円覚寺(2)―戦国の兵火 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年3月20日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は断続的に続いている「平成28年 鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第8弾で、「円覚寺(えんがくじ)」について記事の初回となります。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【今までの記事】
鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)
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鶴岡八幡宮を味わう(1)―太鼓橋と舞殿
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鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物
円覚寺(1)―元寇が生んだ禅寺

日本有数の観光地である鎌倉ですが、その魅力とは何なのかについて語りたいと思います。

とりあえず有名だから行ってみたけど、人は多いしなんだかよくわからない建物ばかりだしよ何がいいのかわからない!という人のために楽しみ方を説明したいと思います。




大永6年の襲撃


円覚寺

多くの寺院は長い歴史の中で兵火にさらされていますが、円覚寺も例外ではありませんでした。

円覚寺の所在する相模国(さがみのくに)は室町時代には鎌倉公方(かまくらくぼう)の支配下にありました。

しかし永享(えいきょう)10年(1438年)の永享の乱により鎌倉公方が攻められた後、永享12年(1440年)の結城合戦(ゆうきがっせん)後には相模守護(しゅご)に任命された扇谷上杉(おうぎがやつ・うえすぎ)家の支配下に入りました。

その後、明応(めいおう)の政変(1493年)時に将軍家(しょうぐんけ)・足利左近衛中将義澄の命を受けて伊勢宗瑞が伊豆(いず)入りをすると徐々に伊勢(いせ)家(のちの北条(ほうじょう)家)の侵食を受け、永正(えいしょう)13年(1516年)の新井(あらい)城の戦いによって伊勢家の支配下に入りました。


伊勢宗瑞(北条早雲)の戦いについて知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし

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伊勢家は2代新九郎氏綱の代になって名字を「北条」に変え、山内(やまのうち)・扇谷の両上杉家との対決姿勢を鮮明にしました。

武蔵国(むさしのくに)に進出し一時上杉家を圧倒した北条家ですが、大永(たいえい)5年(1525年)、甲斐(かい)の武田左京大夫信虎と結んだ上杉家の思わぬ反撃にあい、相模国内へ後退します。

大永6年(1526年)にはそれまで北条家と友好関係にあった房総(ぼうそう)半島の真里谷武田(まりやつ・たけだ)家、小弓公方(おゆみくぼう)家、里見(さとみ)家なども北条包囲網に加わりました。

そして当時の里見家の当主・左馬頭義豊とその叔父・左衛門佐実尭の軍勢が鎌倉に襲来し、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を焼き払い、この時円覚寺も焼かれたと言います。


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青岳尼拉致事件


円覚寺

里見家はその後の天文(てんぶん)2年(1533年)、左衛門佐実尭とその子・刑部少輔義尭(以下「刑部」)によるクーデターにより左馬頭義豊が殺され、刑部が当主となります。

刑部は北条新九郎改め左京大夫氏綱(以降「左京大夫」)と結びクーデターを起こしたのですが、その後、真里谷武田家の家督争いへの介入で左京大夫と対立します。

その後真里谷武田家の家督争いを制し、小弓公方・足利右兵衛佐義明(以降「右兵衛佐」)と結び下総(しもうさ)・武蔵へ進出し北条家と衝突したのが天文7年(1538年)の第一次国府台(こうのだい)の戦いです。


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第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ

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この戦いでは刑部義尭は戦わずに撤退していますが、右兵衛佐は討ち死にしています。
(詳しくは上記リンクをご覧ください)

この時に刑部は右兵衛佐の幼い子供たちを引き取っており、その中に後に青岳尼(しょうがくに)と呼ばれる娘がいました。

この娘はどういう経緯かはわかりませんが、この後北条家の支配下にある鎌倉の太平寺(たいへいじ)というお寺に入り、尼となります。
※そのため「青岳尼」と呼ばれています。

この青岳尼、里見家にいた時代に刑部義尭の子・太郎義弘と恋仲になっていたと言われています。

その太郎義弘は弘治(こうじ)2年(1556年)に鎌倉に渡り攻撃したと言われていますが、その攻撃は実は青岳尼と示し合わせたもので、青岳尼は太郎義弘とともに安房(あわ)に戻り、還俗(げんぞく)して太郎の妻となっています。

この戦いの実在性は定かではありませんが、太平寺にいた青岳尼が房総半島へ渡って太郎の妻となったのは事実であるようです。

この出来事に、北条家当主を継いだ新九郎氏康は不快感を示したと言われ、太平寺を廃寺(はいじ)にしています。

そして、この太平寺の仏殿(ぶつでん)が移築された先が円覚寺で、その建物はなんと、かの有名な「舎利殿(しゃりでん)であるとのことです。

やっと円覚寺が登場しましたね。

僕が円覚寺に行ったときには舎利殿は公開時期ではなく、残念ながら見ることはできませんでした。

歴史の教科書に載っている有名な「円覚寺舎利殿」ですが、実はこのようなエピソードがあったのです。

こんな風に、歴史的な建物にはほぼ必ずそれにまつわるエピソードがあります。

それを知るだけで楽しさが倍増します。

というわけでまだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 左近衛中将〔通称不明〕 源 朝臣 義澄〔入道清晃、義遐、義高、義尊〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが さこんえのちゅうじょう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしずみ〔入道せいこう、よしとお、よしたか、よしたか〕
・伊勢 左京大夫?〔通称は新九郎〕 平 朝臣? 盛時〔長氏、入道早雲庵宗瑞。いわゆる北条早雲〕
いせ さきょうのだいぶ?〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん? もりとき〔ながうじ、入道そううんあんそうずい。いわゆるほうじょうそううん〕
・北条〔伊勢〕 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏綱
ほうじょう〔いせ〕 さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじつな
・武田 左京大夫〔通称不明〕 源 朝臣 信虎
たけだ さきょうのだいぶ〔通称不明〕 みなもと の あそん のぶとら
・里見 左馬頭〔通称不明〕 源 朝臣 義豊
さとみ さまのかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん よしとよ
・里見 左衛門佐〔通称不明〕 源 朝臣 実尭
さとみ さえもんのすけ〔通称不明〕 みなもと の あそん さねたか
・里見 刑部少輔〔通称は権七郎〕 源 朝臣 義尭
さとみ ぎょうぶのしょう〔通称はごんしちろう〕 みなもと の あそん よしたか
・里見 左馬頭〔通称は太郎〕 源 朝臣 義弘
さとみ さまのかみ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん よしひろ
・北条 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏康
ほうじょう さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじやす
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
風なうらみそ~小田原北条見聞録
何気ない風景とひとり言
歩けば見つかる小さな歴史

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