8月15日を過ぎると、幾分か戦争を顧みるシーズンも終了に向かうようなところがありますけれど、そんな中で読み終えたのが中公選書の一冊『統帥権の独立 帝国日本「暴走」の実態』でありました。
版元HPの紹介にはまずこのように。
帝国陸海軍の作戦行動の指揮・決定権限である統帥権。天皇大権に属し、その「独立」は内閣からの干渉を阻止した。そのため満洲事変以降、陸軍の暴走をもたらした最大の要因とされてきた。
個人的認識も全くその通りであったように思いますが、この紹介に続けて曰く「しかし近年、通説の見直しが進む」のであるとは、いったいぜんたい…?ということで、読んでみたような次第です。
先のような認識の背景としては、政府の方針が軍部(特に陸軍でしょうか)の意向に適わぬようなものであった場合、陸軍大臣(もしくは海軍大臣)を辞職させ、その上で新しい大臣を推薦しないことで、当該内閣を瓦解させるといったことを何度もしてきたように思っていたものですから。中国大陸の独断専行も含め、暴走しとるなあと。
ですが、これに関わる統帥権の独立、これは政府・国務と軍部・統帥の折り合いをどうつけるかを考えた挙句、政府の側から生み出したものであるとは思いもよらず。考えてみれば、鎌倉幕府の成立以降、江戸幕府が終焉を迎えるまで、長きにわたって政治を担ってきたのは武士であって、武士はそもそも軍事政権のようなもの。政治と軍事の境界線など無かったのでもあろうかと。
それが明治になって、外国に倣った近代国家を目指すにあたり、いつでも臨戦態勢の武士が当たり前のように政治に口出しするのを避けなくてはならない、分けて考えますよという発想であるようで。実は、明治憲法(大日本帝国憲法)には統帥権の独立が明文化されているわけではないということで、第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあることが天皇に直属している政府とは一線を画した組織体と認識する慣行を生んでもいったと。
ただ、政府側の想定が甘かったのか、軍部は政治に口出すするなの半面、政治は軍部に口出しするなとして統帥権干犯といった問題が生じてしまったりするのですなあ。
考え方の背景として、日本では今でも「餅は餅屋」といったことわざが使われますように、専門性を有難がって余計な口出しを憚る傾向が関わっていそうとは本書にもあるところです。それぞれに政治のことは文官に任せておけ、軍事のことは武官以外が口を出すなといった雰囲気が慣行をより実体化させていったようで。
とにかく、日中戦争、太平洋戦争に至るまで、そして開戦後はなおのこと、こうした二項対立の下に政治の進め方にあいまいな点があるのに、どうも適切な論点で議論できないまま進んでいってしまったところがあるようです。天皇主権としつつも、最終的には天皇に責任を負わせない体制作りできましたから、政治・軍事いずれも最高責任者は天皇でありながら、輔弼の任にある者が宸襟を悩ませてはならないと取り組むも、結局のところ決定者がいないという状況も生まれたようですし。
大きな例としては対米開戦前夜のお話。中国で戦争を行っていて不足する物資を米国から輸入されるのを絶たれては困る陸軍は消極的で、外務省(もちろん文官ですな)を通じた日米交渉に期待がかかるも、結局のところ「ハル・ノート」を突き付けられて、交渉は決裂したと。ですが、決裂したといって、後は何もしないんですか…と話の中で、「ところで海軍さん、ようすはどう?」と常々気にかけられていたわけですね。
なにしろ、予て米国を仮想敵国として研究してきた海軍に目が向けられるのは分からなくないですし、連合艦隊司令長官の山本五十六が「それは是非やれと言われれば、初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ」といった発言が知られておりますように、「まあ、やる気はあるのね」と目されていたような。
この言葉で肝心なのは後半部分で、海軍の対米研究は当面の軍事力でどう戦うかを仮想演習したしたかもしれませんけれど、長期化すればその後の兵力供給がどうなるか分からない国家予算の問題でもあるので、「勝てます。やりましょう」と海軍が言えるはずわけですよね。
ですが、海軍はやる気があるということもまた雰囲気として出来上がっていってしまい、時に海軍大臣でさえ、とてもできないとは言い出せない雰囲気があったと語ったりしておるとは…。
結局のところ、誰が決めたのかはっきりしないまま、雰囲気は開戦に向かってしまったようなわけでして、こうしたことは戦争終結時にも生じ、ポツダム宣言の受諾を巡ってああでもない、こうでもないしているうちに原爆投下を招いてしまったようでもあり。
ただ、このときはどうやら、ポツダム宣言が出た段階では交戦状態に無かったソ連に和平交渉の仲介を期待していて、ぎりぎりまでソ連の回答を待っていたから…てなこともあるようですけれど、連合国内部でソ連の対日参戦は決定済み事項だったとは、あまりの迷走ぶり。結果としてそんな言葉では済まないくらいの犠牲が生じることになってしまったわけで。
先に触れた「餅は餅屋」ばかりでなくして、とかく日本の風習の中には察する文化だったり、遠慮の文化だったり、相手を立てる文化だったり、斟酌・忖度する文化だったりがあって、物事をきっちりさせていくのを憚るところがあるような。それがそのまま政治の世界で展開されては困るわけですが、実のところこうしたことは今でも日本の政治にはあるような気がしますですねえ。
日頃の政治状況でも「なんだかな…」ということがあるだけに、そうした政治の現実があるのであればなおのこと戦争の「せ」の字を語るだけでも危ういことのように思えてきます。ことは、統帥権の独立云々という話ではないのでしょう。過去の反省も、統帥権独立に難があったことに押し込めて話を終わらせてしまっていたのかもしれんと思ったものなのでありました。
というところで、またまた唐突ながらお休みの告知を。ごくごく近所で建物の建築工事が行われておりまして、お盆休み中は中断されていたらしき工事が本日から全面再稼働に入ったようで。振動、騒音、作業員が何やら支持する叫び声(時に罵声のようにも聞こえ…)などに取り巻かれる状況に立ち至り、のんびりPCに向かう気にもなれないわけでして。
落ち着くまでと言いますと長引きそうな気がしますので、しばらく慣れるまで(慣れたいものではありませんが)お休みを頂戴いたします。引き続き暑さの厳しい折り、どうぞ皆さまはお健やかに。