埼玉県では最果てとも思える場所にある三峰神社を訪ね、一端は秩父市街へと戻ることに。
その途中で昼飯にと道の駅大滝温泉に立ち寄ったのですが、
歴史民俗資料館が併設されていましたので、ちと昼飯前に覗いてみたような次第です。
平成の大合併で巨大化した秩父市(ちなみに埼玉県でいちばん広い自治体)には、
合併前の町村がそれぞれに抱えていた資料館が秩父市立となって各所に残るわけですが、
こちらも旧大滝村の施設なのですなあ。
ちなみにこの合併の際、当初の目論見ではさらにずうっと大きな自治体になることが想定されていたのですが、
長瀞町や小鹿野町が離脱して、今の形に。独自の文化的背景ですとか、そのあたりに対する思い入れですかね。
されど、合併したからといって大滝村の人たちが独自文化を持たないとかいうことではありませんで、
そのあたりの自負が歴史民俗資料館に息づいているともいえましょうか。
さてと、館内に入ってみます。
地域地域でそれぞれにある歴史民俗資料館の類いは、見かけるたびごとについ覗いてしまいますけれど、
どこの施設でも古い民具、農具などや昔のくらしの再現として家屋の一部が展示スペースを占めて、
似たり寄ったり感があるのは致し方無いことではありましょう。ですが、旧大滝村でいささか注目すべきは
よく見かける農村の暮らしというよりは、山村の暮らしなのですなあ。なかなかに山深い土地柄でありまして。
ですので、展示スペースにも「稼山(かせぎやま)」というコーナーが設けられていたくらい。
「稼山」とは「一定地域の住民が共同に使用し、収益をともにする山林」のことだそうで(コトバングによる)。
のこぎりや斧など、山林と関わる道具類の豊富なこと、現代ホームセンターのごとし(?)。
それぞれに山の中で最適に使われる場面があって、多種多様なものが作られたのでしょうね。
ただ、山仕事といっても、部分部分が専門分化していたようでして、近世中期以降は
原木の伐採を受け持つ「杣(そま)」、造材を受け持つ「木挽(こびき)」、
運材(搬出)を受け持つ「日雇(ひやといではなしに、ひよう)」の三種になっていたそうな。
そして展示解説にはこんな紹介もありました。
杣、木挽、日雇、15人位を一組とし、元締(事業主)から請負った庄屋(組頭)、小庄屋(人夫頭)の組織のもとに、庄屋がとりまとめ山仕事に従事した。この組織は近年まで引きつがれていた。
山の暮らしには昔々と変わらずに長く受け継がれてきたことがあったのですなあ。
もちろん組織の点だけではなしに、どうしても人が入って歩き回り、人が手を掛けなくてはならないという、
仕事の形もまた変わらない(変えるのがなかなかに難しい)こともありましょうね。
ともあれ、大変な作業を仕事にするのは、山の恵みに預かることで利益を得られるからでしょうけれど、
もそっと直接的に口に入れられる、食べられるものを作る必要もあろうかと。
つまりは農耕ということになりますですが、山間にあってはこれもまた大変なことであるわけで。
…四方に高い山がそびえる麓の村にて、田は一枚もなく、半日ほどしか太陽はあたらず、農作物(大麦、小麦、粟、稗、大豆、小豆、そば、芋、煙草、えごま)は半穀もとれず、夫食不足の村である。したがって男は農耕の合間に稼山に入り、女子供は稼出した板など、せおい出し、また深山にわけ入り、黄連、竹節人参、岩茸などとり、きびしい自然のなかで、その日暮らしの村である。
村に伝わる元禄三年(1690年)の記録には、かようなことが書かれているということで、
稼山ありきで見てきてしまいましたですが、考えてみればやはり先に農耕があって、
それでは食えないから山に入るという構図でありましたなあ。
ちなみに「夫食(ぶじき)」とは初めて目にした言葉ですけれど、
「江戸時代、農民の食糧のこと。雑穀を意味する場合が多い。」とのこと(コトバンクによる)。
水田の無いこの地域ではそのまんまの意味ながら、米を作っているのに自らの口にはほどんど入らないという、
そんな農民もいたであろう時代の言葉でもあろうかと思うところです。
山峡(やまかいと読むのだそうな)の暮らしに思いを馳せながら展示を見て回ったのち、
資料館のお隣にある郷路館という食事処で昼めしにあずかることに。
結構広い館内に、昼食どきながらぽつりぽつりという客入りでしたが、
これはメニューが限定されているからでしょうなあ。これを見上げて「うどん、そば…だけか…」と
立ち去ってしまう観光客も何人か見られたりして。
確かに、そして見事にうどんとそばしかない無いのですが、それこそ押しの一品ともいえましょうか。
この郷路館には「大滝村食文化センター」という位置づけもあるようですのでね。
うどん、そばこそ食して行ってほしいという思いの表れかもしれません。
中でも、一押しはうどんの方でしょうけれど、前の日に「道灌うどん」を食したばかりでしたので、
ここではそばをいただくことに。「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の「三たてそば」だそうでして。
このところ、袋ものの茹でそばしか食していなかったこともありまして、
そばのうまさをひとしお感じるところでありましたよ。
昔から、米以外のものを使ってできるだけおいしく食すという文化が培われた結果であるかとも
思ったりしたものなのでありました。