『青天を衝け』第27回―「藩」はどうなったのか? | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年10月2日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第27回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しむヒント】
・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について・第6回―美賀君の血筋
・第7回―井伊家について・第8回―岩瀬忠震の出自
・第9回―安政頃の西郷吉之助・第10回―安藤信正について
・第11回―高崎城について・第12回―一橋徳川家について
・第13回―越前松平家について・第14回―島津家について
・第15回―三島家について・第16回―池田屋事件について
・第17回―武田耕雲斎について・第18回―天狗党の乱について
・第19回―小栗家について・第20回―土方家について
・第21回―杉浦愛蔵について・第22回―保科俊太郎について
・第23回―栗本鋤雲について ・第24回―証券とは何か
・第25回―貨幣経済とは?・第26回―高松凌雲について


まずはあらすじ。


第27回のあらすじ


明治元年(1868年)末、渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は駿府(すんぷ)で主君・徳川前内府慶喜(草彅剛)と面会した。

そして、駿府藩の中老(ちゅうろう)・大久保一翁(木場勝己)や平岡準(大竹直)らに藩の勘定組頭(かんじょうくみがしら)に就くように命じられるが、辞退。

徳川家はかつての800万石から70万石に領地を削減されたが、駿府には日本中から旧幕臣(ばくしん)が押し寄せていた。

そんな中、篤太夫は自分が少ない藩の禄を食むわけにはいかないと言い、「コンパニ―」なるものを創るという。

藩内の旧幕臣や商人たちを巻き込んで、新たな事業を始めるという。

武士や商人たちはお互い一緒に働くことを嫌がったが、篤太夫は根気強く説得を続け、翌明治2年(1869年)1月、「商法会所(しょうほうかいしょ)」を設立する。

また、新政府から駿府藩に交付された「太政官札(だじょうかんさつ)」が借金だと看破した篤太夫は、平岡にこれ以上の太政官札の使用をやめるよう伝えた。

自身は余った太政官札を換金するため、江戸(えど)改め東京(とうきょう)の三井組事務所を訪れた。

三井組では2割の手数料を取られはしたが、無事換金することができた。

篤太夫は、その金で肥料などを買い集めて新たな事業の準備を始めた。

血洗島(ちあらいじま)からは妻の千代(ちよ)(橋本愛)と娘のうた(山崎千聖)を呼び寄せ、篤太夫は新たな人生を歩もうとしていた。

一方、箱館(はこだて)では五稜郭(ごりょうかく)が落城し、土方歳三義豊(町田啓太)が討ち死にした。

篤太夫の従兄の成一郎英明(高良健吾)は、土方から「生きろ」と言われ、涙ながらに逃亡するのであった。

その頃、東京の大隈八太郎重信(大倉孝二)邸では新政府の重鎮である伊藤俊輔博文(山崎育三郎)らが話し合いをしていた。

パリから、民部公子(みんぶこうし)・水戸民部大輔昭武(板垣李光人)の家賃の返金分1万5000両が送られてきたが、一行の会計係がそれを駿府藩に返すよう主張しているという。

その会計係の名は渋沢。

大隈は、「渋沢」がパリで4万両もの利益を蓄えたと聞き、驚愕するのであった。

ということで、




第27回「篤太夫、駿府で励む」の感想


今回も素晴らしかったです!

篤太夫の水戸(みと)行きを止める材料として、天狗党(てんぐとう)の復讐劇が挙げられていましたね。

天狗党は、元治(げんじ)元年(1864年)の「天狗党の乱」の時に諸生党(しょせいとう)や幕府の追討軍の攻撃で壊滅し、家族を惨殺され、ニシン倉に詰め込まれて無残に処刑されました。

天狗党についてもっと知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
『青天を衝け』第18回―天狗党の乱について

