『青天を衝け』第29回―伊藤博文について | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年10月14日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第29回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しむヒント】
・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について・第6回―美賀君の血筋
・第7回―井伊家について・第8回―岩瀬忠震の出自
・第9回―安政頃の西郷吉之助・第10回―安藤信正について
・第11回―高崎城について・第12回―一橋徳川家について
・第13回―越前松平家について・第14回―島津家について
・第15回―三島家について・第16回―池田屋事件について
・第17回―武田耕雲斎について・第18回―天狗党の乱について
・第19回―小栗家について・第20回―土方家について
・第21回―杉浦愛蔵について・第22回―保科俊太郎について
・第23回―栗本鋤雲について ・第24回―証券とは何か
・第25回―貨幣経済とは?・第26回―高松凌雲について
・第27回―「藩」はどうなったのか?・第28回―大隈重信について





第29回のあらすじ


明治2年(1869年)の暮れ、新政府に出仕することになった渋沢栄一美雄(吉沢亮)は、大蔵省(おおくらしょう)の大隈八太郎重信(大倉孝二)、伊藤俊輔博文(山崎育三郎)らに「改正掛(かいせいがかり)設立のアイディアを伝え、静岡藩(しずおかはん)にいる旧幕臣(きゅうばくしん)の招聘(しょうへい)の許可を得た。

明けて明治3年(1870年)、「改正掛」には諸藩から多くの人材が集まった。

渋沢栄一が呼び寄せた人物の中には旧幕臣の杉浦愛蔵譲(志尊淳)、前島来輔密(三浦誠己)、赤松大三郎則良(上村海成)、塩田三郎篤信(増本尚)らがいた。

新政府に栄一ら旧幕臣が参加していることを快く思わない者もいたが、栄一は掛長(かかりちょう)として粉骨砕身(ふんこつさいしん)し、前島の発案による郵便制度を実現させた。

同時に栄一は絹糸の機械生産の計画を立ち上げ、その旗頭として従兄である尾高新五郎惇忠(田辺誠一)の抜擢(ばってき)にも成功する。

一方、新政府の首脳である大久保一蔵利通(石丸幹二)は、留守中に大隈が勝手に立ち上げた「改正掛」の急進的な動きに不快感を示すのであった…

ということで、




第29回「栄一、改正する」


冒頭の栄一の「直参(じきさん)(な)めんなよ」はスカッとしましたね!

栄一のバックに平岡円四郎先生(堤真一)の姿のスタンドが浮かび上がって見えましたw


平岡円四郎について知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
『青天を衝け』第3回―平岡家について

同関連記事:
『青天を衝け』第16回―池田屋事件について

同関連記事:
『青天を衝け』第17回―武田耕雲斎について


そして郵便事業の立ち上げは心が奮えましたね。

杉浦譲の弟から手紙が届いた時は感動で涙が出そうになりました。

今では当たり前の郵便ですが、これほどの苦労と感動があったんですね。

「郵便」と言えばやはり前島密御大が有名ですね。

実際に発案したのは彼ですが、それを採り上げ実現に導いたのが渋沢栄一だとは知りませんでした。

また、「幕臣の下では働けない」という高木渉氏演じる玉乃泰吉郎世履の反発をよそにバリバリと仕事をする栄一はむちゃくちゃカッコよかったですね。

それと、尾高惇忠兄さんの登場でも泣きそうになりました。
※玉乃世履との和解もよかったです!

元々尊皇攘夷(そんのうじょうい)派だったのにずっと血洗島(ちあらいじま)でくすぶっていた惇忠。

栄一や従弟の成一郎英明(高良健吾)の説得により幕府のために働くことを決意して彰義隊(しょうぎたい)に参加するも大切な弟・平九郎昌忠(岡田健史)を失い、さらに長弟(ちょうてい)である長七郎弘忠(満島真之介)の死に遭い、失意のどん底にいました。

その惇忠がようやく弟の仇である新政府に出仕することが「日本のためになる」と納得し、出てきました。

初期は僕に「遊び人」呼ばわりされていた惇忠が、ようやくその力を発揮するときが来たんですw

参考記事:
『青天を衝け』第7回―井伊家について

また、今回も大久保一蔵利通卿は悪役ですねw

大久保卿は明治期には悪役や嫌な奴として描かれることが多いですし、僕も個人的にはあまり好きではないのですが、偉大な人物なんです。

大久保卿の偉大っぷりについてはこちらの記事をご覧ください:
『西郷どん』第42回―大久保利通の悪役っぷりがいい!

