長野県・富士見町にある井戸尻考古館の前庭からは、

山合いを縫ってこちらの方角に富士のお山が望めるはずなのですが、あいにくのお天気で…。

 

 

ではありますが、縄文時代の人々が今ある形の同じ富士山を眺めていたと思っては大間違いなのでしょう。

ちなみに静岡県富士市HPの「富士山の噴火史について」には、こんな記載がありまして。

富士山は、古富士火山の溶岩流のあと約4,000年間平穏でしたが、約5,000年前から新しい活動時期に入りました。…縄文時代後期に4回の爆発的噴火が起こりました。

縄文の人たちが眺めやった富士は、噴火を繰り返す荒々しい姿であったことでありましょう。

と、それはともかく、井戸尻考古館は隣接する富士見町歴史民俗資料館と共通入場券になっておりましたので、

ついでといってはなんですが、やはり民俗資料館にも立ち寄ってみたのでありますよ。

 

 

この手の施設はどこの市町村にもあるもので、中もほぼほぼ同様のものであるかと。

昔の農機具の展示であったり、昔の農家のようすの再現であったりするわけですね。

 

 

 

ではありますが、このほどたまたま目を止めたのは農機具というのもよく工夫されて、

改良されてきたのであるなあということでありましたよ。

 

 

例えば収穫した稲から籾を採るための脱穀作業では、

右側に見えている「せんばこき」でしごきとっていたわけですけれど、

これを奥にあるような、ドラム状の部分を手回しして作業を効率化していったのですな。

 

ここまでは道具といった方が馴染むかもしれないところが、これが「唐箕」ともなりますと、

もはやこれは機械以外の何ものでもなろうという次元に到達しているような。

外見からは中の構造が分からないようなボディーを持っていること自体、いっぱしの機械かと。

 

 

脱穀ののち、籾殻や稲藁のくずなど軽いものは吹き飛ばし、

重い米の部分だけを選り分けてしまうという優れものなのですよねえ。

 

また、農家では稲藁から茣蓙や筵を作ったりもするわけですけれど、

これに関しても縄綯機や筵織機があったりする。工業化の原点は農家にありと思えてくるわけです。

 

 

 

そんなふうに見てくると、やはりヒトは効率的に作業を行うために知恵を絞ってきたのではないか、

それこそ縄文の昔に石器や土器、やがて鉄器などで道具を工夫したのも同じことなわけでして、

常に効率を追い求めているのであるようで。

 

これまでに何度か、今の資本主義で「もっともっと」とひたすらに効率性を探るへの疑義を抱いてきましたけれど、

これとの関わりはどうよと思うところながら、同じようであってやっぱり違うのではないかなと。

 

うまく説明できませんけれど、農家の人たちの工夫は、生産力を向上させたあまり、生産物が有り余っても

売れる先を見つけ出していくのだといったことまで目標とはしていない。

実際に肉体労働としてつらいところとを、なんとか道具や機械で代替し、

少しだけ楽になれば…という思いから出たものでしょうから。

 

もちろん、その後には現代に至るまで機械は進化を遂げ、肉体的なしんどさからの解放は進んだでしょう。

ですが、一方で社会構造の複雑さに巻き込まれた生産のありようは、むしろ精神的なしんどさを

増幅させてしまっているかも。それこそ、昔の農家の人たちからすれば、なんだってそんなことに…と

思われる状態になっていたりするのかもしれません。

 

ひたすらに「便利」というものには、どうも落とし穴があるような、

そんなことが気になったものなのでありましたよ。