
占いを受けに来られる方の中に、「私はほどうしてこんなに不幸なんでしょうか?」と、聞いてくる人がいる。
話をよく聞いてみると、決して“不幸”なのではなく、ちょうど運が悪い時期に差し掛かっただけの場合が多い。
人生に波がない人はいない。
ある時期“順風満帆”のように見えても、必ず衰運はやってくる。
確かに先祖の徳によって子孫が恵まれることはあるし、先祖の犯した罪が多ければ子孫が苦しむこともある。
運勢的には“吉凶”という表現を用いるが“幸不幸”とは言わない。
なぜなら、幸不幸は主観による所が大きいからだ。周りから見て大変に見えても、その人が「幸せだ」と思えば、それでいいのだ。
要は、捉え方の問題である。
自分に与えられた試練や逆境が、自分の成長のための“肥やし”であり、先祖の罪の清算になると思えば、不幸ではなくなる。
仏門に入らなくとも、“修行”させてもらっていると思えばいい。
知り合いの阿闍梨から、彼の修行時代の話を聞いたことがあるが、凡人では乗り越えられないくらい辛い修行だ。
苦しみから解放されたいと言って自殺するのは愚の骨頂だ。
天は乗り越えられない試練は与えないということを、肝に銘じるべきだ。