ともかくも、毎回素晴らしい話で驚かされます。




第29回のヒント―伊藤博文について―


今回は、郵便事業の立ち上げに多くの時間を使っていたので「日本近代郵便の父」前島密さんを特集しようと思っていました。

しかし、前島密については既にゆーくんままさんが簡潔にまとめてくださっているので、ここでは伊藤俊輔の博文さんを特集しようと思いますw


参考記事:
ゆーくんはどこ?

伊藤博文の登場する記事:
『いだてん』第9~11回―さらに感動した

同関連記事:
『西郷どん』、史実改変はよくないって(第31~33回)


博文は、天保(てんぽう)12年(1841年)に周防(すおう)百姓・林重蔵の子として生まれます。
当時の名前は利助。

毛利(もうり)領の政庁がある萩(はぎ)に移住後、父・重蔵が水井武兵衛なる人物の養子となり士分(しぶん)となります。
※水井(みずい)家は丹波赤井(あかい)家の分流であるという説があります。

関連記事:
『麒麟がくる』第41回―赤井悪右衛門について

直後に武兵衛が足軽(あしがる)・伊藤弥右衛門なる人物の養子となったため、重蔵・利助父子も伊藤の名字を名乗ります。

安政(あんせい)4年(1857年)、松下村塾(しょうかそんじゅく)に入門し、吉田松陰より「俊輔」の通称を授けられたようです。

翌々年の安政6年(1859年)には桂〔木戸〕小五郎孝允の従者となり、ここで井上聞多惟精〔後の馨〕と知り合ったようです。
※井上聞多は安芸(あき)井上(いのうえ)家の出身なので、上記赤井(あかい)家とは同族となります。つまり、水井(みずい)家が赤井家分流だとしたら伊藤博文とは縁戚(えんせき)関係にあたることになります。

同年10月に師である吉田松陰が斬首されたことで尊王攘夷運動に関わるようになり、文久(ぶんきゅう)2年(1862年)12月、井上聞多らとともに品川(しながわ)イギリス公使館を焼き討ちし、国学者を暗殺します。

イギリス公使館焼き討ちについては『青天を衝け』でも言及されていましたが、要はテロリストですw

日本初の総理大臣は、元テロリストですw

イギリス公使館を焼き討ちしておきながら、元々はイギリス留学したいとの強い希望をもっており、翌文久3年(1863年)に実際にイギリスに留学します。
※この神経はよくわかりませんw

この留学により開国派に転じた俊輔は、翌元治(げんじ)元年(1864年)3月、四国艦隊(しこく・かんたい)下関(しものせき)砲撃を止めるため、急ぎ帰国します。

この時、留学経験によりイギリスとの交渉に当たります。

12月には高杉晋作春風の挙兵に一番に駆け付け、奇兵隊(きへいたい)に加わります。

この後の時期から戊辰戦争(ぼしんせんそう)に至るまでは薩摩藩(さつまはん)やイギリスとの交渉により武器弾薬の調達にあたっていたため、戦争には直接関わっていません。

※武器弾薬の調達をしているので、大隈重信とは違って「平和的な活動」とは言えませんが。

関連記事:
『青天を衝け』第28回―大隈重信について

維新(いしん)後は木戸孝允の後押しにより新政府の実務担当として井上聞多馨、大隈重信らと奔走(ほんそう)し、渋沢栄一を抜擢したことはドラマでも描かれましたね。

※Wikipediaには「明治維新後は伊藤博文と改名し」と書いてありますが、「俊輔」は通称で「博文」は諱(いみな)なので、維新前から「博文」を名乗っていたものと思われます。

