三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和2年2月18日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第12弾として「三方ヶ原(みかたがはら)の合戦」について書きます。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

第1回 今山の合戦
第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦
第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦
第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦
第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦
第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦

『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の今川徳三氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!




二俣城落城後の武田信玄


以前の記事でご紹介しましたが、元亀(げんき)3年(1572年)、甲斐(かい)の虎武田信玄は上洛を企図して徳川(とくがわ)遠江(とおとうみ)に兵を進めました

途上にある城を次々と落とし、一言坂(ひとことざか)で小競り合いをした後二俣(ふたまた)城に転進し、落城させました


一言坂の戦いについて知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
一言坂の戦い合戦に学ぶ―がむしゃらになれ

関連記事:
二俣城の合戦―「見る」のではなく「観る」


二俣城を出た信玄は城の南西にある合代島(ごうだいじま)に陣を布き、しばらくそこに滞在します。
(下掲地図参照)




信玄の浜松進軍と転進


徳川侍従家康は信玄の動きが読めずに判断に迷っていました。

信玄が徳川侍従の居城浜松(はままつ)城を攻めるにしても、攻めずに素通りするにしても、打って出なければ面目が立たないと判断し、浜松城を出て野戦に持ち込む決意をしました

そんな中、信玄がついに動きました。

合代島から天竜川(てんりゅうがわ)を渡って浜松城の目と鼻の先、有玉(ありたま)に陣取ったのです。

城を出ていた徳川軍は兵を南下させますが、信玄は浜松城を目指さずに北西に向かいます

いぶかしんだ徳川侍従は武田(たけだ)軍を追尾しますが、武田軍の進軍は止まりません。

このまま武田軍が進めば「祝田(ほうだ)の坂」と呼ばれる坂に差し当たるため、徳川侍従はそこを狙い、戦闘を仕掛けることにしました
武田軍が坂を下ったところを狙えば、徳川軍は坂の上から押しかけることとなり、有利だからです。

※三方ヶ原周辺地図(赤矢印は武田軍の動きです)





徳川軍の敗戦


徳川軍が祝田の坂を目指して進軍していると、突然喊声が響き渡りました

徳川軍の左翼石川伯耆守数正と武田軍の右翼小山田左兵衛尉信茂とが衝突したのです。

てっきり祝田の坂を下ったと思っていた武田軍は実は坂上で向きを変え、徳川軍の到着を待っていたのでした。

徳川侍従は完全に信玄の策中にありました

数で劣る上に、不利な陣形のまま合戦に突入した(陣形については下記ブログさんをご参照ください)徳川軍はさんざんに蹴散らされ徳川侍従自身も敗走

討ち死に寸前のところで浜松城に帰着し、命拾いをしました。

討ち死にした武将多数。
割と有名な話ですが、この時徳川侍従の身代わりになって死んだ夏目次郎左衛門吉信は夏目漱石の先祖と言われています。
(余談になりますが、二俣城の合戦時に城将だった中根正照も戦死しています。
夏目次郎左衛門の子孫である夏目漱石の奥さんは中根氏という武家出身でして、この正照の血縁者なのかもしれませんね)


関連記事(夏目漱石関連の記事):
夏目漱石『こころ』におけるKの寿命問題

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『いだてん』第1~3回―異色の現代劇大河





徳川侍従の計略


戦勝に乗じた武田軍は浜松城の目前まで迫りました

徳川家はもはやこれまでと思われましたが、武田軍は突如転進して北西の刑部(おさかべ)を目指していきました。

武田軍が浜松城に到着した頃、徳川侍従は城のすべての門を開け放ってかがり火をたき、完全無防備状態にしました。
これを見た武田軍があまりの無防備さをいぶかしみ、罠を警戒したためと言われています。

徳川侍従が行ったのはいわゆる「空城計(くうじょうけい)」と言われる計略でした。
(これは史実ではないという説あり)

この空城計との前後関係はわかりませんが、三方ヶ原から敗走した徳川軍(主に大久保七郎右衛門忠世隊)が犀ヶ崖(さいががけ)にて穴山梅雪隊に奇襲を仕掛け、一矢報いています。




ビジネスに活かす要素は?


この戦いは武田信玄の戦のうまさと徳川侍従の未熟さが際立つ戦いですね。

信玄の視点で書くべきか、徳川侍従の視点で書くべきか迷うところですが、ミスや失敗の方が学ぶことが多いため、徳川侍従の視点で考えたいと思います。

反省点としては、武田軍の動きに対して読みが甘かった点ですかね。

楽観視しすぎたということです。

ネット上の情報には「楽観的に考えた方がいい」「ポジティブ思考の方が運がよくなる」みたいな情報が多いですが、それとこれとはまた別の話ですね。

抽象度が違います。

漠然とした大ゴールのレベルでは「絶対にうまくいく」という楽観思考が大事ですが、実務を遂行するにあたってはとことんネガティブ思考の方が正解です。

あらゆるトラブルを予想して対策を練るんですが、誰にでもそれができるならだれも失敗しません。

人は、経験していないことを予測することはほぼできません。

だから、小さく冒険して小さく失敗することを繰り返しておくんです。
それで失敗の経験を積んでおけば脳の中でトラブルシューティングが自動再生されます。

徳川侍従の場合は武田軍が祝田の坂上で待ち構えているとは予想だにしていなかったんですね。
(武田軍は徳川軍を誘いだして、自分たちに有利な土地で迎え撃ったわけです)

ただ、徳川侍従の見事なところは反省と転進のスピードですね。
彼はミスをしたら常人離れしたスピードで反省し、あっという間に改めます。
(史実かどうかはわかりませんが、敗戦のさなかに空城計を実行するという冷静さにもそれが出ていますね)

「君子は豹変(ひょうへん)す」と言いますが、これができる人は最強です。

関連記事:
金ヶ崎城の合戦―過去の実績にこだわらない

豹変力」とでも名付けましょうか笑

というわけで、みんなで豹変力を身につけていきましょう笑

今回は以上です!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・徳川 侍従〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
とくがわ じじゅう〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・石川 伯耆守〔通称は与七郎〕 源 朝臣 数正
いしかわ ほうきのかみ〔通称はよしちろう〕 みなもと の あそん かずまさ
・小山田 左兵衛尉〔通称は弥五郎〕 平 朝臣 信茂
おやまだ さひょうえのじょう〔通称はやごろう〕 たいら の あそん のぶしげ
・夏目 次郎左衛門 源 広次〔吉信〕
なつめ じろうざえもん みなもと の ひろつぐ〔よしのぶ〕
・夏目 金之助 源 (諱不明)〔号漱石〕
なつめ きんのすけ みなもと の (諱不明)〔号そうせき〕
・中根 (官職・通称不明) 平 正照
なかね (官職・通称不明) たいら の まさてる
・大久保 七郎右衛門 藤原 忠世
おおくぼ しちろううえもん ふじわら の ただよ
・穴山 玄蕃頭〔通称は彦六郎〕 源 朝臣 信君〔梅雪〕
あなやま げんばのかみ〔通称はひころくろう〕 みなもと の あそん のぶただ〔ばいせつ〕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
戦国武将列伝Ω 1100記事
ヒストリア(歴史のネタ)
今日は何の日?徒然日記

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