また一つ、近隣図書館の新着図書コーナーから。今度は『「いろは」の十九世紀: 文字と教育の文化史』という一冊を手に取ったのでありました。
今でこそ学校で文字を習うときのとっかかりには五十音によるかな文字一覧表が用いられているのではなかろうかと思いますけれど、近世、日本人の識字率向上にもつながったのは「いろは」による覚え方であったわけですね。江戸期の寺子屋などではもっぱらこれが使われていたであろうと。
今でも何かしらの初歩を指して「何々のいろは」と言われたりもするように、「いろは」はとっかかりとして多くの人に馴染みがあったということになりましょう。そも「平仮名で「いろは」の書かれた最古のものは出土土器である」と本書にも記されておりますように、そして実際に斎宮跡ほか、武蔵国分寺跡などの出土品でも見てきたように、平安の昔から「いろは」は使われてきたのですから、実に長い歴史を持っているのですな。
そうしたことに大転換が起こったのが明治期の学制発布に始まる教育改革でありましょう。それまでの寺子屋が一定程度、庶民層にまで識字力を付けることに役立っていたとしても、子どもを寺子屋に通わせることができたのも限られていたことでしょう。それが明治になると(といっても当初、学校は無償ではなかったのですが)様子が変わってきますですね。誰もが(国にとって「良い」国民となるよう)教育を受ける義務教育になっていったりしますし。
そんなときに「いろは」というのはどうなのよ?となる。そもそも元は昔の和歌で、時あたかも言文一致体が指向され、また日本国中で一律に通ずる「共通語」なるものの考えもあり、この際抜本的に見なそうとなるわけです。こうした流れの中には、日本語の文字としてローマ字を使おうという動きがあったりもしたようですね。なんとなれば、広くあまねく国民にたくさんの漢字を覚えさせるのは困難であろうということで。
同根の考え方から漢字を廃止してかな文字だけにするてな意見もあったりしたようですけれど、そりゃあいくらなんでもご無体でしょうと思うところながら、その後のありようを見ても、難しい漢字を簡略化するとか、日常的に使う漢字を国が決めるとかいろいろやってますので、漢字をたくさん知っているというのは物好きな物知り満足の領域なもかもです。
と、漢字はともかくかな文字ですけれど、「いろは」を止めてどうするかというときに五十音順の表が出てくるとして、これには些かなりともローマ字を使おうといった一派の考え方が入り込んでいるのではなかろうかとも。何しろ、母音と子音に分解して、あ行から始まる類型化を行ったたまものなわけでしょうから。こうした発想は江戸期の日でもあることはあったようですけれど、ひたすらに学者の研究に留まっていたことでありましょう。
この「いろは」から五十音への転換は(長い歴史の中では)たかだか150年くらいのものなわけで、そのときに日本人の言葉遣いも大きく変わったとして、その後も変化し続けている。個人的にはどうも、街中で聞こえてくる言葉の使われ方に敏感に反応して「うむむ…」と思ってしまう質ではあるのですけれど、言葉が移り行くことにはもそっと鷹揚に望まねばなるまいなあと、ここでも考えた次第なのでありますよ。とはいえ、やっぱりどうしても「それ、違うよ」と、そのままにしておいていいのであるかと思ってしまう場合も多々あるのですけれどね(笑)。