国分寺市の地元野菜たっぷりの昼食の後、
史跡の駅おたカフェの目の前に武蔵国分寺跡資料館を覗くことにしたわけですが、
妙に立派な門構えでありますなあ。
実はここ、「代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷」であった場所で、
これはその入口あたる長屋門だったのですなあ。
今では敷地内に母屋は残っておらず、その代わりに市の運営で武蔵国分寺跡資料館があるようす。
さりながら、長屋門の方も「見学できます」とあったものですから、ちょいとお邪魔をすることに。
ちなみに弘化五年(1848年)に建てられたものだそうです。
見ようによっては、これだけでも十分に一軒の家といったふうでもあろうかと。
この開放部は床の間付きの六畳間と四畳半ひとつだけですけれど、
なにせ門として入口にまたがっておりますので、当然ながら2階は広いことでしょう。
上がってみれば、なるほど広い。大正時代には(というより大正時代になって以降と…)
養蚕が行われていたのだそうでありますよ(幕末とか明治の話ではないのですな)。
今では、その広さを利用して展示スペースになっておりまして、養蚕関係の資料もあり、
また名主の本多さんの中にはお医者さんだった人がいるということで、薬種関係の資料もありました。
これは薬箪笥だそうで。
ところで、母屋こそ残されていないものの、
敷地内には国分寺崖線から水の湧き出す「湧水源観察ポイント」なる場所もありましたですよ。
この奥から湧き出していると、わざわざ矢印付きの看板まで下がっておりますが、
肉眼ではしかとは分からず…。ですが、湧水点を確認しに庭を歩き回っておりますときに、
「おや?!」というものを発見したのですなあ。「ムサシアブミ」という植物をご存知でありましょうか。
地面にへばりついている赤い粒粒、これが「ムサシアブミ」の実であるというのですなあ。
色といい、つぶつぶ具合といい、邪悪なキノコとしか思えないところですが、
サトイモ科の植物なのだそうでありますよ。で、やっぱり毒があるそうです。
関東地方から以西、四国、九州、沖縄にも自生して、山野草として湿ったところで見かけられると言うものの、
初めて目にしましたですねえ。そして、クローズアップするとなおのこと気持ち悪いのですが、とりあえず。
本来はこれが地面からすっくと立ちあがっているということながら、
時期が遅いのか、すっかりへたれておりました。
ちなみに名前の由来は、春先に咲く花(水芭蕉やザゼンソウを思い浮かべるいいらしい)が
ひっくり返した鐙(あぶみ、馬に乗るとき足を掛ける馬具ですな)に似ているところからであると。
とりわけ鐙の生産地として武蔵国が広く知られていたことで、「武蔵鐙」となったそうな。
坂東武者の荒々しい騎馬姿が偲ばれますなあ。
と、武蔵国分寺跡資料館の館内に立ち入る前の話で長くなってしまいしたので、
資料館のお話は改めてこの次に、ということで…。