1月26日 新宿の続きです。

思い出横丁から伊勢丹方面へと進み
「四季の路」にはいります。
ここは昔の通勤路

両サイドに緑の多い道

もしかしたらブラタモリで
取り上げられたことがあるのかもしれませんが
実はこの道、
廃線になった都電の線路跡を遊歩道に
リニューアルした道なんです。

緑が多くていいところですよ。

新宿伊勢丹と花園神社を結ぶ道
その途中には

新宿ゴールデン街があります。

ここは昔っから変わらない場所なんですが、
ここの路地は諸事情により撮影できません。

気になる方は実際に
足を運んでみてください。

思い出横丁もそうですが
戦後の闇市から発展した街ってのは
独特のノスタルジーな雰囲気があります。

私が好きなのは
新宿 思い出横丁、
新宿ゴールデン街、に続き
品川港南口の闇市横丁、
新橋のニュー新橋ビル周辺、
大井町の東小路、
渋谷の飲兵衛横丁、
吉祥寺のハモニカ横丁、
あたりですかね。

特に品川港南口の
異次元に迷い込んだのかと思うくらい
「え?こんなとこ入ってっていいの?
えええ????こんな場所があるの?」
ってくらいビルの谷間にひっそりと存在する
路地裏街は大好きだったりします。
そういうとこ、再開発で
どんどん消えてっちゃうのが
寂しいですよね。
街ごと文化遺産にして保護すべき!
特にゴールデン街あたりは
インバウンド需要に
かなり貢献してるようですよ。


そんなゴールデン街を四季の路から。

あれれ?シャボン玉?

と思ったら左奥の集団、
コスプレの撮影をしておりました。
みずいろのセーラー服?でしたよ。


四季の路から見た景色

そして少し歩くと
おお、ここも相変わらず。

ホストクラブがたくさん入ったビル。
ここらもね。
当時はなんか凄かったですよ。

朝、とてもここに書けないような格好で
タクシーを止めるホストくん。

それを指差してゲラゲラ笑う女の子。

そんな異様な光景にもかかわらず
車を止めるタクシー。

とか。

「人の壁」の話とか。

懐かしい…何もかもが懐かしい…。

そうそう、当時この近くに
いわゆる街中華のお店があって、
頻繁に通っていました。

気さくなおばちゃんがいて、
「ラーメンとチャーハンのセット」と
「チャーハンとラーメンのセット」を
教えてくれましたっけ。

晩飯時はいっつも時代劇の番組が
ブラウン管のテレビから流れてましたね。

Googleマップで見ると今は再開発で
そのあたり一帯が大きな施設に
まるっと置き換わってしまっていました。
悲しいなぁ。

職場のすぐ隣のチェーン店は
2回目の◯人事件の時非常線が
張られてましたが、おまわりさんに
「腹減ったんすけど」と言ったら
非常線のけてくれたのでお店に入れてくれたよ!
そのあと職場に事情聴取とかきたけど。
「人の壁」、役にたたなかったんやね。

まあ本当にいろいろありました。

そこから、新大久保方面に向かいます。

去年たしかブログにも書いたけど
このホルモン焼きやさん、美味いです。
「極みホルモン」てのがサイコーです。
このお店に入って、生ビールと
極みホルモンだけを延々飲み食いし、
それだけで出てきたことがあります。
それくらい美味い。

当時は七輪で焼いていたので
火の残ってる七輪を店の軒先に並べてて、
真冬の時期は「おうちの無い方」たちが
暖を取りに集まってたりしました。




当時すでに新大久保界隈は
冬ソナなど韓流ドラマブームが始まっていて
新大久保の駅の周辺には
韓流グッズショップが増え始めていました。
ただ、客層は今とは全く違い、
主婦層が大多数を占めていました。

そんな、韓流グッズの並ぶ、
観光客が多い明洞のような賑わいのエリアと、
歌舞伎町2丁目の歓楽街のハザマの地区は
まさにディープゾーンでございました。

今ほどインバウンド客も無かった時代に
すれ違う人はほとんど外国語。
スーパーに入っても陳列されている商品に
日本語は一切なく、値札も同様。

かろうじて見かける、
唯一ここが日本であることを
知らしてめくれる文字といえば
「¥」という記号のみ。

そんな、
「外国人の、外国人による、外国人のための街」
がここらに広がっていました。

そんなスキマゾーンの痕跡を
今でもわずかに感じることができました。

日本語を探せ!

