いつしか松の内も過ぎて、いつしか平静なる日常に復していくわけですが…といって、「松の内」の捉え方には地域差があるようですなあ。まあ、ざっくり言って関東は1月7日まで、関西では1月15日までといったふうであるとか。
ですので、ここではもっぱら関東ベースの話なわけですが、とかく関東というか、首都圏というか、この辺りの人たちは何かと気が急いて生きているのかもしれませんですねえ。しばらく前にTVの街頭インタビューかだったかで、JR新橋駅頭(東京ではお決まりのサラリーマン・インタビュースポット)で捕まっていた、福岡から出張で東京に来たという方が「東京の人は歩くのが速いですねえ」と言ってましたっけ。併せていると疲れてしまうと。
と、そんなことはともかく、日常が戻ってくる中では商店も会社も普通に営業するようになっているわけですが、ちと手続きの関係がありまして保険会社の窓口を訪ねたのでありますよ。で、窓口に現れた係の方が「今日の御用向きは?」と尋ねて来る際に、来客リストをつけるのでしょうか、メモをとるのにやおら万年筆を取り出したという。
このご担当の方、さほど年齢が高いわけでもない(おそらくは30代そこそこか?女性に対して上に見積ったらは失礼かもですが、そういう発想自体が差別であるのか…)。なのに、万年筆とは珍しいと思ったもので、ついつい「万年筆ですか!?」と反応してしまったのですなあ。
どうやら、文房具趣味、取り分け万年筆にこだわりがある方のようで、何本か持っておられるようす。持っているだけではと使うようにしておられるそうなのですな。ですが、いざ手続きを進めるのに複写式の用紙への記入が必要になりますと、万年筆からボールペンに持ち替えるひと幕が生じたわけです。ささっと軽く、流れるように書けるのが万年筆の真骨頂ですので、筆圧が肝心の複写式の用紙は万年筆に不向きだからということでありましょう。この辺りのことも万年筆衰亡の原因であるかと思ったりしたものなのですね。
かつて万年筆は筆記具の王者の風格を湛えていたところがあろうかと。大人の書きものとして、ちょいと憧れたりしたこともありましたなあ。何せ、小学校から中学へと上がる頃、旺文社の『中一時代』とか学研の『中一コース』とかいう学年別学習雑誌の年間購読を申し込むと、万年筆が付いてきたのではなかったかと。所詮はプラスチック製の安物なんですが、それでも「さあ、あなたは今日から中学生、大人の仲間入りですよ」とおまけ万年筆が語り掛けてきたような気がしたものです。
長じて高校、大学へと進みますと、いつまでもプラ製のおまけ万年筆を使っているわけにもいかず、いずれかの進学祝いをもらえることになったときに、親に求めたのが「まともな」万年筆でもあったかと。これを使い倒した後、こだわりの一本は自らの収入で自らへのご褒美(何の?)として買ったモンブランでありました。ヨーロッパの最高峰モンブランに積もる雪をイメージしたらしい白いマークにそそられてしまいましてね。なおかつ、細身のわりにはたっぷりした重量感には「やっぱり大人の筆記具」てな気分が弥増すところでありましたよ。
ですが、実際に仕事の場面に多用するにはボールペンの簡便さに敵わず、いつしか大事にしまい込まれることに。もしかしたら、今探せば、どっかから出てくるのではとも思っておりますが、日常遣いはもっぱらボールペンとなり、しかも100円ショップで何本も組みになったりするものだったりも。大人の筆記具を云々したことはすっかり忘れ、実用一点張り、コスパ重視にもなっていきましたなあ。この個人的軌跡は、世の中で使用される筆記具の推移とさして変わるところないでしょう、おそらく。
ですが、思いがけずも「どっこい生きてる万年筆」という場面に遭遇し、こだわって万年筆を使うといったことがちょっとした日々の潤いになったりするのではなかろうかなあと思ったのですな。何も万年筆に限った話ではなくして、他の人から無駄、余計な出費、厳に慎むべしみたいなことであっても、似たような潤いに繋がる何かしらは、誰しも何かしらあろうと思いますし、あった方が「ふだんプレミアム」(ひと頃にパナソニックのCMで使われた、個人的にお気に入りのフレーズ)にもなろうというものでしょうなあ。
普段遣いにほんのちょっとした贅沢。あってもいいよなあと思いましたですよ。そこで、早速に万年筆を新調し…と思ったわけではありませんが、試しにモンブラン公式サイトを覗いて製品情報を(「プライスの低い順」に並べ替えして)見てみますと、最も安いもので「¥86,900から」と。いつしか万年筆は筆記具の領域を超えてしまったのでしょうか。よほどのこだわりを持たないを手を出しにくいところまで行ってしまったような。といって、手で文字を書くこと自体がふだんにとってプレミアムな出来事になってしまってもおりましょうけれど…。