先日「国定忠治」の芝居を見たと言いましたですが、会場は三越劇場。つまり百貨店の日本橋三越の中にあるのですなあ。ですので、幕間の時間には屋上に行って、一服休憩てな具合でありました。で、その日本橋三越の屋上でこのような碑を発見したのでありますよ。
「漱石の越後屋」。比較的新しい石碑で、要するに三越は夏目漱石との所縁も深く…という宣伝ですなあ。説明書きによれば、小学校に入る前には黄八丈や縮緬の買物に連れられて来ていたと。また、漱石の「虞美人草」が好評を博すや三越呉服店では「虞美人草浴衣」なるものを売り出したりした…てなこともゆかりと言えましょうか。
とまあ、そうした日本橋三越の前身、越後屋があった辺りを歌川広重は駿河町(今の日本橋室町)の風景としてが描いていますですね。
商店が立ち並んで賑わうようすが伺えますけれど、似たような感じで店が軒を連ねている浮世絵にやはり広重の「東都大傳馬街繁栄之図」というものがありまして。
今でも日本橋大伝馬町という地名はありますけれど、三越やコレド室町といった大型商業施設がある中央通りから外れて、多い絵にみるような繁華な姿はもはや昔日の面影と申しましょうか。
ですが、小さな画像では判別できないものの、奥へと続く通りの右手の一番奥まったあたりに今でもその場で商いをしている和紙の店があるのですなあ。こんな石碑も建てられておりまして。
何と創業承応二年(1653年)、360年余の歴史を持つ老舗中の老舗「小津和紙」。ここに「小津史料館」というのがあると漏れ聞いて、立ち寄ってみたのでありますよ。
1階が小売商品の店舗、2階がギャラリー、そして3階が史料館になっていて、エレベータでもって3階に顔を覗かせましたら、店員さん(年齢的には偉い方では?)がウエルカム状態で迎えてくれ、史料館と全国各地から集まった数々の和紙のことを説明してくれたですよ。
ともかく長い歴史があるお店なわけですけれど、越後屋を興した三井と同じく伊勢から出てきた小津さんが和紙問屋を立ち上げたのはその越後屋よりも早かったのだそうでありますね。ほうほう。
そして、当時は江戸の世が落ち着き始めて庶民文化が花開いていく頃合いとなれば、紙の需要は高まる一方でもあったのでしょう、当時の大店を並べた見立て番付では西方上位に小津清左衛門の名前が出ていましたし、これを紙問屋に限った番付では確か行司役であったか、もはや別格状態なのですな。史料コーナーで見ることができましたですよ。
今では創業者一族から離れた経営体制になるなどこれまでに紆余曲折はままありましょうが、世界遺産ともされるものもある和紙を扱って今現在も商売をしている。大したものでありますなあ。
それというのも、和紙は全国各地で伝承されているものがそれぞれに独自の風合いや色味といった個性の違いを持つことから、近年は改めて注目されているのやもですが、どうしても後継者不足はありましょうから。
そして、言われてなるほどと思いましたのは、和紙漉き自体は脚光を浴びて少ないながらも後継者が現われたとしても、和紙を漉く道具を作る職人もまた後継者不足なのだそうなのでありますよ。
道端で配られていて、ささっと机を拭いてはゴミ屑箱へというのも紙なるも、そんな使い捨て文化とは違う文化を支えているとも思われる紙もあるわけですね。そこに対する価値観は「単に安い」ではないものですから、誰にも関わりのある物とは言えないかもしれませんですが、大事にした方がよさそうなことはじわじわと感じる「小津和紙」訪問でありました。