このほどようやっと「紅花の山形路紀行」を書き終えたところではありますが、ちとまた山形に逆戻り。天童駅舎に併設されている将棋資料館の展示の中に見かけたものに「?!」と思っていたのでありまして。
毎年春に開催される「天童 桜まつり」の一大イベント「人間将棋」の告知ポスターですけれど、だいたいは戦国武将風の装束を身に付けたイメージが使われている中で、真ん中に見えているのは至って今ふうの若者の姿。これが、将棋を題材にしている映画『3月のライオン』から持って来たものであるとは、映画そのものを知りませんでしたので、「なんだぁ?」と思ったものなのでありますよ。それだけに「見てみるかいね」と思い至るも、実はそのままになっており、ようやっと最近になって見たところ、前編・後編に分かれた長い話だったとは。
主人公・桐山零(神木隆之介)が、というより取り巻く人たちの中に「どうもな…」と思えてしんどくなる面(有村架純とか伊藤英明の役どころ)があったものの、将棋のことは駒の動かし方といった最低限のことしか知らなくても「まあ、見られるものなのだね」とは。
と、将棋を扱った映画の敷居が少々低くなったところで、主人公を永遠のライバル視する二海堂晴信(染谷将太)というエキセントリックな役(変わり者ばかり出てくる中でも際立った変わり者)が、どうやら実在の棋士(といって故人ですが)村山聖をモデルにしているらしい…と聞き及び、それならばと映画『聖の青春』の方にも目を向けた次第です。
将棋といえば今ではすっかり藤井聡太ですけれど、かつて羽生善治が快進撃を繰り広げていた時期があった…ということくらいはさすがに知っておりますな。されど同時期、ひたすらに羽生をライバル視して挑み続けるも、29歳で早世した村山九段(追贈)のことは全く知りませなんだ。幼少より腎臓に難病を抱え、慢性的な体調不全の中で将棋に打ち込む姿(演ずるは松山ケンイチ)には「破滅型」という言葉が浮かびますが、手術が必要と告げる医師とのやりとりには言葉を失うところでありましたよ。なんとなれば、手術では麻酔をするわけで、その麻酔が頭をぼんやりさせてしまう、将棋のことを考えるの支障が出るというのですな。さらには、どうしてもと言うなら、麻酔無しで手術をしてくださいとまで。鬼気迫ると言ってよいのか、常人には全く付いていけない世界にいる人だったようでありますよ。
というところで、勢いづいてもう一本。『泣き虫しょったんの軌跡』という、タイトルだけでは将棋との関わりが知れない映画です。
主人公の泣き虫しょったんこと瀬川晶司(松田龍平)もまた実在の人物ですな。プロ棋士の登竜門である奨励会に入るも、年齢制限の26歳までに四段への昇段を果たすこと敵わず、大きな挫折を味わうことになる…とは、野球でもサッカーでもなんでもプロになれなかった人たちがたくさんいることと同じなのでありましょう。一旦は大学を出て、サラリーマンになるという道を歩むも、将棋への情熱止みがたくアマチュア将棋の世界で頭角を現し、プロ棋士との対戦での高い勝率を誇ることに。結果、特例嘆願の運動を起こし、逆風も多い中でプロ編入試験の対局を経て、晴れてプロ棋士となった…という人物のようで。
映画の中では主人公の背中をやさしく押してやる学校の先生(松たか子)や父親(國村隼)がとってもいい人に見えるのですけれど、ひとり兄貴だけが割りを食っているような。非常に現実的で、プロになれるかどうか分からない状態の弟を見ていて、「どうやって食っていくんだ!」的なことを言い放ってしまうのですが、これってごくごく普通の反応でもありましょうかね。その人なりの心配の表現でしょうけど、それがどうにも悪い方向に見えてしまうのはどうかなあ…と、ごくごく普通の人としては思うわけです。
と、ここまで来たらついでにもう一本おまけ。やはり奨励会でプロを目指すも果たせなかった、いわば挫折組を主人公にした映画『AWAKE』です。ただし、実話度は薄めであるということですが。
なんの世界でも「井の中の蛙」とはよく見られることで、世の中にはすごい才能がたくさんいるのであるなと後から知ることになるわけですな。主人公もまた奨励会で対局を重ねるうちに自分の限界に立ち至ったのでしょうか、将棋から離れることになっていくという。さりながら、どうしても逆恨みのような感情が残ってしまうのでもあり、逆にそれが(良し悪しは別として)バネになって新しく大きな跳躍を果たすことになったりも。ここでの新しい跳躍はコンピュータの世界、プロ棋士をぎゃふんと言わせるような将棋AIを開発するというお話になっていくのでありますよ。
とまあ、こんなふうに将棋の映画をあれこれ見ていたわけですが、ごくごく普通の人といたしましては劇中描かれるところの将棋にかける情熱の熱量の凄さにたじろいだりも。「プロの将棋指しになりたい」という一途な思いは、前向きに受け取るべきなのでしょうね。
ですが、そんなふうに思い巡らす中で思い出したは、ちょいと前にEテレ『日曜美術館』で個展開催が取り上げれていた美術家・塩田千春の言葉なのですな。この方も若い時から画家志望で一心に過ごしてきたようですけれど、その時の気持ちを「画家になりたい、画家にしかなりたくない」てなふうに言っていたのですよね。いろいろ受け止め方はありましょうけれど、「画家になりたい」というのは前向きに受け止められるも、「画家にしかなりたくない」というのは些か後ろ向き発言のように感じられないこともない(区切らずに重ねていうことで前向きの強調になっているのかもですが…)。
映画で見て来た人にも「プロ棋士になりたい」、つまりは「プロ棋士にしかなりたくない」なんとなれば他には何もできないからということでもあるのかも。世の中には多芸多才の人もおりましょうけれど、そうでもなくても一芸に秀でることだけでも大したもの。一芸にも秀でていない人もたくさんいるわけですね。ただ、一芸にも秀でていなくても全くもってダメな人(どんな物差しを当てるかにもよりますが)とまでは言えないのですよねえ。そんなふうに思い及びますと、この秋に放送中のドラマ『無能の鷹』はどんなふうな話の展開になっていくのですかねえ。ま、漫画を先に読んでいる人には最後まで見えているのかもしれませんですが…。