さて、宮城・松島の瑞巌寺を訪ねて本堂の内部を拝見する、その前に宝物館になっております青龍殿に少々お邪魔した次第。ですが、(よくあるように)館内は一切撮影不可とあって、いささか振り返りがしにくいですなあ。取り敢えず、入口脇にあって「これは撮ってもいいですよ」というものくらいはUPしておくとしましょうかね。
左側は「本堂最上部の大棟左端に設置されていた」という大鬼瓦であると。経年劣化が著しいため、修復の際にレプリカと置き換えたそうな。調査の結果、創建期(慶長十四年、1609年)のものと判明したというからには、伊達政宗の眼鏡に適う意匠なのかもですなあ。
右側は打って変わって新しい2012年に造られた彫刻作品。東日本大震災翌年の制作だけに、復興支援の意味合いがあるのでしょう、木彫の原木に使用されたのは「震災の津波塩害により伐採された瑞巌寺参道の杉」だということでありますよ。これを用いて、チェーンソーアーティストとして世界で数々の受賞歴を誇る城所ケイジという方が「登竜」を彫り出した(削り出した?)とは、先に見かけた「登竜門」に因むものでありましょう。
ところで撮影不可ではあるも、宝物館の館内では企画展「師弟の絆 ―こころでつながる禅の教え―」が開催されておりましたですよ。(会期は2025年1月19日で終了)
仏教は今から約2,500年前、釈尊によって開かれた教えで、様々な宗派があります。瑞巌寺は現在、臨済宗妙心寺派に属しており、いわゆる禅宗と呼ばれる宗派です。
禅宗は特定の本尊と経典を持たないことが特徴で、その教えは、心から心へと直接伝えられるものであるとする「以心伝心」により、脈々と受け嗣がれてきました。
本展フライヤー裏面の紹介にはこうありまして、表面には教えが一番上(なんだか幽霊みたいな形に見えますが)の中国禅宗祖師・菩提達磨大師に始まり臨済宗開祖・臨済義玄禅師から妙心寺開山・関山慧玄禅師へ、そしてさらに瑞巌寺128世・加藤隆芳老師へと受け継がれるようすが示されておるのですなあ。
展示物の中には、文字情報だけではあるも、あたかも家系図のように僧侶の名前が書き連ねてある資料もありましたですよ。一子相伝というわけでもないのでしょうけれど、そんな想像もしてしまうような長い長い系図です。
日本に禅宗が紹介されたのは鎌倉時代ですけれど、系図を見るに臨済宗と曹洞宗と、栄西と道元を遥かに遡るところにそれぞれの開祖がいるようで、中国では古くから枝分かれしていたのであったかと。中国に渡った僧が近ごろ流行りの新機軸を仕入れてきましたというわけではなかったのでしたか。
加えて、日本に臨済宗を伝えたのは栄西で…ということだけは記憶するところながら、瑞巌寺はもとより今でも臨済宗のお寺さんはあちらこちらにありますから、その教えが脈々と…と思えば、直接に栄西に発する教えはもはや途絶えてしまっているのであるとか。
ですので、今に伝わる臨済宗は栄西とは別の系統なわけで、栄西が中国で教え受けたところから数代前に遡ったところの兄弟弟子みたいな枝分かれの果ての果てという流れが、日本ではあの!一休宗純や「心頭滅却すれば…」の快川紹喜、伊達政宗の師であった 虎哉宗乙、はたまた臨済宗中興の祖であるらしい白隠慧鶴へとつながっていくのだそうでありますよ。
仏教のことはとんともの知らずでして、「禅宗は特定の本尊と経典を持たないことが特徴」とはここで初めて認識したような次第。それでも、いわゆる名僧と言われるような歴史上の人物の名前だけは結構聞き覚えがあるものだと思ったものなのでありました。