その首領であった武田耕雲斎(津田寛治)の孫が、江戸幕府(ばくふ)倒壊後に水戸に戻って諸生党の家族を惨殺して回っていたんです。

もはや志も何もなく、ただの殺人鬼ですね。

篤太夫にはそんな水戸には戻ってほしくない、というのは慶喜の心からの願いでしょうね。

次に描かれた篤太夫の「商法会所」設立のくだりも面白かったですね。

当時の武士としては「志」をもって主君に仕えてきた「矜持(きょうじ)があったでしょう。

また、「商売はいやしいもの」というパラダイムをもっていたようなので、商人と一緒に仕事をするなんてことはとてつもなく辛く、悔しいことだったでしょうね。

※そしていまだに「商売はいやしいもの」というパラダイムが日本人に根強く残っていますね。「お金儲け」が悪いことだと思っている人が多い印象ですが、人を幸せにして儲けるお金は、本当に悪いものでしょうか?


関連記事:
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ

関連記事:
『青天を衝け』第25回―貨幣経済とは?

関連記事:
『青天を衝け』第24回―証券とは何か


そんな中、プライドを噛み殺して篤太夫に協力する川村恵十郎正平(波岡一喜)はかっこよかったですね!

また、千代とうたは篤太夫と一緒に暮らせるようになって本当によかった。

箱館での成一郎の様子もしっかり描かれていてよかったです。

今後の活躍が楽しみです!

そして今回最も気になったのが、伊藤博文のキャスティング!

イケメン過ぎだろう!w

篤太夫は主人公補正ということで現実よりもイケメンなのは目をつぶるとして、他のキャストはご本人の写真そっくりな方が多くて感心していたのですが、俊輔はあんなイケメンじゃない!w


伊藤俊輔関連の記事:
『青天を衝け』第29回―伊藤博文について

伊藤俊輔の登場する記事:
『青天を衝け』第31回―井上家について


以上、第27回の感想でしたw




第27回を楽しむヒント―「藩」はどうなったのか?―


今回は大隈八太郎の重信公について書こうかと思ったのですが、その前に大きな疑問がスルーされている感じだったので捕捉しようと思います。

それは、「『藩』はどうなったのか?」ということ。

多くの方のイメージとしては、明治維新を迎えた後すぐに廃藩置県(はいはんちけん)が実施され、「藩」はなくなったという感じだと思います。

事実、廃藩置県により「藩」はなくなっているのですが、廃藩置県が行われたのは明治4年(1871年)のこと。

今回のドラマで描かれた状態、つまり、新政府が東京に拠点を置き、箱館以外を支配下に置いた状態が明治2年(1869年)ですから、廃藩置県までの2年間は「藩」が存在していたんですね。

実はその「藩」にはまだ大名(だいみょう)が君臨していて、大名の治める「藩」と、新政府が直轄する「府」「県」の3つの地方自治体制があったんです。
※これを「府藩県三治制(ふはんけんさんちせい)」と言います。

そこに至るまでの過程を説明します。

新政府は戊辰(ぼしん)戦争後、敵対した大名や旧幕府の駿府以外の土地を没収して直轄地としました。

それら直轄地には中央からそれぞれ「知府事(ちふじ)」、「知県事(ちけんじ)」を派遣したのですが、新政府と敵対していない多くの「藩」については突然なくすわけにはいきませんでした。

ですから、現代でいう「知事」的な人が治める「府」「県」と、大名が私有する「藩」が各地に散在していたんです。

しかし、多くの藩は江戸時代から財政難が続いてました。

さらに、幕末の混乱と戊辰戦争の影響による内紛等で政治体制にダメージを受けており、まともに領内を統治できる状況ではありませんでした。

そんな状況ですから、姫路(ひめじ)藩など、新政府に自ら領地の没収を願い出た藩もあるくらいでした。

そういった状況を鑑みて、新政府は薩長土肥(さっちょうとひ)の雄藩(ゆうはん)がリードする形で明治2年(1868年)7月、つまり今回のドラマで描かれた頃に「版籍奉還(はんせきほうかん)」が実施されました。

