愛知県瀬戸市に来て、泊まりは神社の境内にあるホテルと言いましたですが、とりあえずホテルに荷物を預けて瀬戸の街歩きに繰り出す…にあたっては、やはりこちらのお社に参拝してからということになりましょう。瀬戸の産土神とされる深川神社でありますよ。

 

 

ここに見えているのは二の鳥居で、奥の拝殿前にあるのが三の鳥居と。では、一の鳥居は?と言えば、先に触れた宮前地下街(つまりは参道商店街)の入り口に聳え立っているわけで。

 

 

ところで上の二の鳥居の両脇に控える神馬像が何とも立派ですなあ。「ほお~」と

 

 

この、下から見上げる感じが立派さを弥増すところかと思いますが、取り敢えずはずずいと進んで拝殿へ。

 

 

「これから瀬戸の街歩きで迷子になることがありませんように」と至って個人的願いを託して、ふと見上げれば「式内社」と金文字で書かれた扁額が目に止まりました。果たして、こちらのお社の由緒はこのようなものであるそうな。

深川神社は奈良時代の771(宝亀2)年、朝廷・藤原氏縁の天津神をこの地に勧請し創建された式内社です。瀬戸の総鎮守・産土神(うぶすながみ)として篤く信仰されています。

現在のところ同社HPはリニューアル中ということで情報が至って少ないのですけれど、境内にあった解説板でもそっと補いますと、ご祭神は「天照大神の五男三女の御子をまつり無病息災子孫繁栄を掌ります」ということで。ですが、瀬戸の地でここが有難いお社とされるようになったのは、社伝に曰く「陶祖・藤四郎が参拝した折り、ご霊験により辰巳(東南)の方向に祖母懐の土を得たとされています」という逸話の故でもかろうかと。

 

瀬戸焼の陶祖と言われる加藤四郎左衛門景正(略して藤四郎)は平安末期から鎌倉時代の人で、南宋に渡って「陶業技法を学び瀬戸に伝えたとされる」そうですが、やきものに適した土を探し求める中、たまたま?訪ねたこのお社で啓示を受けて現在の瀬戸市祖母懐(そぼかい)町に良土に巡り合い、窯を開いたということのようで。

 

どうやら、元々瀬戸ゆかりの人ではなさそうですが、瀬戸物隆盛の起源はこの人にありということで、神格化されてもおり、深川神社のお隣に陶彦神社(陶彦社)が設けられるまでになっているのですな。創建は文政七年(1824年)とだいぶ後のことにはなりますけれどね。

 

 

陶彦社には、普通は左右に一対で置かれる狛犬とは違って正面向きの犬の像が置いてあるのですなあ。「なでこまいぬ」と書いてあります。

 

 

文字通りにとれば、これをなでると縁起がいいてなことになりましょうけれど、その割には結構恐い顔付をしています。が、これにはモデルがあるようでして、陶祖藤四郎が奉納したとされる陶製狛犬(国指定重要文化財)を実物大で模したものであるそうな。「文化財ナビ愛知」というサイトで実物画像が見られますが、透明釉がかかってぴかぴかしている分、お顔の恐さは一入のように思えたりしますですよ。

 

 

ちなみに、深川神社には陶彦社の他にもう一つお社がありまして、深川奥宮稲荷社と。朱塗りの鳥居がたくさん連なった奥に鎮座されているのですが、すでに散策安全祈願は本宮で済ませておりますし、失礼ながらこちらへは門前一礼にていよいよ瀬戸歩きに繰り出す次第でございます。