だいたいTV番組は録画したものを見るのが常だもので、リアルタイムでご覧になった方には「何をいまさら…」ということにもなりましょうが、まあ内容を思い返してみるというのも楽しからずやではなかろうかと。

 

というエクスキューズを枕にして取り上げますのは、6月末頃に放送されたNHKスペシャルで諏訪の御柱祭に焦点を当てたものでありました。御柱祭と言えば斜面に巨木を滑らせて、取り巻きの中には死人も出ようかという荒々しい部分を知るばかりでしたけれど、その歴史的意味合いは実に深いものがあったのですなあ。

 

最終的にはその巨木(樹齢200年にもなる樅の木だそうで)を諏訪大社の四方に立てるために運ぶ過程で例の木落としがあるわけですが、とまれ巨木を立てて神域を形成するといったことは縄文遺跡に見られるものだそうですね。そこから御柱祭が縄文人の文化の名残りとも考えられるところながら、なぜ諏訪に。

 

どうやらそこには縄文人VS弥生人てな構図があったようでもありまして。縄文人は狩猟採集でもって生業を立てていたところへ、中国から朝鮮半島経由で北九州に稲作文化が伝わってくる。

 

おそらくは食糧事情が安定的になるてなことが利点と見られたか、あれよあれよと稲作文化が日本列島各地に広がっていくも、諏訪の辺りで一端ストップ。その後、諏訪を除けるように(海路も利用されたでしょうか)東北へと広がり、あたかも諏訪を包囲するかのように列島内に稲作文化圏が形成されるわけです。


ここで諏訪が陸の孤島のような状態になってしまうのは、この地域が敢えて稲作文化を受け付けなかった理由があるわけですね。もとより狩猟採集の生活を送るのに適合した自然環境に囲まれていた、ということは自然の恵みに感謝するために、当然に土着的な信仰も強くなりましょう。こうした神様と共にあるという意識は、そうおいそれとは方針転換に向かうはずもなく、新たなものに対して保守的にもなったことでありましょう。

 

と、ここで稲作文化の伝播という言い方をしましたですが、これは稲作の技術だけが伝わったわけではなくして、稲作農耕を営んでいた弥生人なる人々が渡ってくることで広まりを見せるのですね。つまりは縄文人VS弥生人の構図が出てくることになりましょう。

 

その後の日本を考えれば、稲作は日本という国の大元のようになっていきますから、弥生人優位で国造りが行われたとすると、「古事記」あたりにもそうした記載がみられるのだとか。つまり、稲作文化を伝えた弥生系の神が諏訪に根付いていた縄文の神と戦い、縄文は弥生に屈服することになる…が、弥生の神は縄文の神をむしろ懐柔して?自らの神性を守護する役割を与えることにしたそうな。

 

この辺りはあたかも勝利者側の史観で古事記が書かれているとも思うところですが、こうした関係から弥生の神は諏訪大社に収まり、その周囲を囲んで神を守る御柱には縄文文化の系譜が見られることになった…てな具合でもあろうかと。

 

歴史を掻い摘んでさらう中では、まず縄文人がいて狩猟採集の生活をしていたけれど、稲作文化を持った弥生人が渡来して広く住み着くようになった…と片付けてしまうものの、やはりバックグラウンドの異なる者どうしが簡単に仲良くしたとは考えにくいわけで、話として端折られた中には争いやら何やらがさぞかしあったのではないですかね。

 

そうしたことを思うにつけ、時代はかなり下りはするものの、中央に政権を構えた側が辺境の東北に蝦夷を討つという「アテルイ」の話は、弥生人VS縄文人の構図を思わせるところでもあるような。ま、勝手な類推ですので、ご容赦くださいましね。