身近に感じることで、大きな「手放し」が出来そうである。
南国へ旅する時と、北国へ旅する時は、当然のことながら「荷物」の種類は変わる。
それと同じことである。
持っている「荷物」が『行き先』を方向付ける。
北国へ行きたいと思っても、持っている荷物が「南国用」のものなら必然的に「南国」へ行くしかない。
人が生きる道もそれと同じこと。
自分が持っている、抱えている「荷物」次第なのである。
人生とは「命」という荷物を抱えて旅する道。
そして「命」とは「🌀(渦)」である。
自分の「・(中心)」にあるものを「*(広げて)」「🌀(回す)」
そんな自分の「・(中心)」が切り替わる時がある。
自分の「・(中心)」が降り立つ大地
そこが新しい道となる。
だが古い荷物を持っていては切り替われない。
自分の命をどんな「🌀」にするのか?
それは、新しい大地にある様々なものを、これから受け取りながら形作ってゆくもの。
だから手放しが必要となる。
自分の中心である「・(魂)」が降り立つはずの大地へ・・・・
山羊座の新月から冬至、そして晦日への流れで手放して切り替わる。
今年の年末と来年の初頭からは「流れ」が全く違う。
自分の「次元」をさらに上へと「示現」させられるか・・・・
古き「🌀(命)」と新しい「🌀(命)」
鳴門と富士の「🌀(命)」の切り替わり・・・・
「同じ」を続けるということは、上昇した者から見れば「沈んでゆく🌀(鳴門)」
十(神)が卍(動いて)🌀(命)となるように、・(魂)が*(弥栄)して🌀(命)となるのが人。
・(魂)はちゃんと十(真ん中)にあるか?
十(真ん中)から外れて「∴(ばらけて)」いないか?
・(魂)を*(咲かせて)🌀(命)させる
富士(不二)は晴れたり日本晴れ 富士に咲き誇る🌀✡(梅)の華
天地交わる(十)真ん中が✡(目)
それが🌀の中心
唯一無二の自分に還り、天上天下唯我独尊
尊き命の🌀となる
御言 尊し 命する
天地身一つの🌀(みこと)なれ
