宮城県の石巻駅近辺では石ノ森章太郎の漫画キャラばかりが目立っていたように言いましたですが、実は駅頭(の隅っこ)にはかようなオブジェもありましたなあ。慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を横断したサン・ファン・バウティスタ号の姿でありますよ。
出航地である月浦(つきのうら)が現在の石巻市内とあって、石巻にとっては漫画と並ぶ観光資源となっているのでありましょう。石巻にある宮城県慶長使節船ミュージアムはその目玉のひとつとなるわけでして、お話はようやっとロビー展示を抜けて「慶長使節展示室」へと入ってまいります。
まず目に留まりますのは右手に見える長尺の絵巻物のような絵画作品でして、歴史的なものではなくして至って新しいものですけれど、今をときめく(?)画家・山口晃に依頼するあたり、ミュージアムの意気込みが感じられると申しましょうか。
旅の登場人物たちやそのスケールと概要を一目で見渡せつつ、展示資料や館外に広がる大海へも思い馳せる結節点になればと思い描きました。正確な記録は展示資料にありますので、この絵では空想成分がやや多めです。 山口晃
とまあ、作者自らの言葉にありますとおり「空想成分がやや多め」とはそれでこそ山口晃!なわけでして、ぐおっとイメージを鷲掴みされて、歴史的な解説へと導かれていく次第です。
大枠としては年表を辿る形で関連する出来事が紹介されていきますが、さすがに2024年10月リニューアルオープンというだけあって、このあたりの展示も真新しい限りでありますよ。ロビーの展示が出航に至る事前準備などを紹介していましたので、ここでは「いざ、出帆!」という場面から始まりとなっておりました。
1613(慶長18)年10月28日。支倉ら使節を乗せた船が石巻の月浦から旅立ちました。使節の使命は2つ。メキシコとの貿易と、宣教師の派遣を実現することです。
とはいうものの、もの申す後援者たる徳川家康にとっては交易が全て、使節正使のソテロの方は宣教師派遣こそが目的であって、最初から波乱含みの船出であったとは言えましょうか。
ところで、やおら太平洋を横断するというコースに臨むとは大冒険以上に無謀なことでは?と思っていましたですが、大航海時代を経たスペイン人にとっては(マゼランの世界周航から100年近く経っていますし)、「フィリピンとメキシコを結ぶ航路」は既に「1565年にスペインの探検家が発見したもの」であったそうな。あったようで。東へ向かう往路は偏西風にのって、西へ還る帰路は南下して貿易風を利用し、フィリピンを経由する形なのだそうです。
ちなみにこの使節、貿易開始にしても宣教師派遣にしても、お願い一辺倒だものですから、数々の土産物を船にたんと積み込んでいたようですなあ。
使節は、政宗の書状や、たくさんの贈り物を船に積んで持って行きました。ローマ教皇宛ての書状は、金箔・銀箔を散らした紙に書かれ、豪華な蒔絵の箱に入れてありました。訪問先に贈る品々は馬車5台分もあり、中身は刀や祭壇飾り、屏風、螺鈿蒔絵の机などでした。
かつてアメリカの某企業の日本法人からフィラデルフィアの本社視察に派遣されるグループに添乗したことがありますけれど、その際に日本土産としてグループが持っていったのが「舞扇」だったことを思い出したりしましたが、細かな細工が施された品々は今も昔も日本らしさの一面だったりするかもです。
ともあれ、こうして慶長遣欧使節は波濤万里を越える旅に出立したという。旅立ち部分だけで長い話になっていてはこの先が思い遣られるところですけれど、次からはもそっと端折って振り返っていくことに。次回はメキシコ到着後のようすになってまいりますですよ。