今回の青森行きは(同行者との関係もあり)比較的ゆったりとした形で推移したもので、
出発日はホテルに入ったところでほぼほぼ終了…といっても、夕方でもまだ暮れ切っていませんでしたので、
港の方へでもと散歩にと出かけてみたのでありました。
柱の高い斜張橋・青森ベイブリッジとその下には煌々と灯りのともる「A-FACTORY」なる商業施設。
ちょっとおしゃれなベイサイドを演出しておりますが、ひと通りは極端に少なく、
これの反対側、海の方向は暗い闇に沈んでいく・・・。いかにもな最果て感が漂っておりましたよ。
と、ベイブリッジ下の歩行者専用橋を渡りきりますと、右手(海側)には
やおら線路とその先に船が見えてくるのですなあ。「おお、青函連絡船!」というわけです。
今は分断されておりますが、かつてはこの線路が青森駅と結ばれていて、
連絡船の船内へ貨車ごと積み込んでいたのでありますなあ。
う~ん、懐かしい…と言って、そう言うほどに青函連絡船をよく知っているわけではないのですけれどね。
そういえば、1988年の青函トンネル開通に伴って連絡船が廃止となることが漏れ聞こえてきたときに、
「やはり一度は乗っておかねば」との思いから、友人と連れ立って乗りに行ったのだったなあと思い出すわけで。
♪上野発の夜行列車下りたときから青森駅は雪の中…という歌のように冬ではなくて夏休みに出かけたですが、
上野発青森駅の夜行急行「八甲田」の硬い座席で10時間ほど揺られていったことを考えると、
今回の羽田発のフライトは青森空港まで1時間半も掛からず、その後バスで30分ほどで
青森駅に到着してしまったのですから、便利になったとは言えましょうなあ。
ただ、なんでしょう、「八甲田」(1993年廃止)が今でも走っていたら乗るかと言われれば「うむう…」ですが、
旅情とでもいいますか、そうしたものは飛行機でひとっとびよりも夜行列車の方が確実に優位な気も。
ライフスタイルがゆったりを単に遅い、余計な時間がかかるとしてしまう風潮に染まってしまってもいるような。
とまれ、「八甲田」で朝早くに青森駅に到着し、これに接続する青函連絡船に乗り込んで
船内の食堂で朝飯に「いかそうめん定食」(のようなものだったと思う…)を食しつつ函館に向かったので、
青森は単に通過駅状態だったのですなあ。
その青森を徘徊しつつ、ふいと出くわした青函連絡船ですが、
これが今では「メモリアルシップ八甲田丸」として船内が資料館になっており、
夕方であったにも関わらず開館中(10月31日までは19時までで訪ねたのは奇しくも10月29日)とは。
これ幸いと入館(乗船?)してみたのでありますよ。
先に、よく知るわけでもないのに懐かしい感を抱いてしまったわけですが、
一歩中に入るとおもむろに懐かしワールドが展開しておりまして、
たまたまにもせよ、この夕暮れどきに訪ねたことも雰囲気を弥増すところではありましたなあ。
何せ「夕暮れどきはさびしそう」ですし…(笑)。
ここで引っ張るのもなんですが、長くなりそうですので船内のようすにつきましては
「今夜も汽笛が、汽笛が、汽笛が風の便りを待てと言う」と都はるみが歌う「涙の連絡船」ではありませんが、
次の機会にということで。
おっと、こういう引き合いの出し方をしてしまいますと、「涙の連絡船」の歌詞にあるのは青函連絡船?と
受け取られてしまいそうではありますけれど、1966年に松竹で映画化された際には鹿児島~桜島の船が、
1983年にこの曲をモチーフにした「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」では新潟~佐渡の船が使われてましたなあ。
どこをとっても通じてしまうという、連絡船そのものに旅情が感じられるということなのでもありましょうかね。