これは、それまで大名が私有していた土地と領民を天皇、つまり新政府に返還したということです。

これによって大名たちは新政府の制度下に置かれることとなり、「知藩事(ちはんじ)」という役職に任命され、今まで通り「藩」の統治者として位置づけられました。

ただ、この制度を誤解していた大名もいたという話があります。

江戸時代の大名は、代替わりごとに江戸幕府に領地を安堵されることで支配の正当性を保っていました。

しかし、大政奉還(たいせいほうかん)によって江戸幕府はなくなり、安堵する主体がなくなってしまったんですね。

ということは、大名たちが領地を支配する正当性がなくなってしまったということであり、慶応(けいおう)3年(1867年)以降は大名の領地支配はあいまいな状態となってしまったんです。

そんな状況だったので、明治2年に「版籍奉還」が行われたことで、大名によっては新政府によって領地が「安堵」された、つまり、今までのように「藩」を私有地として認められたと思っていたようです。

しかし、実際は「藩」はこれまでのように「私有地」として認められたというわけではありませんでした。

大名たちは「藩」を私有しているわけではなく、新政府の土地に地方行政官として任命された状態となったわけです。

※ちなみに、江戸時代中は行政制度としての「藩」という呼称は存在しませんでした。
(俗称としてはありました)

「藩」はこの「版籍奉還」で初めて正式な行政制度として登場したもので、江戸時代の大名の領地を「藩」と呼称するのは実は不正確な表現なんです。

しかし、江戸時代の大名の領地を指して「藩」ということがあまりにも普及していしまっているため、便宜上江戸時代中の大名の領地も「藩」と呼称しました。


今回のドラマの背景では、こういった出来事が起こっていたんです。

こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・渋沢 篤太夫〔栄一、栄二郎、栄一郎〕 源 美雄
しぶさわ とくだゆう〔えいいち、えいじろう、えいいちろう〕 みなもと の よしお
・前征夷大将軍 (一橋)徳川〔松平〕 前内大臣〔幼名は七郎麻呂〕 源 慶喜〔昭到〕
さきのせいいたいしょうぐん (ひとつばし)とくがわ〔まつだいら〕 さきのないだいじん〔幼名はしちろうまろ〕 みなもと の よしのぶ〔あきむね〕
・大久保 越中守〔幼名は市三郎〕 藤原 朝臣 忠寛〔号:一翁〕
おおくぼ えっちゅうのかみ(幼名はいちさぶろう) ふじわら の あそん ただひろ
・平岡 和泉守〔通称は準?、四郎兵衛、四郎、準蔵〕 源 朝臣 (諱不明)
ひらおか いずみのかみ〔通称はじゅん?、しろうべえ、しろう、じゅんぞう〕 みなもと の あそん (諱不明)
・土方 歳三 (氏不明) 義豊
ひじかた としぞう (氏不明) よしとよ
・渋沢 成一郎〔喜作〕 源 英明
しぶさわ せいいちろう〔きさく〕 みなもと の ひであき
・大隈 八太郎 菅原 重信
おおくま はちたろう すがわら の しげのぶ
・伊藤〔林〕 俊輔〔春輔〕 越智〔藤原〕 朝臣 博文
いとう〔はやし〕 しゅんすけ〔しゅんすけ〕 おち〔ふじわら〕 の あそん ひろぶみ
・(清水、水戸)徳川〔松平〕 侍従兼民部大輔〔幼名は余八麿〕 源 朝臣 昭武〔昭徳〕
(しみず、みと)とくがわ〔まつだいら〕 じじゅうけんみんぶのたゆう〔幼名はよはちまろ〕 みなもと の あそん あきたけ〔あきのり?〕
・武田〔跡部〕 伊賀守〔通称は彦九郎〕 源 朝臣 正生〔号耕雲斎〕
たけだ〔あとべ〕 いがのかみ〔通称はひこくろう〕 みなもと の あそん まさなり?〔号こううんさい〕
・川村 恵十郎 藤原? 正平
かわむら えじゅうろう ふじわら? の まさひら
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
ぴえーるのテレビブログ
2次元なんやかんや
韓ドラ大好きおばさんの「言いたい放題いわせてヨ!」

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