ということで今現在の武蔵国分寺にたどり着きまして、薬師堂を中心に見てまわりましたですが、
国分寺崖線の斜面を背負った境内のようすはこのようになっておりますな。
これを見ますと、本堂と同じような目立ち方で薬師堂が描かれておりますけれど、
その傍らに小さく八幡神社とあるのが見えます。
奈良の薬師寺にも鎮守神として休ヶ岡八幡宮がの置かれているようですし、
栃木県にはそのものずばり薬師寺八幡宮というお社もあるとは、
薬師如来と八幡神は関わりが深いのでしょうかね。
ちなみに(と、また余談になりますけれど)先日見た、三重TV制作のドキュメンタリー『氏神さま』の第五話、
「武家の守護神Ⅰ 源氏」という放送回では、鎌倉の鶴岡八幡宮を取り上げておりましたな。
もともと源頼朝が創建した当時の鶴岡八幡宮は「八幡宮寺」という神仏習合状態であったと知られていますが、
(「八幡宮寺」と書かれてあったところが「寺」の部分だけ切り取られたと思しき扁額があることで有名ですな)
当初の境内には薬師堂も置かれていたようでして、これもまた関わりのひとつとなりましょうか。
ちなみにちなみに同番組の解説に曰く、源氏の始まりの始まりは嵯峨天皇にあると。
たいそうな子だくさんであったため、多くを臣籍降下させることになり、「源」姓を賜るわけですが、
(「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルと目されている源融その他多数の源氏が誕生)
この公家として源氏に与えられた役割として、八幡宮の奉幣使というのがあったそうな。
ここからすでに八幡神と源氏の結びつきがあるわけでして、
何も武家源氏が戦さの神として八幡神を信奉したという以前から、
八幡神といえば源氏、源氏といえば八幡神というつながりがあったのであるとか。
と、余談はほどほどに武蔵国分寺の境内図に戻りますと、
本堂脇にこれまた小さく「万葉植物園」という記載が目にとまったのでありますよ。
まあ、この手の施設は結構あちこちにあるものですが、
「万葉集は、武蔵国分寺が建立された頃に編まれた歌集」という縁でもあろうようで、
とりあえずどれどれと巡ってみることに。
どうも、木立の中にこれだけわさわさと立て看板が並んでいるのは、
ドラマ『トリック』で出てくる怪しげな山村へと向かう道であるかのようではありませんか。
ひとつひとつの看板には植物の名前と、その植物を引用した万葉歌が記されているものの、
植物にも万葉集にも疎い者としては、ちと敷居の高さを感じもしたり。
辛うじてこれくらいは、さすがに額田王の歌であると知ってはおりますが、
こんなにたくさんの歌がありますのにねえ…(苦笑)。