「大きな欲」と「小さな欲」―山岡荘八『徳川家康』第6巻 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年7月22日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は山岡荘八氏の大作『徳川家康』(全26巻)の第6巻「燃える土の巻」のご紹介です。

個人的にはこの『徳川家康』は祖母が愛読していたということで、愛着のある作品です。

読み始めたのは去る平成24年。今から9年前です。

他の本に浮気しつつも全26巻を最初に読み終えたのが、2年後の平成26年ごろだったと思います。

直後に2回目を読み始め、それが終わったのがまた2年後の平成28年ごろ。
またすぐに3回目を読み始めて今は23巻を読み終わったところです。

徳川家康というと、「織田信長と豊臣秀吉が作り上げた天下統一の功績を、関ヶ原(せきがはら)の戦いと大坂(おおさか)の陣で豊臣(とよとみ)家を滅ぼしてかっさらった」みたいな言われ方をしていますが、僕はそれを払拭(ふっしょく)したい!

この小説は全26巻あるので非常にハードルが高いのですが、この小説さえ読んでいただければ、家康のそういった「古狸」的なイメージは一新できると信じているのです。

【これまでのレビュー】
第1巻:
平和への願いとともに生まれた徳川家康(山岡荘八『徳川家康』第1巻)

第2巻:
これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

第3巻:
言葉と人間の本質を見極めた「人間学」―山岡荘八『徳川家康』第3巻

第4巻:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

第5巻:
苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻

では、まずは第6巻のあらすじです。
※記事を書く都合上、小説中でのエピソードの登場順と下記あらすじは前後することがあります。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。




奥平家の悲劇


元亀(げんき)3年(1572年)、遠江三方ヶ原(とおとうみ・みかたがはら)にて宿敵・武田信玄に大敗した徳川侍従家康は、野田(のだ)城の戦いでの不自然な武田軍の撤退に、「信玄は死んだのでは?」との疑念を抱いていました。


三方ヶ原の戦いについて知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」

関連記事:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力


同年中に信玄の死を確信した家康は、東三河(ひがし・みかわ)の重要拠点である長篠(ながしの)城を奪回すべく、総攻撃を仕掛けました。

同時に、奥三河(おくみかわ)の有力国人(こくじん)であった山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)などに調略をかけ、作手(つくで)城主・奥平美作守貞能の帰参(きさん)を取り付けました。
※奥平(おくだいら)家は徳川侍従の三河統一時には徳川(とくがわ)家臣となっていますが、元亀の武田信玄侵攻時に武田(たけだ)家に寝返っていました。

参考地図(長篠の合戦時のもの):
※クリックで拡大されます。


美作守は武田方に寝返りを疑われますが、嫡子(ちゃくし)・九八郎貞昌の表向きの妻・おふうと子(九八郎にとっては弟)の千丸(せんまる)〔史実では仙千代(せんちよ)〕を人質に出し、窮地を切り抜けます。

おふうと千丸は後に処刑されることになりましたが、その犠牲により徳川侍従は長篠城を落とすことに成功します。




於義丸の誕生


以前、徳川侍従は正室(せいしつ)・築山御前(つきやまごぜん)の侍女であったお万(まん)手をつけてしまいました。

参考記事:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

お万は築山御前の妬心から逃れるため、徳川侍従の重臣・本多作左衛門重次の機転により本多豊後守広孝の下に匿われていました。

そのお万の方が、天正(てんしょう)2年(1574年)についに男子を生んだのです。

その名も於義(おぎ)丸。

後の越前中納言・結城秀康です。

関連記事:
『青天を衝け』第13回―越前松平家について

作左衛門は築山殿の勘気(かんき)を避けるため、お万を遠江・気賀(きが)の中村源左衛門正吉宅に預けていたため、於義丸はそこで養育されます。
※この源左衛門の子が『おんな城主直虎』に登場した中村与太夫と思われます。

関連記事:
『おんな城主直虎』第41~45回―終盤でやっと面白くなってきた




大賀弥四郎の処刑


武田方と通じ、徳川を裏切って岡崎(おかざき)城を乗っ取ろうと考えていた勘定方(かんじょうがた)・大賀弥四郎は、徳川侍従の長篠城奪還の隙をついて武田方の武将を岡崎城へ引き入れようと画策していました。

弥四郎は、手下の山田八蔵重秀を武節(ぶせつ)城に遣わし城将・下条伊豆守(信氏)と連絡をつける手はずでしたが、前もって武田方に情報をもたらすはずだった僧・減敬(げんきょう)が徳川家に斬られていたことで計画が伝わっておらず、伊豆守とのコンタクトに失敗します。

下条伊豆守の登場する記事:
天目山の戦いから学ぶ―撤退のベスト・タイミングとは

その後、弥四郎は共謀者である築山御前との謀議を徳川侍従の嫡子・岡崎三郎信康の正室・徳(とく)姫の侍女・小侍従(こじじゅう)聞かれてしまいます。

小侍従はそのことを徳姫に告げ、徳姫は岡崎三郎にそれを伝えますが、三郎は癇癪(かんしゃく)を起こし小侍従を斬ってしまいます。

ことの露見を恐れた弥四郎は築山御前を見限り、徳姫に築山御前の謀略を告げ、自分はそれを探るために御前に近づいたと言います。

この弥四郎の行動に、自分達も悪者にされるのではないかと恐れた山田八蔵は同僚の近藤壱岐に弥四郎の謀略を告げ、ついに弥四郎は捕らえられ処刑されます。

弥四郎の裏切りに気づかず彼を重用していた徳川侍従は、「家臣を見る目がなかった」と深く反省することになります。
※物語中では同時進行で第一次高天神(たかてんじん)城の戦いが描かれています。