「ドラッグストアではダイコク…」
「5%還元」

看板に日本語少ね〜!
てか目立たね〜!

店内からガンガン流れる呼び込みの放送も
ぜ〜んぶ中国語。

当時はオール韓国語だったのに
中国語の進出、勢いありますね。


「家庭料理」とか書いてあるお店に入っても
メニューは全てハングルで書かれていて
気さくなオモニが韓国語で話しかけてくる世界

「いやいや、我々日本人すよ」

って伝えると、そこでようやく
カタコトの日本語での会話が始まる世界。

500円のワンコインランチで
お通しが5種類も出てからメインディッシュ、
ライスはお代わり自由という贅沢な食事は
激辛なれど激ウマでした。
あの店まだあんのかなぁ?
今回見てこなかったなぁ。

白菜キムチの小売をしてるってんで
美味いから買って帰ろうとしたら
最小単位が白菜一玉丸ごと漬けたやつ。
それを、洗濯機のような形の
「キムチ専用冷蔵庫」から取り出して売ってくれる。
そんな大きさのもの、持って帰れないので
ごめんなさいしちゃいましたけど。
そこいらで無料で配布してるタウンペーパーには
そのキムチ専用冷蔵庫の広告が載ってました。
もちろん日本語は一切なし。

一番驚いたのは、その近くの大きな韓国料理店
真冬の寒い日に、辛いものを食べて暖まろうと
お店に入ってしばらくしたら
団体さんがご入店。

ツアコンの人が声を張り上げてたので、
てっきり韓国の団体さんが日本に
観光に来たのかと思ったら、
日本人が、日本の中の韓国に
旅行に来てました。

「コノオミセ、オイシダカラ
タクサンタベル、イイネ!
アトーイチジカンシタラ
アタシココニムカエニクルダカラ、ジャネ!」

と日本人観光客に言い残して
ツアコンの人が消えていきました。

う〜む、ここはどこ?ワタシは誰?
と思いながら食べたスンドゥブチゲの味は
忘れません(笑)

この頃はデフレが進んでいて、

「韓国旅行 19,800円より」

なんて広告が出回ってましたけど、
そんな大金かけなくても
全く「居ながら」にしてアジア旅行と
美味しいエスニック料理を楽しめちゃう
わけなんですよ。
とにかくいろんなことが
衝撃でした。


闇の先の天使

やはり中国語がかなり増えてますねぇ
でもってここなんか日本語なんてありゃしない


日本語を探せ!

「チーズボンチキン」かな?

メニューはほぼハングル

日本語を探せ!

「韓国式ホットドッグ」
必要最小限すぎる(笑)


当時もこういう、
ユースホステルみたいなのがありました。
料金表はやっぱり解読できなかったんですけど
1,700円とか書いてあったかな。
それが宿泊料金なら、
下手なカプセルに泊まるより安いよね、
って話をした記憶があります。



大久保通りに近づくにつれ
若い日本人が増えてきます。

集団で水飴みたいなの食べてますが
なんじゃこれ。


ここまで来ると、ほぼ原宿

高校生くらいの女の子がほとんどです。

冬ソナブームの頃の主婦層とは
ガラッと変わってます。
むしろその娘さん世代より若いのでは。


ここらはあまり変わってないかな
お店そのものは変わってるかもですが。


ああ、なんか懐かしい景色
ここまで来ると日本語がだいぶ増えてきます

メニューもほらね、日本語

日本に帰ってきたぞ〜って感じ。


「でじに?らんど」


手持ちスローシャッターふたたび。



やっぱり客層が2〜30歳くらい若返ってる


ディ〜〜プな新宿散歩、これにておしまい。

今回も、載せるに載せられない写真多数(⌒-⌒; )

次回のモノクロ街歩き、乞うご期待!



今回のエンディングテーマは「そなちね」

とあるドラマ25のエンディングテーマでもあります

おしまい!