1941年12月8日(現地時間では前日7日ということになりますが)、日本はハワイのパールハーバーに猛攻をかけ、太平洋戦争が始まることに。
この真珠湾攻撃の話であるとか、その後の戦闘のことであるとかは戦史として記され、映画などにもなって知られることの多いところでしょうけれど、米本土ではないにしても、米国領が直接的に攻撃に曝されたことを受けて、米国のいわゆる普通の人々の反応がどうであったかとはあまり知られるところではないような。
米本土としてはもっとも日本に近い西海岸のシアトルでは、在米日本人はもとより市民権を持つ日系人に至るまでたちまちにして敵愾心に燃える眼差しに曝されるようになり、日本人・日系人は内陸の奥まった砂漠地帯に設けられたキャンプに送られることに。
あたかも捕虜収容所でもあろうかと思しき過酷な待遇含めて、この辺りのこともあまり知られることではないように思われます。時代背景、舞台を日米開戦前後のシアトルに置いて、こうした知られていない史実を語り起こしの部分としているのが小説「日々の光」でありました。
作者のジェイ・ルービンは漱石作品など日本の小説を英訳している研究者でもあって、日本の文化や習俗などにも大変に詳しいようす。だからこそですけれど、激動の時代背景はそれだけでドラマティックであるものの、日米の、というより日本とキリスト教社会の宗教観の違いも織り込んで、深まりある物語が紡ぎ出されているのでありますよ。
いろいろなことを考えてしまう材料はぎっしりですが、ここではひとつインパクトが強いと思ったひと言を取り上げてみようかと。まずはそこに繋がるような部分だけ掻い摘んでストーリーを追っておきます。
開戦前夜の不穏な時期なだけに周囲からは先行きを不安視する眼差しを投げかけられながらも結婚することを選択した米国人トムと日本人ミツコ。程なくして二人の心は全く通い合うことが無くなっていきますが、トムの先妻の子ビリーはミツコを慕い、トムが全く息子を構わないこともあり、ミツコはビリーを連れ立って収容キャンプでの日々を過ごすことに。
やがてミツコは日本に戻り消息不明となりますけれど、戦後に至り成長したビリーはミツコとの再会を果たすべく日本へとやってくる。僅かな手掛かりから探り当てたところによれば、ミツコはどうやら家族共々、長崎で落とされた原爆で生死不明。おそらく生きておるまいと。
これを知ったときにビリーは憤りをこんなふうに表現するのですね。
アメリカは原爆がひき起こす凄惨さを広島で知っていながら、長崎に落とした。その犠牲になるとは…。
本来的にも適切な見方ではなかったのでしょうけれど、とかく広島と長崎への原爆投下を一連のものとして見てしまいがちのような。「広島、長崎繰り返すまじ」と。
ですが、実際には広島に原爆を投下した結果がどういうものであったかを米軍はもとより米国政府も知りながら長崎にも使用したことに鈍感であってはいけないのかもしれませんですね。しかも、そのことをアメリカの作家に教えられようとは…。
先に「いろいろ考える材料はぎっしり」といったことを言いましたけれど、読むことに意味のある小説であったと思う由縁の一端はこのようなところにもあったのでありますよ。