車山高原で山歩きをしてきた帰りがけ、JR中央本線・茅野駅で列車を待つちょいとした時間のお話をついでに。
駅を西口側に出ますとペデストリアンデッキで繋がった「ベルビア」という施設がありまして、公共施設と商業施設が併設された…といってはどこの地方都市にもありがちなものですけれど、建物内の印象とここのショップ・ラインナップとが相まって、実にレトロな妖しさを醸して居るように見受けたものでありますよ。
茅野駅を利用することがあったならば、是非一度覗いてみていただきたいものですが、それはともかくとして、そんな雰囲気と些か近しくも片隅にこんな展示コーナーが設けられておりました。
小津安二郎は世界にも知られた映画監督、そして野田高梧は監督とともに小津映画の脚本を務めたことで知られるようでありますよ。展示コーナーのある謂われとしては、茅野駅が玄関口となる蓼科高原で毎年「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」が行われているからと。今年2025年も9月20~21日に開催されたようですな。
さらに、そもこの映画祭の由縁はとなりますと、「小津安二郎 監督は晩年、蓼科に作品づくりの場を移し、美しい自然、人情、地酒をこよなく愛し、名作を生み出していきました」(同映画祭HP)ということで。蓼科には「無藝荘」という小津が使った山荘が残されてあるようで、日時限定で時折公開されているそうな。折を見て訪ねてみたいものでありますねえ。
ところで、かような関わりから設けられた展示コーナーは至ってミニサイズでして、小津(と野田)に関わる品々が展示されておるも、メインは毎年の映画祭の告知ポスターであるような。
もちろんさまざまなゆかりの品々も展示されていますけれどね。
ちなみに、小津がこの地を訪ねたのは1954年8月、すでに蓼科に山荘を構えていた脚本家の野田に誘われたからであったそうですが、「雲低く寝待月出でて遠望模糊、まことに佳境、連日の俗腸を洗ふ」と書き残すくらいに気に入ったようで。翌々年の1956年には「仕事の場を茅ケ崎から蓼科へ移した」(蓼科高原観光ガイドHP)ということでありますよ。
ただ(時期は詳らかではありませんが)蓼科を気に入って山荘を構えた映画人、文化人その他はたくさんいたようでして。
展示にあった「蓼科山荘地図」では何やら数多くの方々の山荘が示されておりました。ま、上の写真ではなにがなにやらでしょうから、めぼしい名前を拾ってみますと、小津安、野田高梧の他には片岡千恵蔵、津島恵子、藤田元司、水原茂、川上哲治(このあたりプロ野球村かと)、振動兼人、佐田啓二、高橋圭三、西河克己、梅崎春生、笠智衆、今村昌平などなどと(順不同です)。
いわゆる別荘地にある特定の業種の人が集まる…とは政治の世界によくあることですけれど、これは密談しやすい?のかどうかはともかく、一時の蓼科には文化の風が吹いていたのかもしれませんですねえ。