「通称」と「諱」について:
武家や公家の名前について

ちなみにですが、俊輔の本来の家である林(はやし)家は百姓ではありますが、元々は伊予(いよ)河野(こうの)家の分流である林家だと主張しています。

この林家は織田右府信長の傅役(もりやく)であった林佐渡守秀貞の一族と同族であり、さらに三島弥兵衛通庸や三島弥彦を輩出した薩摩三島(みしま)家とも同族となります。

そのため、博文自身は「越智(おち)氏」を名乗っているんです。

三島家について:
『青天を衝け』第15回―三島家について

こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・渋沢 栄一〔篤太夫、栄二郎、栄一郎〕 源 美雄
しぶさわ えいいち〔とくだゆう、えいじろう、えいいちろう〕 みなもと の よしお
・大隈 八太郎 菅原 朝臣 重信
おおくま はちたろう すがわら の あそん しげのぶ
・伊藤(林) 俊輔〔春輔〕 越智〔藤原〕 朝臣 博文
いとう〔はやし〕 しゅんすけ〔しゅんすけ〕 おち〔ふじわら〕 の あそん ひろぶみ
・杉浦 愛蔵 平? 譲
すぎうら あいぞう たいら? の ゆずる
・前島 来輔 藤原 密
まえじま らいすけ ふじわら の ひそか
・赤松 大三郎 源 則良
あかまつ だいざぶろう みなもと の のりよし
・塩田 三郎 平? 篤信
しおだ さぶろう たいら? の あつのぶ?
・尾高 新五郎 (氏不明) 惇忠
おだか しんごろう (氏不明) あつただ〔ドラマ中では「じゅんちゅう」〕
・大久保 一蔵 藤原 利通〔利済〕
おおくぼ いちぞう ふじわら の としみち〔としずみ〕
・平岡〔岡本〕 近江守〔通称は円四郎〕 源?〔清原?〕 方中
ひらおか〔おかもと〕 おうみのかみ〔通称はえんしろう〕 みなもと?〔きよはら?〕 の けたち
・玉乃〔桂〕 泰吉郎〔東平〕 出雲?〔大江?〕 世履
たまの〔かつら〕 たいきちろう?〔とうへい〕 いずも?〔おおえ?〕 の よふみ
・渋沢 喜作〔成一郎〕 源 英明
しぶさわ きさく〔せいいちろう〕 みなもと の ひであき
・尾高 長七郎 (氏不明) 弘忠
おだか ちょうしちろう (氏不明) ひろただ
・渋沢〔尾高〕 平九郎 源 昌忠
しぶさわ〔おだか〕 へいくろう みなもと の まさただ
・伊藤〔水井、林〕 重蔵〔十蔵〕 藤原〔源?、越智〕 (諱不明)
いとう〔みずい、はやし〕 じゅうぞう〔じゅうぞう〕 ふじわら〔みなもと?、おち〕 の (諱不明)
・伊藤〔水井〕 直右衛門〔武兵衛〕 藤原〔源?〕 (諱不明)
いとう〔みずい〕 なおうえもん〔ぶへえ〕 ふじわら〔みなもと?〕 の (諱不明)
・伊藤 弥右衛門 藤原 (諱不明)
いとう やうえもん ふじわら の (諱不明)
・吉田〔杉〕 寅次郎 平? 矩方〔松陰〕
よしだ〔すぎ〕 とらじろう たいら? の のりかた〔しょういん〕
・桂〔木戸〕 小五郎 大江 孝允
かつら〔きど〕 こごろう おおえ の たかよし
・井上〔志道〕 聞多〔文之輔〕 源〔大江〕 惟精〔馨〕
いのうえ〔しじ〕 ぶんた〔ぶんのすけ〕 みなもと〔おおえ〕 の これきよ〔かおる〕
・高杉 晋作 源 春風
たかすぎ しんさく みなもと の はるかぜ
・織田 右大臣兼右近衛大将〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ うだいじんけんうこんえのだいしょう〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・林 佐渡守〔但馬守。通称は新五郎〕 越智 朝臣 秀貞〔俗に通勝〕
はやし さどのかみ〔たじまのかみ。通称はしんごろう〕 おち の あそん ひでさだ〔俗にみちかつ〕
・三島 弥兵衛 越智 通庸
みしま やへえ おち の みちつね
・三島 弥彦 越智 (諱不明)
みしま やひこ おち の (諱不明)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
ゆーくんはどこ?
ポチの女房
心の雑草

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