ということで、武蔵野美術大学美術館で現代アートを見たわけですけれど、ふと気付けば受付のところにこのようなフライヤーがあるのに目が止まったのですね。

 

 

『絵馬 「描く」「祈る」かたち』という展覧会であるようす。ムサビでは民俗的な資料も収集しているらしきことは、かつての展覧会に立ち寄って見知っていたものですから、次回展の案内でもあろうかと思ったわけで。

 

ですが、どうやらキャンパス内で美術館とは所を変えた民俗資料室ギャラリーとやらで現在進行形で開催中であるとの由、こちらも覗きに行ってみたのでありますよ。

 

恥ずかしながらのっけから「そうなの?」と思ったことがありまして、「絵馬」というのは、あの板っきれそのものを馬に見立てるか何かでそのように呼ばれているものと思い込んでいたところ、全く違うようで。

 

「絵馬」とはまさに「絵に描かれた馬」のことであって、馬が描かれてた板っきれのことをも指すようになったのが、後には馬が描かれていなくても同じような形状のものを「絵馬」というようになってしまったものらしいのですなあ。

 

で、元々馬の絵が描かれていたということの背景あたりを展示解説から引用してみますとこんなふうであるようです。

そもそも日本では馬は神の乗り物として神聖視されており、神事や祈願に際して馬を献上する風習は現在もみることができる。

ですが、生きた馬をやりとりするのはそうそう誰にでもできることではないでしょうから、簡略版として「土や木で作られた馬形」が作られるようになった。これを「板立馬」というのだそうな。

 

ちなみに「板立馬」でぐぐってみますと、「絵馬」発祥の地と言われる京都・貴船神社には板立馬ならぬ実に立派な馬形が奉納されて「神馬の像」として境内にあるてなことが分かりました。ただ貴船神社のオフィシャルサイトには「絵馬発祥の地」云々とは全く記載がないですが…。

 

とまれ、そんなふうに生馬から板立馬へ、さらには薄い板に描かれた絵馬へと誰にでも願掛けしやすいものに変わっていったわけでありますけれど、移り変わりの中では(個人的に勘違いしていたのと同様に?)板そのものことを絵馬と考えるようにもなっていったのではなかろうかと。

 

何しろ馬が描かれてこそ絵馬だったものが、実に描かれる絵の題材が多様化していく。五穀豊穣といった農事のお願い用だと思いますが、畜産動物である牛などが馬の代わりに描かれていたり、果てはトラクターが描かれているものまであるという。ですから、馬から離れた絵馬に描かれるのはかなりストレートに願いの対象となってもいったようで。


眼が描かれていれば眼病治癒であるとか、鶏が描かれていれば子供の夜泣き対策とか。しかし、夜泣き対策に何故鶏なのかですが、鶏は夜鳴かないから…となれば、これはもう江戸庶民の大好きな判じ物の世界でもあるような。

 

ところで、こうした何を願うかは描かれた絵でおよそ判別できることからも、絵馬に文字を書き連ねるという習慣はなかったんだそうですね。また、祈願する側も病気にしても何にしても人に知られることを憚る点で、生まれ年とか年齢とか書くくらいでもあったそうな。

 

今のように「○○大学 絶対合格 何野誰兵衛」みたいなことを絵馬に書くのは比較的新しい習慣なのかもしれませんなあ。いやあ、これまた思いがけずも興味深い展示なのでありました。