「METライブ」を見に行きますと、松竹系の映画館で上映されているからでもあり、またオペラを映画で見るような人は歌舞伎も見るだろうと推測されているのか、「シネマ歌舞伎」の予告編をよく目にするところとなっていたのですね。
結局のところ、松竹の思惑にあっさりと釣り込まれ、この6月から始まった「月イチ歌舞伎」(歌舞伎の映画を月替わりで上映していく)の幕開けに出かけて行ってしまいましたですよ。
上映されたのは「阿弖流為(アテルイ)」という一編。「歌舞伎NEXT」とか呼ばれて、つまりは古典に対する新作(しかも大掛かり)なものとこのように称しているのでありましょう。
しばらく前にNHKがドラマにした「アテルイ伝」を見ていたものですから、歴史的なところでの興味から出かけてみたのですけれど、実のところは背景に詳しいわけでなく、坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北に向かうことは教科書の日本史で記憶しているものの、その相手が蝦夷(えみし)の族長アテルイであったとは先のドラマを見て知ったような。
授業にもその名は出てきたのかもしれませんですが、とんと記憶にないほどの扱いだったのは偏に「史観」によるポイントの置き具合なのだろうと。
ざっくり言ってしまえば、日本の歴史を中央政権を良しとする縦軸で語っていきますと、都にある王権に楯突くものは討伐される対象であって、ものの見方もワンサイドになる。そうした見方におそまきながらようやっと疑問符が付けられるようになって来ているのかなと、明治史観を揺るがせることにもなる「八重の桜」が大河ドラマになったときにも思ったわけで。
で、先のドラマ「アテルイ伝」があったり、歌舞伎NEXTというエンターティンメント性が強いものだとして「アテルイ」が取り上げられたり、これもまた同じような史観の揺らぎがあってのことではなかろうかと。
と、いささか堅い話になってますけれど、まあ、娯楽作と考えればこの「アテルイ」、十分に楽しめるものであったとは思いますですね。ですが…と、また一筋縄でいかないコメントを続けますが、歌舞伎という枠組みで作り上げるのが果たして妥当なのかどうか…。
台詞は歌舞伎的な言い回しと現代劇の口調が渾然一体としている違和感に加え、時折誇張が過ぎるくらいの大見得には笑ってしまう、というか笑いを取ろうとしているというか。何だか市川染五郎、中村勘九郎、中村七之助といったスター役者が揃いも揃って、歌舞伎らしさをパロディーにしているやにも思えてくるからなのですね。
割り切って考えれば「歌舞伎NEXT」とはもはや歌舞伎ではない、一方でそれ以外にある既存の芝居とも違う、いわばオリジナルなものだと思うしかないのでしょう。それをそれとして受け止められるかどうかは人それぞれというわけで。
物語の点がすっかり後回しになりましたですが、意表をつく展開がほどよく織り込まれて、長丁場を飽かすことなく引っ張ってはいるなと。
それだけに、先に「史観」がどうのとまじめなことを?言っていたのとは裏腹におそらく史実(と差し当たり考えられていること)は外枠だけであって、あとは思い切り自由に展開している。「もののけ姫」的伝奇ファンタジーのように。
ここで奇しくも「もののけ姫」を引き合いに出しましたですが、基本的に主人公はアテルイ(市川染五郎)であり、坂上田村麻呂(中村勘九郎)であるものの、その実、これは鈴鹿であり立烏帽子である女性が主役なのではと思ったりもしたものですから。
いずれも中村七之助が演じてますけれど、大立ち回りもあったりという女性(?)大活躍の話は、ここでも昨今の流れの反映でもありましょうかね。何のかんの言いましたけれど、一大娯楽作として堪能した「アテルイ」でありました。