中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6年(1931年)だそうで。いささかなりとも街なかに江戸の名残りを留めていた明治が、大正、昭和と移り変わる中で「ああ、遠く過ぎ去ったのだなあ」と感じたのやもしれません。

 

ですが、思い掛けずも「明治が近くなった」と感じるこの頃でもあろうかと。草田男が感じたであろう情緒的な部分とは全く異なる点でですけれど。

 

「歴史に学ぶ」と言いますが、どうもそれが出来ないのが人間でもあるようで、「歴史は繰り返す」の方が現実的に的を射た表現なのかもですね。どこからどんなことされるか分からんのだからと「富国強兵」が叫ばれ、とにもかくにも経済力をつけにゃあと「殖産興業」でも庶民は置き去り…。果たして明治のお話と言っておられましょうか。

 

取り分け選挙があったりしたときに思うですけれど、選挙もまた多数決ですが毎度与していない側に決することが続くと言葉は不穏当ですが、政治難民でもあろうかと思うところでありますよ。冷静に歴史を振り返ってみれば、こうはなるまいと思うのですが…。