普段の読書傾向からしますと「異なもの」を手に取ってみたのでありますよ。たまに変わったものに触れてみますと、思わぬ気付きがあったりするものですのでね。中公新書の『エビはすごい カニもすごい』という一冊でありました。
実のところ、このタイトルには騙されたといいましょうか。「すごい、すごい」という何とも安直な言葉が躍っているのを見て、さぞかしやさしく「すごさ」を伝えてくれるもの(ともすると岩波ジュニア新書のように?)と思い込んでしまったところながら、いやあ、とっつき悪かったですなあ。はじめの方はもっぱらエビ、カニの身体組成やら生態をじっくりと語ってくれておりますが、これが文系頭にはどうもなかなかすっとは入ってこないわけでして…(苦笑)。
さりながらなんとか読み終えてみますと、なるほど「エビはすごいし、カニもすごい」という一端を窺い知ることができたような。気になったところはいくつかあるのですけれど、本書の帯にも記されている「なぜエビは跳びはね、カニは爪先であるくのか?」といったあたりから振り返ってみようかと思う次第です。
で、なぜエビは跳びはねるのか?ですけれど、これはもう外敵から逃れるためとしか言いようがないような。それ以外に逃げる手立てがないわけで。ただ、跳びはねるための身体組成が実に見事にできている。それが「すごい」ことのひとつでもありましょうね。
エビの殻は固い。ですが、ひっくり返した腹側はいくらか柔らかですな。この弾力がエビの跳びはねには欠かせませんし、その中にぎゅっと詰まっているのがこれまた跳びはねるための筋肉でして、結果として人間が「ぷりっぷりのエビ」などとにんまりしつつ有難く平らげてしまうところなわけです。エビとしては、外敵から逃れるために発達させた筋肉のせいで、それを旨いと知った人間に食われることになろうとは、思ってもみなかったでしょうなあ。
一方で、なぜカニは爪先で歩くのか?の方はと言えば、「チコちゃんに叱られる」的にあとから解説が必要なくらいに結論だけ言うならば、「そうしないとカニは死んでしまうから」とでもなりましょうか。カニは基本的に海底や川底を歩いて移動しますけれど、砂粒、岩粒の中を歩くにあたり、脚には細かく傷が付いたりするところながら、この傷を最小限にとどめるため、接地面が極力少なくなるよう爪先立ち(というか脚の形状自体がとがったものになっておりますが)で歩くのだとか。
少々の傷はあらかじめ備わった再生機能(何しろ脚一本を失っても同じものが再生するくらいで)でもって修復可能ではあるものの、傷が接地する箇所である場アリには修復途上にビブリオ菌などの最近が体内に入り込んでしまう可能性が高まるのだそうな。何しろ海底や川底にはカニの命にもかかわる細菌などがごしゃまんといるそうですのでね。
だからこそ、カニは歩くときに接地面が極力少ないように脚の形状をとがったものとして進化してきたのであると。ちなみに「ワタリガニ」とも言われるガザミなどは一番下に付いている脚の先がへらべったくなっていますけれど、これは歩くというより、ひらひらと泳ぐために発達してものであるようで。まさに渡り鳥ならぬ渡りガニと言われる所以でありますなあ。
ところで、このカニの細菌対策を読んでいて考えたことがあるのですね。かくも自衛手段として脚の形状を独特なものとしなければならないほどに、カニは天敵である細菌がすぐそこにいる環境を当然のこととして生きていかねばならかったのであるかと。
人間もまた、科学の力を借りたりしながらも、さまざまなものから身体の防護を図ってきてはいますけれど、ことここへ来て降りかかったきた新型コロナウィルスにはどぎまぎさせられどおしなわけです。いつになったら終息するのか…などと思いつつも「ウィズコロナ」などという言われようもまたありませすですね。天敵たる存在がすぐそこにいることを当然と考えて、できる限りの対策をもって生きながらえていく。なんだかカニに学ばねばならないような気にもなったものなのでありますよ。
と、本書が伝えたかったであろう、エビのすごさ、カニのすごさにはさほど触れずに来てしまいましたですが、「すごさ、どんだけ?」と気になる方はどうぞ本書にあたってくださいまし。たぶんですけれど、第1章(エビ・カニとはどのような生き物なのか?)、第2章(エビ・カニの五感と生殖)は根気よくしのぐ必要があろうかとも思いますですが(笑)。