埼玉・新座で平林寺の境内林をめぐったというお話は終わった…ところながら、もうひとつだけ墓所とそれに絡むお話を。それがこちら、耳庵居士こと松永安左ヱ門(とその夫人)が眠っておられる場所になります。

 

 

と言って、松永の名前にピンとくる方もそうでない方もおいでと思いますので、平林寺のリーフレットにある紹介文を引いておこうかと。

「電力王(電力の鬼)」と呼ばれた松永安左ヱ門は、近代日本の電力民営化を強力に推進した実業家。平林寺第21世峰尾大休老師と親交を持ち、深く帰依しました。晩年は寺向かいの別邸睡足軒に知人を招き、我流の茶会を催しました。近代三茶人のひとり(松永耳庵)。

ちなみに三茶人のこりの二人は、横浜に三溪園を遺した原富太郎(号・三溪)と、三井財閥の益田孝(号・鈍翁)ということで。で、その二人も足を運んだかもしれない松永の別邸は平林寺に向かいにありと。こちらがその睡足軒の入り口でありますよ。

 

 

現在は「新座市睡足軒の森」として市が管理しているようですけれど、平林寺に比べれば格段に小さな空間であるものんびりできる園庭となっておりましたなあ。池には鯉が元気に泳いでもおりまして。

 

 

 

でもって、「もともと飛騨高山周辺に建てられていた江戸後期の民家と推定され、松永安左エ門(耳庵)が昭和13年に当地へ移築し、草庵としたと伝えられてい」るという(新座市HP)「睡足軒」の建物はこちらでございます。

 

 

元来、睡足軒というのは「平林寺に明治中頃まで存在した別院(塔頭)の名」であるとか。先にも触れたような、安左ヱ門と平林寺老師との親交あらばこそ譲り受けた名前ということになりそうです。中に立ち入ることはできないようですけれど、開け放たれた戸口から中を覗く限りで屋内のようすはこのような。囲炉裏の間と言われていますので、かつては囲炉裏が切ってあったのでしょうね。

 

 

丸窓から覗く内庭が画幅のようでもあり、漆黒の宇宙に浮かぶ惑星のようでもあり。そも睡足軒の名には禅問答のような何かしらの含みがあるのかもですが、文字通りに睡眠の足りる場所といった気にもなってくるところでありましたよ。

 

 

ところで睡足軒の森の方も、平林寺の境内林同様に新緑が鮮やかでしたですが、隣接地にはどうやら竹林があるようで、竹の林もまた風情がありますですね。敷地の並びにはお休み処がありまして、そちらの側からは竹林がよおく見えたものです。

 

 

ということで、たどり着いたお休み処で小休止。GW中にやたらに暑い日がありましたですよね。日差しの強さに耐えかねて、抹茶ソフトに飛びついてしまったのですな。ちょうど昼どきでそば、うどんを食すこともできましたのに(笑)。

 

 


 

ところでまた不在が続くことになりますが、さる筋から何と!温泉旅行ご招待の話が舞い込んだものですから、そそくさと出かけてまいることに。一泊旅行ながら東京帰着時が遅めということで、都内の後泊分を含め、明日(6/17)と明後日(6/18)はお休みといたしまして、次は6/19(月)にお目にかかりたく。どうぞよしなに願います。