(S)の所のすぐ上が麦山の浮橋
このヌカザス山と入小沢ノ峰と間が
「おツネの泣坂」と言われています。
この名前の由来を勝手に想像してました。
ツネ泣はきっと、ツネさんが泣いたんだ。
小河内村がダム湖に沈むはるか昔、
小河内村にいたツネという娘さんが
山を越えた向こうの檜原村に嫁ぐことになり
嫁入りの日、檜原村にむかって歩きながら
ここで振り返って生まれ故郷を見下ろし
おっとうとおっかあに手を振りながら
言葉もなく涙を流した…
みたいな話があると素敵ですね!
(コレ全部私の妄想ですが)
気になって調べてみたら…
時は室町
今そのほとんどが奥多摩湖に沈む川野地区
(麦山の浮橋のかかっているあたり)に
川野城というお城がありました。
三田綱定の家臣で小河内衆の旗頭、
杉田重長のお城だったそうです。
その城に女中として奉公してたのが
お話の中心となるおツネさん。
たいそう美しい女性だったそうです。
その川野地区には今も現存する
浄光院というお寺がありまして、
六地蔵が祀ってあったりします。
(場所は浮橋からもうしばらく西側に進んだ
奥多摩湖北岸)
その浄光院に、光蘭という
これまた美男子の僧侶が赴任してきたところから
ドラマが始まります。
おツネさんと光蘭は
程なくして恋仲になりました。
夜な夜な二人は逢瀬を続けましたが、
このことが浄光院の住職の耳に入ると、
光蘭の修行の妨げになると考え、
光蘭を寛珠院というお寺に
異動させてしまいました。
この寛珠院は西原地区にあり、
川野地区から見るとちょうど三頭山を挟んだ
南側で、数馬の湯からは
槇寄山(西原峠)を挟んで西側になります。
(現存しているかは確認できませんでした)
離れ離れになってしまったおツネさんは
諦めきれず、今度は三頭山を越えて
西原の寛珠院まで
夜、足しげく通うようになります。
しかしながらおツネさんは
川野城に勤める女中。
朝も早くから仕事が待っています。
朝のお勤めに間に合うように、
そして光蘭との逢瀬を惜しむように
泣きながら入小沢ノ峰を駆け下りる
おツネさんの姿が目撃されるようになりました。
おツネさんの切ない心情を哀れんで
付近の人たちが歌にした…ということだそうです。
槇寄山の、西原側の登山口にあたる
郷原に、この物語が
記された案内板が立っているようです。
結論:イケメンはモテる!
遠く遠くながれる明けの鐘
しのび通いのはかなさに
祈る峠の地蔵さま、
香蘭、香蘭、月を呼ぶよなツネ泣き峠
〜奥多摩地方に伝わる歌〜
この水面下にかつて川野城がありました





