先日、青梅で昭和レトロ商品博物館を訪ねた折のことですが、2階に上がってみるとずいぶんと趣きが変わっていて、どうやら「雪女」のコーナーでもあるようすに「いったい何ぞ?」と。
何でも小泉八雲の「怪談」に収められた「雪女」は、今の東京都青梅市に含まれるエリアに伝わる伝説を下敷きしているのだそうな。
先に見た展示解説によりますれば、「怪談」の序文から「調布村」に伝わる話だと知れるそうですけれど、小泉八雲が「怪談」を書いた明治35~37年(1902~04年)頃、青梅市の一部は西多摩郡調布村と呼ばれていたとのこと。
そして、同じ頃に小泉家は市ヶ谷から大久保への転居するにあたって、書斎の新築のために大工仕事ができる者を雇うことになるのですが、これが西多摩郡調布村の出身者であり、この使用人が「雪女」の言い伝えを八雲の妻せつに語り、それが八雲へと伝わって作品化されていったのだとか。
しかしまあ「雪女」と聞けば、山深い豪雪地帯が浮かぶところながら、だいたい青梅とはさほどに雪深い場所であったのかとピンとこないような。されどやはり展示解説には、約300年ほど前の近在の名主が書いた記録を引いて青梅でも今では考えられない量の雪が、当時は降ったという記録が多くみられる」としておりました。
そこで思い出したのが、浮世絵などに見られる江戸市中の雪景色。何でも当時は「小氷期」というものに当たっていて、忠臣蔵でも桜田門外の変でも…ではありませんが、江戸市中での雪も今より多かったとなれば、青梅においてをやでありますね。
ちなみに「小氷期」をWikipediaで引いておきますと、「ほぼ14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のこと」なのだそうですよ。
てなことで「雪女」の出自が判明したところで、(根が怖がりだものですからどうしよかなとひとしきり悩んだ末に)この際ですから「雪女」を読んでみようかと。
どんなおどろおどろしい話であろうかと、冷や冷やしながら(雪女だけに?笑)読んでいったですが、これがいささかも案ずるには及ばない内容ではありませんか。
要するに怖くない。むしろ八雲の生い立ちを考え合わせれば、おそらく話の締め括り方というのは独自の脚色であったのではないかと。(本当の伝説はもそっと怖い話だったのかも…)
幼くして母に去られ、父は息子を顧みず、大叔母のもとで育った八雲、というよりラフカディオ・ハーンは母には思慕を抱く反面、父には恨みを覚えていたようなのですね。
「雪女」の締め括り部分とは、実は雪女であったと知られたからには一緒にはいられないとなったとき、妻は夫にこんなことを言うのでして。
…そこに眠っている子供等がいなかったら、今すぐあなたを殺すのでした。でも今あなたは子供等を大事に大事になさる方がいい、もし子供等があなたに不平を云うべき理由でもあったら、私はそれ相当にあなたを扱うつもりだから…
去らねばならない母が父に子供を託す思いが語られるわけですけれど、この場面でハーンは自身の子供時代を必ずや思い返していたことでありましょう。
と、「雪女」がさほどに怖い話ではなかったことで、それなら「怪談」全編にトライしてみようかてな気にもなるところですが、まあ、油断は禁物でしょうなあ。何せ怖がりでは人後に落ちないものですから(笑)。