ちょいと前に見かけた新聞記事を思い出しておりまして。戦争絡みのことですので、先月8月のいつだったかですけれど、東京大空襲の戦火に見舞われて戦争はこりごりという感じを露わにしていた父親が、何故かしら晩年になって、零戦その他戦闘機などの精巧な模型を作り始めたことに、息子さんがその思いを量りかねていた…てな話だったような。

 

元来エンジニアであった人らしいですので、手先の器用さも持ち合わせていたらしく、自ら設計図を引くところから始めたとなれば、さぞや精巧に作ったのであろうなあと。中には戦後の国産航空機であるYS-11なども作品には含まれているようですけれど、そも戦闘機・爆撃機を作るのは何故?と息子さんが思うのは自然な感情でありましょうねえ。

 

想像するしかないわけですが、兵器というのは常にその当時に最高水準を集めた作品とは言えましょうかね。本来の使途が好ましからぬものであったとしても、科学の粋を集めたものとは言えてしまいそうです。そうしたものの再現に心動く部分は(自らはおそらくジレンマを抱えつつも)あったかもしれませんですね。

 

…といった想像をめぐらしたところで、戦争はいけん、世界中みんな仲良くせねばてなことをつぶやくことしばしである我が身を振り返って、戦車、戦闘機、戦艦の再現プラモデルで知られた模型メーカーの歴史館を訪ねるとは自らのことながら「どういうこと?」と思ったりもするところでありまして。

 

 

ただ昭和の20~40年代くらいになっても、戦車、戦闘機、戦艦といったものを模した玩具というのがたくさん出回っておりましたですよね。そうした中にあっては、多かれ少なかれその類の玩具でもって遊ぶということがあったわけで、ある意味、懐かしさと結びついてしまっている。タミヤのプラモデルもまた。

 

ですから、本物の兵器が何のためのものであるかはともかく(本当はそうはいかないのですけれど)、その類に懐かしさを感じたりもしますし、ともすると様々な面で極限を極めて開発されたその姿かたちをなんとなくかっこいいと思ってしまったりも。どうにもしがたい捻じれた気持ちが渦巻いたりもするのですが…。

 

とまあ、そんな言い訳がましい言い訳をこぼしてしまうのも、映画『アイダよ、何処へ?』を見たからでもあるのですなあ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に際して、国連軍管理下の非武装地帯とされていたスレブレニツァにセルビア人武装勢力が侵攻し、住民が虐殺された事件を扱ったものです。

 

 

映画の詳細はこの際措いておくとして、入ってくるはずのない戦車部隊が堂々、スレブレニツァの町に入って来るシーンに、全くもって今さらながら、兵器本来のありようを見た思いがして、暗澹たる思いが兆したものですから。

 

出来事としては1995年のことで、今から30年前のことではありますが、この戦車の隊列、最近も見たなあと思い出すわけなのですね。ひとつは5月に行われたロシアの大祖国戦争(要するに第二次大戦)勝利80年のパレード、そしてもうひとつは今月初めにあった中国の抗日戦争勝利80年の軍事パレードでありますよ。

 

自国の軍備を誇示する国のありようというのはどうなのであろうか…とは思うも、これを見に集まる人々の側で「おお!」と思うところがあったとすれば、子供心にプラモデルを見て何となくかっこええと思ったようなところが良いわけではありませんが、それよりも遥かに危うい現実と言わねばならないのではと感じた次第。

 

何とも歯切れの悪い物言いを重ねたようでもありますけれど、実際の兵器を連ねて見せること、さらにはそれに歓呼をもって応えるようなこと、どうしても人間は物事の解決を武力に頼ることから離れられないのであるかあとも思ってしまったものでなのでありました。誠に「うむぅ…」なことながら…。