あれこれと書き遅れておりまして、先にムサビの美術館を訪ねたお話を何度かにわたりしておりましたが、

同じキャンパス内にあります民俗資料室にもお邪魔をしていたのでありましたよ。

ちょうど「運ぶ-文化とかたち」という展示が開催中なのでありました。

 

 

さまざまに便利な機械が作り出される以前(といって、今でも使われているものもあるわけですが)、

ヒトはものを運ぶ際、それぞれの用途に適した道具を生み出してきたのですよね。本展では、

「1 頭で運ぶ」、「2 背負う」、「3 担ぐ」、「4 腰に下げる」、「5 手で運ぶ」、そして「6 風呂敷で運ぶ」と区分けて

展示されておりましたよ。

 

 

まずは頭で運ぶための道具ですけれど、こんなのとか、こんなのとか。

 

 

 

「頭部による運搬は腕力の弱い女性でも長続きする運搬法であったらしく…」と解説にあったように、

「ブラタモリ」伊豆大島編で左側の写真に類する道具での運搬法に触れてもおりましたですが、

その伊豆大島で土地の「女性は、16、17歳になっても頭上で米一俵(60kg)運べないと一人前ではない」と

考えられていたのだそうな。それほどに普通の運搬法であったのでしょう。狭い山道にはうってつけと。

 

一方、右側の方はストラップ部分を前頭部に掛けて背負う形ですが、なんとはなし東南アジアっぽいような。

ですが、かつては北海道、伊豆諸島や南西諸島に多く見られたなりますと、文化の伝承といいますか、

柳田國男の『蝸牛考』を思い出しもしますなあ。

 

 

こちらは背負う道具の類でして、植物の繊維を編んで袋状にしたものを取り付けた、

いわばナップザックのようなものもありますが、代表的なのは二本の長い桁を側面に持つ背負子ですな。

いかにも古びた民具に見えるものの、この系譜は今でも形を残してアルミ製のものが出回ったりしているようで。

 

 

でもって、「担ぐ」と言ってすぐに思い浮かびますのが、両端に籠をぶら下げた天秤棒でしょうか。

ただ「海外にも天秤棒は存在するが、いわゆる「エッサホイサ」と足腰で調子をとり、

敢えて上下に揺らすのは日本独特の身体技法である」そうな。これが肩への負担を減らすのだそうです。

 

 

 

さて、左側にあるのが腰に下げる道具、魚釣りのときの魚籠などのほか、

キノコ採りや山菜採りなど、山中での作業にそのコンパクトさ、軽量性で重宝するのでしょう。

右側は持ち手が付いていますので、手で運ぶ道具であるとはひと目で知れるところです。

 

 

ざっくりひと回りの最後に登場するのが「風呂敷で運ぶ」。

本来は風呂屋に行くときに持って行って、脱衣所に敷き「足を拭いたり濡れた衣類を包んでいた」のが

風呂敷のそもそもであるとか。それが、さまざまな形状を包むにあたって、その包み方に工夫を凝らした点、

これってとても日本らしいところでもあるような。折紙の折り方がいろいろと発案されたのにも近いような。

 

ところで風呂敷といえばですが、

まいど唐草模様の大きな布団風呂敷を背負った姿で登場してきた東京ぼん太という芸人がおりましたなあ。

栃木訛りでもっていかにも「地方から東京へ出てきた」感を醸していましたですが、

TVにも出ていた1960年代当時でさえすでに、唐草模様の風呂敷が何やら妙にふるくさぁい印象であったような。

もちろん東京ぼん太はそれを田舎臭さの一端として自覚的に演出していたのでしょうけれど。

 

ともあれ、そんな古臭いとも思えた風呂敷が近年は「エコバッグにも通じる道具」として注目されているとも。

そのもの自体の機能ではなくして、そのときどきの見た目や印象によって廃れた物には、

改めてその機能に着目されたときに大いなる復活を遂げることもあろうかと。

何も風呂敷に限った話ではなくして、他の運搬具もまた同様かもしれませんですよね。