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上野駅にて、特急はつかりです。上野青森間で運行されていました。

 

 

 

 

編成はやはり福島以北行きの定型、485系電車による普通車自由席が3両、指定席7両、グリーン車指定席1両、食堂車1両からなる、計12両編成。

 

 

 

 

 

 

そしてもう一種類。

 

 

 

 

 

 

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583系電車、いわゆる「月光型」です。
こちらは普通車指定席が1両多い、計13両編成です。
これは折り返し、寝台特急「ゆうづる」「はくつる」として運用されていたと思われます。

 

 

 

 

当時の設定は6往復。どちらの編成も3便ずつ。上野-青森間の所要時間は約9時間20分でした。
ちなみに東北新幹線「はやぶさ」だと3時間10分。凄まじい進化です。

 

 

 

 

 

 

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この時、私が実際に乗車したのは583系による「はつかり12号」。
仙台から東京への帰途、東北本線全特急ハシゴの仕上げで、宇都宮から大宮まで、束の間の56分間でした。
ちなみに、なぜ上野まで行かずに大宮で降りたのかは、理由があります^^

 

 

 

 

 

 

1982年11月、東北新幹線の盛岡開業後も、「はつかり」は盛岡発着の特急として存続しました。
便数は11往復と、むしろ増えました。

 

 

 

 

 

 

1988年3月、青函トンネル開通の時は、「はつかり」も1往復だけ、その後2往復が函館まで乗り入れました。

 

 

 

 

 

 

そして時は下って2010年12月4日、東北新幹線が新青森まで延伸
しかし、与えられた愛称は「はやて」でした。「やっと全線開業に漕ぎ着けた」という想いが強く、これまでと違う愛称を採用したかったのでしょう。
これにより、「はつかり」の名前は遂に時刻表から消えたのです。

 

 

 

 

 

 

この「はつかり」、青函連絡と関係する重要な特急でしたけど、
例えば上野駅を朝7時ちょうどに出発する「はつかり1号」を利用した場合、青森駅の到着は16:22。

 

 

 

 

青函連絡船は3時間50分かかりましたから、函館到着は21時くらいになってしまいました。
札幌までは特急で更に4時間かかります。その日のうちに到達することはできません。

 

 

 

 

現代の人が北海道へ行こうとする時、そんな「はつかり」を果たして選択するでしょうか?
余程の飛行機嫌いでない限り、空路を利用するのではないでしょうか?
今なら、私でもそうすると思います。
北海道&東日本パスを使用できるほど休みが取れたら別ですが^^)

 

 

 

 

 

 

しかし、私は青函連絡船には4回(2往復)乗ったことがありますが、どの便も結構混雑していました。
もちろん、青森駅は大混雑でした。

 

 

 

 

 

 

要するに、当時は空路はまだ庶民が気軽に利用できるものではなかった、ということなんだと思います。

 

 

 

 

加えて、携帯電話の影も形も無いどころかパソコンがまだ珍しかったこの時代、
時間が今よりもゆったり流れていたことを物語る光景だったんだなぁと、改めて気付かされる思いです。