世の中は不平等。

人生は持っているカードの中で勝負するしかない。

 

そもそも、人類はみな平等なのだ。

しかし、その時代時代のさまざまな仕組み・価値観の中で、
その平等性がゆがめられ、不平等になっているというのが
正しい解釈だろう。

よく言うのが、
お金持ちの家に生まれたかった。
と、お金持ちの家に生まれていない人が

「人生の不平等の具体例」としていう。

 

しかし、このお金持ちというのも資本主義という仕組みのなかで
「資本を持っているかいないか」という観点では、
持っている、持っていないという不平等が生まれているだけなのだ。

 

女子がよくいう「見た目のかわいさ」もそうだ。
モデルになれる人はもともと生まれつき顔が小さい・・・・
そんなの不平等だよ。。。
これだって、顔が小さい=モデルという価値観にゆがめられた
顔が小さくない、小さいという不平等が生まれているだけなのだ。

しかし、そんなの気にしない人たちにとっては
どうでもいい不平等である。

不平等というのは、そもそも平等な人類が
その時代のしくみや価値観における「有利さ」に対して
感じる感情に過ぎない。
不平等は人のこころが生み出しているだけなのだ。

目がぱっちりな人も平安時代にいけば「ブス」の烙印を押されていた。
でもこの「ブス」もその時代の価値観によって作り出された心の感情で、
実際には「ブス」などこの世には存在しない。
そんな「ブス」だって誰かから見ればとんでもなく「かわいい」対象であったりする。

 

世の中は不平等だ。
しかし、どんな人間にも与えられたカードが必ずあるのだ。
それを生かすかどうかはその人次第。

「この世は不平等だ」と言って、すべてをあきためてしまうことは、
そのカードを捨ててしまうに他ならない。
生かしようならいくらでもあるのに。

小さなプライドなんて捨てなさいよ。
だいたい、「人生つまらん」って言ってる人はくだらないプライドが高い。
くだらないプライドは対外的なプライドだ。
しんどいなら助けを求めればいいじゃん。
生活保護もらえばいいじゃん。
なんでやんないの?
傷つく自分が怖かったり、人の目が怖いとだいたいいうが、
それこそくだらないプライドなんだよなー。


そういうと、みなこういう。

「あなたは恵まれているから」

たしかにそうだ。私は恵まれている。
しかし厳密にいえば「恵まれていると私は思っている」が正解だ。

なぜなら、私は今の人生が楽しいからだ。
今この瞬間に死ぬといわれても、やりたかったことができないという

不満は残るが心残りはない。

この「恵まれていると思う」ことは、まず

自分に与えられたカードに感謝し、そこからどのように人生を生きるかどうかを
考えることに起因している。

 

私だって以前のエントリでも書いたが、小中と合計3年くらいいじめられていた経験もあれば、
東証一部上場企業の高給サラリーマンをやめて、その後一時無一文に陥ったり、

海外の貿易で中国人にだまされて何百万円もなくなったことだってある。
しんどい経験ならいくらでもしている。

正直、人生をやめたくなった時期も少ないが何度かある。
でも、そのたびに「絶対にはいあがる」という気持ちで生きてきた。
自分の今の状況がいかにダメだとしても、
「自分にはなんらかの与えられたカードがあり、それをどうにかして生かす方法が
必ずあるはずだ」と信じて生きてきた。
だから今がある。今が楽しい。

そんなもん比較すれば、たとえば私と同じ世代で
もっと稼いでる人やもっと有名な人やもっと世の中のためになってる人は
いくらでもいるだろう。
でも、それだってある価値観やしくみの中で比べた場合の話である。

私は私であり、
私が感じるこの世界・人生は私にしか感じることができない。
私は私を信じ、私は私という最高の人生を歩んでいると信じてやまない。
誰かと比べても仕方がない。
そんなのはこの世のしくみや価値観の中での比較の差に過ぎない。
そんなことをしたところで、世の中のしくみや価値観が変わるのか?
そもそも自分の人生そのものがよくなるのか?

比較を否定しているのではない。
何かを勝ち取るためには比較という競争を勝ち抜かなければならないのが
今の社会の仕組みだから。
でも、それだけではないのだ。

 

自分には与えられたカードが必ずある。
でもそれが今の時代の価値観やしくみと照らして有利か不利かは
残念ながら人によって差がある。それが不平等なのだ。
でも、それを嘆いたところで何も始まらなければ何も生み出さない。

与えられたカードの中で勝負しなさい。
それは自分を信じること。
今の自分に絶対何かできることがあるはずだ。

そう信じること。
あとくだらないプライドは捨てなさい。
持つべきプライドは「自分は絶対に何かを持っている」

と信じることだけでいい。

人間は自分の想像を絶対視してしまいがちだが、
想像を超えた外面世界の可能性のほうが圧倒的に比較にならないほど大きい。
与えられたカードの中でがんばってたら絶対誰かが見てる。
絶対何かの想像もしない可能性が自分を待ち受けているのだ。

もう一度いう。
人生は不平等だ。
でもそれは今の時代・価値観によって心が作り出したものだ。
そんなことで自分のカードを破り捨ててしまっていいのだろうか?
別に肩肘はって生きる必要もなければ、テキトーに生きれればそれでいいじゃん。
小さなプライド捨てちまおうぜ。
んで、自分に対するプライドだけ持っていこう。

 

そうすりゃ絶対人生開けるから。