このところぽつりぽつりと放送されているNHK『カラーでよみがえる映像の世紀』を見ていたりするものですから、期せずして第二次世界大戦の頃を振り返ることにもなっておりまして。先日の第4集「ヒトラーの野望 〜人々はナチスに未来を託した〜」では、ナチス・ドイツの領土拡大のようすをつぶさに描いていましたですなあ。
英仏ができるだけ戦争に至らないようにと、1938年9月のミュンヘン会談ではナチスの圧力に脅かされているチェコスロバキア(当時)に泣き寝入りをさせたあたりが、「宥和政策」などという言葉とともに世界史の授業で取り上げられていたように思い出されます。が、そのミュンヘン会談よりも半年前の1938年3月、ドイツはオーストリアを併合していたにも関わらず、こちらは開戦への流れの中であまり注目されずにもいたような。
これには、ドイツ民族同士だしみたいな思い込みもありますし、先の番組の第4集でもヒトラーが戦車を押し立ててオーストリア領内に進み行くも、オーストリアの人たちは歓声とナチ式敬礼をもって出迎えている映像があったりすることが、理由にもなりましょうか。もちろん、当事者にとっては大問題だったでしょうし、オーストリア内のユダヤ人はもとより、映画『サウンド・オブ・ミュージック』に描かれたトラップ大佐一家のような亡命劇もあったりするのですけれど。
とまあ、そんな少ない予備知識の下で読んでみたのが『ウィーン1938年 最後の日々 オーストリア併合と芸術都市の抵抗』という一冊なのでありましたよ。
世界史の授業を思い出してみますと、1848年のフランクフルト国民議会では統一ドイツのあり方が議論される中、オーストリアを含む大ドイツ主義、含まない小ドイツ主義が対立したてなことだったような。結果的には現在のドイツを思い浮かべても分かりますように、オーストリアとは袂を分かつ形で統一されたわけですが、これはもっぱら、当時力を増してきていたプロイセン王国が主導権を握って、オーストリアを排除する形で成立したもの…てなふうに思い込んでおりました。
さりながら、当時はまだ領域内に多々の民族を抱えていたオーストリア帝国としては、ドイツ民族のナショナリズム高揚の発露として考えられた統一国家には与しえない状況で、むしろオーストリア側が背を向けたところもあったような。
とはいえ、それは統治する側の論理であって帝国内の多数派であるドイツ系は黙っておられなかったのでもありましょうな。と、ここから先が本書に記述される範囲となりますけれど、第一世界大戦の敗戦により帝国解体となったオーストリア(周辺領域では民族ごとに自ら国家を立ち上げる中で残されたドイツ系?)ではドイツとの統一が望まれ、実際に戦後の議会ではその方向性で決議もされたのであったと。
ですが、戦後処理でむしろ大きなドイツが出来上がることを嫌ったフランスが大反対、ヴェルサイユ条約では両国の合併が禁止されることになったそうでありますよ。この外からの横やりには、庶民感覚としては根に持つ結果を招いたことでありましょう。
そんな背景があったことを知ってみれば、その後にナチス・ドイツが武力を行使することなくオーストリアを併合できたことに得心がいくというものです。なにせ、民衆が大手を振って歓んでいるのですから。
ところが、その統一が誰にとっても望ましい形であったかどうか、冷静に考えるとナチスによるのはまずいんでないの?と考えていた人たちもいたわけですな。オーストリアをナチス色に染め切ってしまわれないよう、なんとかオーストリア自立の道を探るといった形で。
しかしまあ、当時のオーストリアは主義主張がないまぜになって、誰が頼りにできるのか、判然としないようになってしまい(このあたりは本書で詳しくお読み願いたいところです)、「なにやってんだか…」とあきれ返った民衆(?)は結局のところ、ナチスの実態を知ってか知らずか、戦後ドイツの混乱期を乗り切り、むしろ発展著しいとも思えるようすを現出しているナチスの姿の幻惑されてもしまったのでしょうね。戦後賠償の問題などに苦しんでいたのはドイツばかりか、オーストリアも同様でしたでしょうし。
とまれ、現在もドイツとオーストリアは別の国として存在するわけでして、今となっては統一願望があるのかないのかは分かりませんですが、民族的には同じであっても別の国であるとは、オランダとベルギー・フランデレン地方(フランダース地方)の関係にも見られますですね。
ここにはプロテスタントとカトリックという宗教の異なりがあるわけで、その点でいえばプロテスタントの多いドイツ、カトリックの多いオーストリアということになるかもですが、だったらカトリック色の強いバイエルンは?てなふうに思えてきたりも。つまり、その時々の状況に翻弄された結果、二つの独立国になっているのでありましょうかね。おそらくはそれぞれのナショナル・アイデンティティーを育んできているのかもです。
と、もっぱら政治的な話の流れの面ばかりを触れましたけれど、本書が興味深く読めましたのは副題に「芸術都市の抵抗」とありますように、文化史の側面で世紀末から20世紀初頭に現れたくる綺羅星のごとき人たちの「その時」をも描いていることにもよりましょう。クラシック音楽やウィーン世紀末の美術などに関心を抱く方々には取り分け読みでのあるところかと思ったものでありますよ。