関連記事:
第一次高天神城の合戦-場を俯瞰する




「大きな欲」と「小さな欲」


ここからは感想となります。

まず、この巻で捉えるべき点は、上記奥平家の帰参で犠牲となったおふうと奥平千丸らについてだろうと思います。

武田家の侵攻を退け、三河に平和をもたらすためには奥平家の協力が不可欠でした。

しかし、それを成功させるためには奥平家の裏切りを武田四郎勝頼に悟られてはいけませんでした。

奥平家の潔白を証明するために人質として武田家へ赴いたおふうと千丸は、最初から処刑されていることが決まっていました。

この悲劇について、この『徳川家康』は決して「必要な犠牲」として無理やり読者を納得させるような姿勢ではないというのが僕の印象です。

そもそもこの悲劇を生む根本は「戦乱」であり、人々が自らの欲望のために他人を犠牲にするような行動をしなければ、防げた犠牲だったわけです。

日本全体が「徳」のある政治に導かれて、庶民に到るまでその「徳」に教化されていれば起こらなかった悲劇です。

大賀弥四郎の事件も、源流のひとつとしては徳川侍従が築山御前を持て余し、きちんとケアできていなかったことがありますが、弥四郎自身が「自らの欲望のために他人を犠牲にする行動」をとってしまった結果と言えるでしょう。

人間は、自らの「欲」を消し去ることはできません。

しかし、それが「小さな欲」であってはいけないと思っています。

短絡的で近視眼的な「欲」は必ず他人との衝突を生みます。

しかし、それが「大きな欲」であれば必ず他人と協調してともに歩む必要が出てきます。

一人で達成することができないからです。

そして、他人に喜んでもらった方が圧倒的に気分がいいからです。

他人にとっても、自分にとってもいい結果を目指さなければ「大きな欲」を達成することはできません。

そのような、「大きな欲」を目指したいものです。

そのためには、まずは「感情の統制」が達成すべき関門となるんです。


「感情の統制」についての関連記事:
『青天を衝け』第16回―池田屋事件について

同関連記事:
ブログ開設16周年!!

同関連記事:
『青天を衝け』第2回―身分秩序について


他にも書きたいことは山ほどありますが、今回は以上となります!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・徳川〔松平〕 侍従〔通称は次郎三郎〕 源〔藤原〕 朝臣 家康〔元康〕
とくがわ〔まつだいら〕 じじゅう〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと〔ふじわら〕 の あそん いえやす〔もとやす〕
・奥平 美作守〔通称は九八郎〕 源〔丈部〕 朝臣 貞能〔正しくは定能〕
おくだいら みまさかのかみ〔通称はくはちろう〕 みなもと〔はせべ〕 の あそん さだよし〔正しくはさだよし〕
・奥平 九八郎 源〔丈部〕 貞昌〔のち信昌〕
おくだいら くはちろう みなもと〔はせべ〕 の さだまさ〔のちのぶまさ〕
・本多 作左衛門 藤原 重次
ほんだ さくざえもん ふじわら の しげつぐ
・本多 豊後守〔通称は彦三郎〕 藤原 朝臣 広孝
ほんだ ぶんごのかみ〔通称はひこさぶろう〕 ふじわら の あそん ひろたか
・松平〔結城、羽柴〕 権中納言〔通称不明〕 源〔藤原、豊臣〕 朝臣 秀康
まつだいら〔ゆうき、はしば〕 ごんのちゅうなごん〔通称不明〕 みなもと〔ふじわら、とよとみ〕 の あそん ひでやす
・中村 源左衛門 源 正吉
なかむら げんざえもん みなもと の まさよし
・大賀〔大岡?〕 弥四郎 〔藤原?〕 (諱不明)
おおが〔おおおか?〕 やしろう 〔ふじわら? の〕 (諱不明)
・山田 八蔵 源? 重秀
やまだ はちぞう みなもと? の しげひで
・下条 伊豆守〔兵庫助。通称不明〕 源 朝臣 信氏
しもじょう いずのかみ〔ひょうごのすけ。通称不明〕 みなもと の あそん のぶうじ
・松平〔徳川〕 次郎三郎〔岡崎三郎〕 源 朝臣 信康
まつだいら〔とくがわ〕 じろうさぶろう〔おかざきさぶろう〕 みなもと の あそん のぶやす
・近藤 壱岐〔登之助〕 藤原? (諱不明)
こんどう いき〔とうのすけ?〕 ふじわら? の (諱不明)
・武田〔諏訪〕 四郎 源〔神〕 勝頼
たけだ〔すわ〕 しろう みなもと〔みわ〕 の かつより
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
問はず語り
徒然なるままに日暮らし~ババアの読書感想文~
cotoba ことばのデザイナー

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