さてと福生市をぶらりとしに出掛けたのは市の郷土資料室に立ち寄るからと申しましたですが、そこで開催中の企画展示「教科書から読み解く社会」を覗いてみようと思ったわけでありまして。

 

 

タイトルからだけでは窺いにくいところながら、「教科書が扱う題材を通して、そこに表象される時代精神やジェンダー観に迫ります」というのが趣旨であるようでありましたよ。

 

 

福生市の場合、郷土資料「館」ではなくして郷土資料「室」ということで、中央図書館の建物の一角ですので小さめのようですが、とりあえず中へ入ってみることに。展示は「教育制度と教科書の変遷」を辿る形になっています。

 

そも江戸期に庶民教育を担った寺子屋は、いわゆる「読み書きそろばん」を教えるところで、特に「読み」に関しては時代劇に描かれてきた影響からか、ひたすらに『論語』の素読ばかりが行われていたように思ってしまうも、さにあらず。「生徒の学習段階や職業に応じて教師役である師匠が個人個人にあった往来物を選択し、教育を行」っていたようで。「往来物」とは今でいう教科書に当たるものと考えてよいようです。

 

 

一般常識を教えるための「庭訓往来」(右上)を始め、農家の子供たちには「百姓往来」(右下)を、商家の子供たちには「商売往来」(左下)といったものを使用して、個別教育を行っていたのですなあ。

 

これが明治になりますと、学校制度の近代化に伴って寺子屋に通える子、通えない子の格差解消が図られるようにはなっていきますが、その代わりに一斉授業の形がとられていきますな。それぞれの生徒の事情はともかくとして、要するに国民教育の一環ですからなあ。国策に適う国民になってもらわねばと、教科書は外国製の翻訳ものや民間の会社が作成したものが使われたりもした末には検定教科書、やがては国定教科書と変わっていったという。

 

国策に適うという点に関して、明治期の富国強兵策にも乗っかって、日清、日露、一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と、戦争の続く中、やはり教科書にも相当にナショナリズムの空気が吹き込まれていたであろうとは、想像するに難くないところですけれど、改めて当時の教科書を見てみれば「そうであるか…」ということに。

 

 

これは昭和10年(1935年)発行の文部省編『尋常小学国史 下巻』という歴史の教科書ですけれど、このような記述の部分にわざわざ「ここに注目」と付箋が付けられておりますよ。

…わが國は、まつさきに満洲國の獨立をみとめ、かねてわが國の主義である東洋の平和をますます固めようと望んだ。ところが、國際聯盟は、わが正當なこの行をみとめなかったので、いたしかたなく、八年にきつぱり離脱を通告して、聯盟と手を分つこととなった。

こうした叙述のありようは他にもたくさんありまして、正しく枚挙に遑ない状況。これをあれこれ挙げるまでのことはしませんけれど、世界の中で孤立してまで固執することにどれほどの正当性があるのかは脇に置かれ、自国の立場だけをひたすらに刷り込もうとするのは、今でもどこかの国で行われてしまっておりますなあ。なんともはやです。

 

ただ、明治から昭和に至る過程が、ただただこの路線であったかというと、そうでもない時期があったのであると。大正デモクラシーの時代です。展示解説には、こんな紹介がありましたですよ。

第一次世界大戦後の平和的、協調的な国際社会の風潮や大正デモクラシーの隆盛は日本の脅威カ所にも大きな影響を与えています。…修身科で使用された1927(昭和2)年の『尋常小学修身書 巻六 児童用』では、直近の教科書で採用されていた国家主義的な内容の大部分が削除され、公益や共同など社会倫理的な内容や国際協調的な教材が付け加えられるなどの変更が行われています。

今でもかつてと同様であるかは分かりませんけれど、戦後の昭和世代は学校の歴史の授業でおよそ現代史を学ぶことが無かったような。これは、先史時代に始まり順を追って歴史事象を教わっていく中、1年間の授業で現代まではたどり着けないといったこともあったでしょうけれど、現代史を教えるのが教員にとっても扱いづらいということがあったのではなかろうかと思ったりも。そうした中では、大正デモクラシーに触れることも微かなものになろうかと思いますが、もう少し注目されても良かったのではないかと思うところです。もちろん、自由民権運動がそうであったようにいい面ばかりとは思いませんが。

 

とまあ、古い時代の話ばかりではなくして、その後現在に至るまでにも教科書の内容は変遷を繰り返しておりますな。寺子屋の「読み書きそろばん」の感覚が、今ではコンピュータ・リテラシーということになりましょうか。「技術・家庭」の教科書には「コンピュータの仕組みを知ろう」なんつう項目も。

 

 

仕事にPCが入り込む時期を職場で迎えた者にとっては、そんな仕組みだのなんだのの理解はともかく、とにかく使ってみることから始まりましたですがねえ…。ともあれ、「技術・家庭」の教科書という点では、古くからのジェンダー観が長く残っていたような。1978年(昭和53年)段階でも、教科書自体が「男子向き」・「女子向き」に分かれていたのですものね。

 

 

男子は木工で家具や道具を作り、女子は衣類を作る…と、これってグランマ・モーゼスが分かり頃の村のようすでもあろうかと思ったりも。もっとも、個人的にはそういう教科書の時代にどっぷり浸かって来たわけですが…。

 

これが、1981年(昭和56年)の教科書になると、いささかようすが変わってきたようで。まずもって男女分けがなされていないようで、ひとつの教科書を使って、機械、電気、栽培、被服、食物、保育などを誰もが学ぶようになっておりますな。それでも、イラストなどからは女の子っぽさ、男の子っぽさという既成概念が漂っていて、枠組みが変わっても本質的にはどうかいね?…と、根の深さは一朝一夕には変わるものではなく…。

 

 

この点、リアルタイム現代の教科書はまた変化を遂げていることと思いますが、教科書に「何が」「どのように」載っているかには、他人任せ(国任せ?)にするでなく、それぞれ大人目線で気に掛けておく必要があったのであるなと今さらながら。プロパガンダは他所の国だけの話ではありませんしね。