赤穂浪士の仇討は「忠臣蔵」という芝居に仕立てられたことにもよって、後世まで語り継がれ、今に至っていますですね。何度もドラマ化され、映画化され、また関連本もちょいちょい出回っているようす。
ですから、すでに話が分かっていても興味をかきたてられる場合もあり、一方では「何番煎じ?」とがっかりさせられる場合もありではなかろうかと。
個人的にはさほどに詳しい方ではありませんので、時折触れる分には「ほお、そうかそうか」と思ったりするわけですが、たまたま手にした「花の忠臣蔵」という一冊は「こう入ってくるか」という印象。何せオランダ商館付の医師であったドイツ人ケンペルの視線で語り起こすのですから。まずはその時代を映し出そうというのでありますな。
元禄の頃の播州赤穂は小藩ながら裕福な状況であったようですね。今でも赤穂の塩といえば夙に知られた物産品であって、塩はとにかく人には必要不可欠なものでありますし。
一方で、幕府の財政は必ずしもうまく行っていない。後に8代将軍吉宗が享保の改革に乗り出す前にも状況は芳しくなく、にもかかわらず幕府が取った方策は通貨の改鋳(改悪)であって、手元の金があたかも増えたかのように見せかけただけのようでもある。そんな時期の5代将軍綱吉はかなりお金を使ったようで。
このような背景を示されてしまいますと、藩主浅野内匠頭長矩があっという間に切腹させられ、望みを掛けていたお家の存続の道も断たれて…というシナリオは、赤穂の塩による上がりを幕府が横取りしたいがための出来試合なのではと思ったり。
しかも塩絡みの話で言えば(この部分は本書由来の内容ではありませんけれど)仇役となる吉良上野介の所領でも塩を生産していたそうな。
元来、吉良の塩が将軍家でも使われていたところへ赤穂の塩が進出してきたことは吉良上野介曰く「浅野殿に恨まれる筋はござらん」としても、吉良の方が浅野家を憎憎しく感じていて、老獪な分だけ行動を起こしてしまうのは若い浅野内匠頭であった…てなことにもなるような気がしないでもない。
そうした吉良対浅野の塩対決を遠くから眺めて何気なく煽り、将軍家に都合のいいようになるのを眺めていたのかもですなえ、柳沢吉保あたりが…。 藩主を片付けた後には浅野家だけを処分すれば、あとは猛り立った連中が勝手に吉良を片付けてくれるてなことも折込済みだったりして。
猛り立った組の急先鋒は堀部安兵衛らだったようですけれど、お家の存続を第一に考えた大石内蔵助もそれが叶わぬとなったときにはもはや武闘派を押さえることあたわず、「いざ討ち入り」となっていったとも。
ですが「喧嘩両成敗」的なバランスある裁定から離れたお上の仕打ちは、結果的に成就する赤穂浪士の仇討を判官贔屓的に持ち上げる風潮が庶民にはあり、義挙として伝えられていく素地を作ってしまったのやもしれませんですね。
お上の手前、時代背景を南北朝期に移した「仮名手本忠臣蔵」でも浅野内匠頭に相当する役どころを「塩冶判官」としたのも、判官贔屓の世論を意識したものかもしれませんし、これは書いていて思いついたですが、その名に「塩」の字が見られるのも偶然ではないような…。
とまあ、興味深く本書を読んだ一方で、ここにあれこれ書きましたのは必ずしも本書の内容に沿ったことばかりではありませんのでどうぞ御容赦を。