前から一度行きたいと思っていた
深大寺界隈を散策してきました。

昨日アップした植物園は、
この近くにある神代植物公園です。
おなじ「じんだい」と読むのに
なぜか字が違うんですね。


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門前の街並みはこんな感じ
緑が豊富です。



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お店一軒一軒に
趣があります。



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この辺りは深大寺蕎麦が有名。
いろんなお店で食べられます。



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私はこちらのお店、
そば処玉乃屋さんでいただきました。
意外と歯ごたえがありつつも、
つけ汁は好みの辛味の強い
江戸っ子向けの味で満足満足(^ ^)



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仏様はこんな感じ。



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ここでも御朱印を頂いて帰りました。


なぜ日本人は宗教宗派にこだわらず
あちこちの名刹と呼ばれる寺社仏閣に
参拝するのか?

これは江戸時代から続く文化なんですね。
当時江戸幕府は、再び戦乱の世に戻らないよう
諸国の大名や平民の行き来を厳しく制限しました。
箱根や新居の関所などを理由なく
越えることはできなかったのです。
諸国大名に参勤交代を命じたのも、
大名が軍備を整えないよう、
江戸城下に武家屋敷を建てて
資金の流れを見える化したためですね。
(幕末になると薩摩の兵器近代化を
阻止することができなくなっていたわけですが。)

では、江戸時代の民衆は国境(くにざかい)をこえて
旅行に行けなかったのかというと、
「とある目的」であれば特例的に認められていました。
その目的というのが、寺社仏閣への参拝でした。
地元の偉い人に信仰による旅ということで
通行手形を発行してもらえれば、
関所を越えることが認められたんですね。
(ちなみに諸国漫遊で知られる徳川光圀、
いわゆる水戸黄門様は、
実際には諸国漫遊はしていなかったとのこと)

江戸の人たちはこぞって、
お伊勢参りを目的とした東海道の旅を楽しみ、
江戸以外からは浅草寺への参拝が人気だったようです。
丁稚奉公にきてる従業員が
「お伊勢参りに行ってきます!」
といえば奉公先の主人も認めざるを得なかったとか。

そのため大きなお寺の周りには
名物の食べ物屋さんなどが多く、
門前町が栄えたんですね。
正直なところ、信仰が目的ではなく、
旅の口実として信仰が持ち出され、
寺社仏閣側もそれを知って
テーマパーク化していったようです。

深大寺から少し北へ行くと武蔵境という駅があります。
おそらく旧中山道の、武蔵國との国境があったのでしょう。
いわば玄関口みたいなものですから、
信州や甲斐の国から江戸を目指す人が、
ここで一休みし、故郷の信州を思い出しながら
お蕎麦を食べて元気を取り戻し江戸に向けて出発したのでしょう。

中山道で江戸に向かうと、その先にある現在の新宿あたりは
もともと宿場町ではなかったのですが、
立地的に宿場を作れば栄えるだろうと、
当時その辺りを支配していた内藤家が、
新たに作った宿場町として、内藤新宿が出来上がりました。
新宿御苑の広大な土地は、もともと内藤家のお屋敷があったところで、
今でもその子孫の方が新宿御苑の
管理を任されているんだとか。

歴史のある土地を訪れる時は、
こうした背景を少しでも知っておくと、
旅が一層楽しくなりますね(^ ^)


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