この間、法廷ドラマの「私は確信する」を見て、昔の映画を思い出したのですな。
1990年公開ですから30年以上も前の映画「推定無罪」、これを見たことがあったかどうか、
思い出せないのでとりあえず見てみることに。やっぱり見てなかったようです。
この映画、原題が「Presumed Innocent」ですので、文字通り「推定無罪」なのですけれど、
その方面のお話という以上に、組織的陰謀に巻き込まれたという方向のお話であったような。
主人公(ハリソン・フォード)は殺人事件の犯人に仕立て上げられてしまうものの、
紆余曲折の裁判を経て無罪判決に至るという結末が待っているのは想像に難くないところ。
されど、その結果として、二つの犯罪が不問とされて終わるというのが、
実はもっとも気になるところではなかろうかと思ったりしたのでありますよ。
でもって、その二つの犯罪について語るとネタバレ必死と思うわけですけれど、
まあ、古い映画ですから多少のことは良しとしますか。
ひとつは主人公が犯人に仕立て上げられた殺人事件の被害者が、
実は非常に、というより非情に上昇志向というか権力志向というかが強い女性であったわけですが、
より上位の権力を狙うにあたって犯罪への加担があった過去を持つ人物がいたのですね。
それが何と!主人公が被告となって臨んだ裁判を仕切る判事であるとはずいぶんな話ながら、
これの過去を暴くには至らず仕舞い…。
昔々に悪意ある人物(本件殺人事件の被害者の実像…)に唆されて巻き込まれたような収賄に、
本人も悩み恥じて(もちろん隠蔽されているわけですが)今では立派な判事として世の正義に貢献している。
改心して公正な裁判に臨む判事の過去を暴いて、葬り去ることが果たして世のため人のためであるかどうか…
と、考えたかどうかは分かりませんが…。
さらにもう一つは主人公が推定無罪となった事件での真犯人でして、こちらも秘められたままとなる。
これはもうキッパリとネタバレになりますのでご容赦願いますが、真犯人は主人公の妻なのでありまして。
殺害された被害者の女性は上昇志向が強いと言いましたけれど、
自らの栄達のために主人公に取り入って関係を持ち、結局のところ主人公は捨て駒にされるという。
このようすに妻は焦燥にかられ、完全犯罪を企図して実行。されど、展開は全く思わぬ形になるものの、
無罪放免になった夫に犯罪を見抜かれてしまう。ですが、夫は沈黙するわけです。
言及するのが後回しになりましたですが、主人公の職業は検察官なのですよね。
それも、この事件以前、もっぱら信頼を置くに足るとして知られた検察官、法の番人でもあるわけです。
それが二つの犯罪を不問にしてしまうのですなあ。
法律は融通が利きませんですね。そも推定無罪という原則からして、
十分な証拠も無しに裁いてしまい、いたずらに冤罪を生むことを避けるためでもありますけれど、
一方で決定的な証拠が欠けている以外、どう考えても犯人に違いないとしても裁けないというものであるわけです。
だからといって、恣意的な運用もできない。そうであれば、事件を通じて浮かびあがった二つの犯罪に、
本来的には目をつぶっていいはずはないのですけれど、実は法律も完全ではないと思い至ったときに考えるのは
「罰」とはどういうことなのであるなあと言うことでもあろうかと。
刑に服したことが禊であるかのように、その後はばれない限り同じことを繰り返すような場合に課す罰と、
もちろん罪を犯すことは是認されませんが、それに対する悔いに一生涯縛られ続けてしまうであろう場合に
禊期間のようなものの有り無しはもはやあまり意味が無いのかもしれません。
検察官である主人公とその妻のその後は本作の先の話になりますけれど、
互いに一生縛られる姿と見ながら生きていくことになるのかも。
刑罰ではなくとも、明らかに罰の日々を送っていったのではと思うところでありました。